うる星やつらTVシリーズ第180話
「ダーリンの優しさが好きだっちゃ」


オープニング

 オープニングは擬似白黒、恐らくカラーで作ったものを白黒フィルムに焼いたのか、あるいは色指定で薄い色を使ったのか、あるいは動画が出来てから色を削ったのか、ともかく白黒で始まる。この白黒の段階では、うる星のメインキャラは”あたる”が走っていく姿がロングで出てくるだけで、他には一切出てこない。

 ここで登場するキャラは、病院に入院をしている少女”のぞみ”とその母である。面白いのはこの母の顔は一切、オープニングが終わってカラーになっても出ていないところである。これは少女”のぞみ”とうる星キャラの中でも、あたるとラムと言う同年代のキャラ同士の世界である事を印象付ける為の手法である。

 基本的にうる星の世界は、少年少女の世界である。その証拠にうる星キャラはその設定年齢に関係なく子供的に、荒唐無稽に描いてある。ごく当たり前の子供のためを思う大人であるう”のぞみ”の母は、うる星の世界にとって異分子である。そのために顔を描かないという手法を取られたと思われる。

 この白黒部分は、母の台詞が一部有るものの、ほぼ全てが”のぞみ”のそれも恐らく日記朗読による台詞である。彼女は、毎日のように病院前を走っていく”あたる”に憧れを抱いてしまうのである。そして母と首を振る医者の印象的なシーンが有った後、一人で病室を整理している母のシーンへと変化する。

 病室で一人(一羽)”のぞみ”の寂しさを紛わせてくれた友人である小鳥。母はこの小鳥をせめておまえだけは元気に、そして自由に病室から出て行くようにと、籠から出してやる。母の手のうえで不思議そうにこちらを見つめる小鳥。おもむろに小鳥は、病院の壁に沿って自由の大空へと飛び立って行くのであった。この場面で始めて、画面はカラーへと変化し、小鳥が青い空に舞う印象的なシーンへと展開する。


本編

 本編のオープニングは、母とさくらが話しているシーンから始まる。場面は変わり、あたるの走っているシーン、あたるが向かう先は、さくらの家である。さくらから「実はデートを・・・」と聞いたあたるは、いつものように「すぐに結婚式を!」等といつもの調子で切り返すが、さくらから差し出された日記帳に阻まれる。実はデートの相手は、さくらではなくこの日記帳を書いた幽霊になる前の、のぞみであった。そしてのぞみは、あたるとのデートと言う未練を残したために、成仏できないと言う。

 幽霊としての、のぞみの登場は、小鳥が横切ったあとの垣根に滲み出すように、徐々に登場してくる。のぞみは、マフラー、手袋、レッグウオーマー、編みかけのセーターと、次々とあたるにプレゼントしてくれるが、プレゼントされるほうのあたるは大変である。初夏の暑さが厳しい5月(原作では8月の盛夏のころ)では、そんなものを普通は着ていられない。しかしさくらの迫力と、のぞみの健気さ、ラムの迫力に負けて不承不承全てを着こむあたるであった。

 デートの先は映画館と遊園地である。その道すがら”うる星”お約束のドタバタが有るが、基本的にシリアスで有る。その間中のぞみは周りを不思議そうに、また楽しそうに見ている。

さくらの台詞
「多感な時期をベッドの上で過ごしたのじゃ。見るもの聞くもの全て珍しいのも無理はあるまい。」

 遊園地でメリーゴーランド、ジェットコースター、ミラーハウスなどいろいろなアトラクションを二人で夕方まで楽しむ二人で有ったが、昼間中冬の格好をしていたあたるはダウン寸前。しかしのぞみは成仏する気配が無い。不審に思ったさくらが、望みの日記の最後をあけると

「12月24日、今日はクリスマスイブ、夢を見た。雪の中を私の編んだセータを着たあの方(注:あたる)と一緒の私。これが現実だったらもう何も思い残す事は無い、もう何も・・・」

 しかし今は5月である。雪なんて降るわけが無い。しかし、遊園地の花火の光。これが降っている雪に見えたのぞみちゃんは、あたるの腕に頬を寄せながら、静かに消えて行くのであった。

合掌


エンディング

 あたるは、さくらに
「暑かったであろう、もう脱いでも良いぞ」
と言われるが
「もう少し着てる!」
と言って、さくらなどに背を向けて一人歩いて行く。

 次のシーンでは、あたるとラムが、階段を降りていく何の変哲も無いシーンで有る。そしてすれ違った和服を着た婦人。和服を着た婦人が目的の場所、のぞみのお墓に着くと、そこには花と線香が供えられている。婦人はゆっくりと桶を下に置き、日傘をたたむとあたる達が去っていった方向に最敬礼するので有る。

 そう、この婦人は言うまでも無くのぞみの母で有る。このシーンは原作には無い。さっきの「もう少し着てる」が珠玉の台詞とするなら、このシーンは珠玉の名シーンで有る。しかもこのシーンはオリジナルである。ここに来て、シリアスドラマは最高潮に達するのである。

 そして海の見える丘の墓地から出たあたるとラムは、海岸をゆっくりと歩いている。

 ラム  :「やさしかったちゃね!」
あたる:「俺は何時だってやさしいわい!」

としんみり言葉を交わす二人。この時のラムの表情は、なんと形容して良いかわからない。言って見れば珠玉の表情と言えるだろう。これほどやさしげな表情をしたラムは、全編の中でも記憶に無い。そして突然あたるは、全身をかきむしり始める。実は暑い中冬の格好をしていたため、全身にあせもが出来てしまっているのである。
 ラムは、手伝ってあげようとして、見当違いのところを掻いてドタバタしているシーンが、ロングで映りそこから
ぬけるようの青い空にパンしていく。そして

 ラム  :「うちも幽霊になろうかな!」
あたる:「なに言ってんだ馬鹿!」

と言う台詞が流れて、この話は終わる。


解説

 カラーと白黒の使い分けは何も新しい、手法ではありません。ミュージカル映画"オズの魔法使い"や大林宣彦監督の「転校生」などに見られるように、映画ではしばしば使われた表現手法です。

 そしてカラーと白黒の使い分けは、夢と現実を分けるのに使われます。”オズの魔法使い"では、魔法の国に入った時点でカラーになるし、「転校生」では、二人の心が入れ替わっているシーンに使われた。つまりカラーの世界は、現実にはありえない世界を表現し、白黒のつまらない画面を日常と言う、ある意味つまらない世界を描くのに使われている。この”つまらない”と言う類似性が、実はみる人の心に非現実の世界をより鮮明な印象を持たせる事となる。恐らくスタッフはこのどちらか、あるいは両方の映画を見た事があるのだろう。

 ”うる星”と言う非現実世界に、のぞみの母と言う極めて現実的なキャラを描くのに、最適な方法だったと言える。

 ところでこの話には随所に遊びが入っている。映画のシーンでは、あたるなどの後ろにめぞんキャラの、一瀬さんや、四谷、あけみなどが居るし、遊園地のシーンでも一瀬さんが出ている。まためがねなどの、"うる星"常連キャラもしっかり登場していて、シリアルドラマにおける一服の清涼剤となっている点も見逃せない。

 この遊びなどを不要と思う向きもあるだろうが、自分はそうは思わない。遊びの存在こそが、シリアスドラマをより鮮明に見る者に印象付ける、一種の緩衝材の役目を果たしている。とことん遊び、とことんシリアスと言うのも悪くないが、時としてそのようなドラマは見る者を疲れさせる。

 アニメや映画が娯楽である以上、必要以上ののめりこみは必要無い。バランスこそが重要なのである。そして最後にラムとあたるのドタバタ劇が入っている。このドタバタは、観客の開放と言う意味を持つ。シリアスドラマにハッピーエンドが多いのも、見る人が遊びと同様必要以上にのめりこまないように、また後口を良くするために使われる、映画シナリオの基本手法である。

 これらの手法が効果的に表現されている所に、高橋由美子女史がこの作品をベストに挙げた理由があるのではないかと思う。


因幡氏の、この話に対する解説もどうぞ
 

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