其の三十四:さようならタイフーン 8年にわたる「タイフーン」のツアーが終わりました。ヴィオラのポール・コレッティ、ピアノのフィリップ・ブッシュ、そしてチェロのフランシス・グトン。このメンバーが揃っての公演回数は300回を数えます。1987年に葉加瀬太郎君らと、ジプシー・バンド「ヴィンヤードシアター」をスタートし、その後は、葉加瀬君の「クライズラー&カンパニー」のデビューと共に、今度は葉加瀬君に代わる人材を見つけなければならなくなり、頭を抱えておりました。そして、89年の暮れだったと思います。なにげに『音楽の友』をめくっていたら、ムーンビーチにポールの名が!とにかく、大慌てで彼を探し出し、外苑前で会いました。ポールのことは、85年のアメリカのコンクールで出会って以来、ずっと覚えていました。実はその時、彼の《アルぺジョーネ》にあまりに感銘を受け、すぐさま彼に駆け寄って、どうしたら、そんな風に弾けるようになるのか聞きに行きました。「ヴェーグのところに行け」その時すぐに、私はアメリカからザルツブルグに渡ったのです。今考えてみると、あの時ポールと共にピアノを弾いていたのがフィリップでした。
2年の修行の後、日本に帰った私は、「ヴァイオリンの夜」を始めました。最初の年は、春に東京文化会館の小ホールで、葉加瀬君や、あの天才ピアニストの高橋悠治さんと、ソナタやジプシーをやりました。会場から歓声が上がり、ものすごく興奮したコンサートだったのを、今も覚えています。その年は、春と秋、2本のコンサートだけでした(ちなみにその秋は亡くなられた、岩窪ささをさんの楽団と共に、すでに大ホールでオーケストラ・ヴァージョンをやらせてもらいました。)
その頃は、まだ、モンティの《チャ−ルダッシュ》をコンサートで演奏することは「御法度」で、たぶん、だれもプログラムに入れられなかったように思います。コンサートの依頼も、すべてソナタ中心で、「小品やら、ジプシーものをやるんですが」と言うと、「そんなものは要らない」ということで、時間のあった私は、自動車教習所に行ったりなんかしてました。ところが、面白いことに2年くらい経つと、今度は「ソナタ以外のことをやって下さい」と頼まれるようになり、世の中もどんどん変わっていきました。
そんな中で「タイフーン」は生まれましたが、今日のような形になったのはごく最近で、メンバー自体に本当の意味を理解してもらうのにも、とても時間がかかりました。クラシックをエンタテインメントとして見せる時に、弦楽器の場合、なぜジプシーが有効なのか、とか、どうして長い室内楽曲をこんな風にカットするのか、とか、すべてある考えのもとに行なっていたのですが、いくら説明しても、どうしても誰でも今までの慣習に縛られます。一緒にやっているメンバーすらそうなのですから、この音楽界全体が変わっていくのに、時間はかかると思います。ただ私の場合、12年続けた「バンド」生活から、今度は自分の人生として、作品と向き合う時間ができてきました。タイフーンがやっていたジプシーものと、本物のジプシー・バンドとの違いは、まさにコンサート・ホールとレストランの違いです。私たちが本物のようにできるわけもなく、ただコンサートホールの出し物の中に、あれだけエネルギッシュなものもありませんでした。ジプシーは、それをいともたやすく、そしてもっと早く弾き、私たちはそれを楽曲の中のコントラストとして使用しました。ヴァイオリンなどで弾けるアップ・テンポのダンス系の音楽は、クラシックにはほとんどないからです。そんなプログラムのなかで面白いことに、お客様はスローな美しい曲をとても喜んでくれました。そのような曲なら、クラシックの世界にまだまだあるのです。ずいぶんと遠回りしてきましたが、逆に、ジプシーをやって、フォークをやって教わったことは大きな影響があると思います。
タイフーンのような外国人だけの集まり、それも「自分が一番」と思っているタイプの集団をまとめるのは大変です。「プロデュ−ス」というポジションがなければ、けっして作品を生みだすことはできなかったでしょう。私が今まで解散しなかったのは、彼らとの人としての愛情の絆です。いいところだけを見れば、これ以上の仲間はいないし、悪いところを見れば、やってられない。私を支えていたのは、トスカニーニのような統率力でもなく、クライバーのような天性の才能でもありませんでした。私が信じたもの、それは人と音との関わりだけだったのです。「自分がこう弾きたいから、お前も付き合ってくれ」ではなくて、「お前はどうしたいんだ、それなら俺はお前とこうする」と相手の要求を極力明確にしてもらって、自分もそれを納得するまでリハーサルを続けました。ある時など、ポールが「こんなリハーサルは無意味だ」とまで言い出し、リハーサルが終ってしまったこともありましたが、その時だけは私も「お前のどんな馬鹿げたリハーサルでも、それがお前のやりたいことなら俺は付き合う。わかろうとする。しかし、それを投げてしまうのは、ルール違反だ。相手のアイデアが、気に入らなくてもいい、付き合わなくてもいい、ただお互いわかり合うまでギブ・アップするな」と怒鳴りました。その問題のフレーズは何十回となくコンサートやレコーディングを通じて、一度もスムーズにいかないところだったのですが、もちろん人によって気にならないのかもしれません。気になるところを、皆が自由に弾くことによって自然な形になっていくこともありますが、それだけで直り切らないものも、もちろんあります。
実は私は馬に乗るのですが、初めの頃、右に曲がりたいからといって右の手綱をグイッと右に引いてもその馬は曲がりません。なぜなら、自分の足で、馬を逆に左に曲げる指示を出していたり、手綱を引っ張りすぎて、馬の口がマヒしていて通じていなっかたりと、当然の原因がそこにはありました。馬がこれなら、人間が言うことを聞くわけはありません。リハーサルも、相手が自分の思い通りに弾いてくれるように自分も弾く、という技を自然に覚えていくようになりました。ただ、「クセ」だけはそれではけっして直りません。リハーサル中にいつも問題になるのは、リズムが止まってしまうことでした。それは、何か特別なことをわざとしようとする直前に、決まって起こります。助走をつけて踏み切る前に一度躊躇するようなもので、それでは助走の勢いが生かせません。このような、感覚における弾きグセのようなものは、何度も何度も繰り返し同じプログラムで毎日ツアーをする「タイフーン」にとっては、何よりトレーニングになりました。
「タイフーンは、ビートルズなんだから」と、いくら説明しても、メンバーは、「古澤巌とバック・バンド」という気分から抜け切れず、「いつもお客さんは、お前ばかり見ている」と言っていました。そういえば、ソニーから「タイフーン」のアルバムを最初に出した時、レコード会社として、古澤巌の名前だけじゃなきゃダメだ。そして、写真も古澤巌だけ、と相当言われて、ずいぶん闘った覚えがあります。「バンド」そのものを売りたかった私の反省点は、将来作るであろうバンドには、けっして自分の名前を入れないようにすることです。バックであろうと前であろうと、相手を立てる、サポートしながら、なおかつソリスティックに演奏することが、真の輝きを生みます。そうでなければ、聴いても、見ても、さびしいものになってしまうからです。目立つから頑張る、のではなくて、どんなことでもきちんと行うことによって、その人の存在が光ります。確かに、タイフーンのプロジェクトでは、自分の身を常にがけっぷちに置いてきました。私はものすごい怠け者で、そうでもしないと、自分の面倒をみれなかったのです。メンバーに会う度
「この演奏でいいか?」と、いつも確認をしてきました。日本に住んでいながら、外国とコミュニケーションできる大切な時間でした。そして、時が経ち、新しい旅立ちの時がやってきたのだと思います。
音楽家というものは、常に待っているものだ、と思っている人が多い。誰かが、自分に声をかけてくれるのを待っている。仕事がくるのを何となく待っている。一歩自分から踏み出せば、また違った世界が見えてきます。自分にもできることがもうひとつ、またひとつあったのかと。最後の最後でこの3人がそこに気が付いてくれたこと、それだけで、これまでの12年の成果はあったと思います。互いに本気でぶつかり、涙を流しながら抱き合ってきたこの8年。何も知らずに突っ走ってきましたが、多くのことを学びました。今年は私にとって、たまたま純クラシックのコンサートが多いのですが、次の10年は、違うジャンルをミックスせずに、それぞれ一からまた始めてみようと思っています。
アイリ−ン・アイヴァ−スを知っていますか?あの「リバーダンス」のビデオの中で、青いヴァイオリンを弾きまくっている女性です。たまたま外国で、彼女のレコードを買ってよく聴いていたので、昨年の6月ころに彼女が来日した際、インタヴューをさせてもらいました。どうやってヴァイオリンを持って、どんなふうに弾くのか。とにかく、違うジャンルの、アイリッシュ・フィドルについて、知りたいことは山ほどあります。彼女はとっても親切な人で、会ったとたん、ヴァイオリンを出してきて、いろいろやって見せてくれました。ご存知のように、アイリッシュ・フィドルのプレーヤーは、ヴァイオリンをあごで挟む、というより、肩に当てている感じで、常に左手でしっかりと持ったまま、あの早い曲を弾いています。アイリーンにやって見せてもらうと、驚いたことに、左手の人差し指の付け根に挟みダコのようなものができていて、どうもほとんどシフト・チェンジも少ないようで、合理的というか、シンプルにヴァイオリンを使っているようです。 「でも、そうやって指でしっかり挟んでしまうと、ヴィヴラートがしにくいんじゃないの?」 と尋くと「私は、こうやってるけど」と、見たこともないような動きをして見せてくれました。あと、初めて見たのが「弓のトリル」というやつで、レコードで聴くと、こぶしのように時々入ってくるのですが、ものすごく素早い動きで、いったいどうやるのか見せてもらいました。右の人差し指と親指で、弓を少しぶつけながら一瞬反復する、という誰が思いついたのか、アクセントとも違う、絶対クラシックにはないテクニックで、その場で僕もトライしましたが、もちろん全然できません。アイリーンも「これを習ったとき、一週間くらいかかったわよ」ということでした。彼女は、ヴァイオリンを始めたときから、アイリッシュ・フォークだけを習ったんだそうで、ぼくらがヴァイオリンを習うのとはまったく違う方法で、毎日毎日先生とともに弾き、曲を習っていったんだそうです。日本だと、邦楽とかがそれに近い習い方をするのかな、と思いますがなんとも羨ましい話です。 ぼくがヴァイオリンを習った頃は、江藤俊哉先生はぼくらに合わせていつもピアノを弾いてくれました。先生がヴァイオリンを弾いて見せてくれたのは、ほんの少しだったので、いつもいつもダヴィド・オイストラフのレコードを聴きながら、弾き方を想像しなければなりませんでした。ただアイリ−ンの場合も、昔フィドルのコンクールで審査員に、弾き方がおかしいと指摘されて、その後違う先生に習わなければならないこともあったのだそうです。ただ「リバーダンス」がアメリカに上陸したとき、ショーの中で最も大切なフィドル・プレーヤーにアイリ―ンを指名したことでも、いかにアイリーンが突出した音楽家であるかを物語っています。彼女のライヴはとても情熱的で、美しく、フォークのベースの上にとても自由なスタイルを取り入れて、すばらしいオリジナルの世界を作りだしています。ご存知のように、昔から日本でもアイルランド民謡はよく歌われ、また、映画「タイタニック」のようにここ数年アイリッシュ音楽のスタイルがよく使われているので、ぼくらにとってはとてもなじみやすい世界です。ぼくも、雅楽の東儀君と一緒によくアイリ―ンの《過ぎ去りし日々》を弾くのですが、東儀君はいつも「まるで自分が作った曲のようだ」と、あまりになじむので驚いています。日本とアイルランドでは互いに遠く離れているのですが、心のどこかで感じるものが近いのかもしれません。 アイリーンのライヴでは、チーフタンズとの共演は見たのですが、彼女だけのライヴは、ぼくの公演と重なっていたので、午後のリハーサルを見せてもらいました。リハーサルと言っても、たぶん全曲練習してくれたようで、いろいろな楽器とのやり取りが本番よりもわかりやすく、アイリーンがいろいろなスイッチを操作しながら、音を変えていくのも、大変興味深いものでした。 リハーサルのあと「こういう演奏、日本で受け入れられると思う?」と真顔で聞かれて、彼女の謙虚さに驚きましたが、非常にまじめに音楽に取り組む姿は、確実に彼女の音楽に反映され、サポートするメンバーたちも楽しんでいました。ちょうどぼくも来月初めて「ポップス」をやりますが、もうこれは大チャレンジで、いかにストレートに自分と向き合うか、アレンジがうまくできるか、と、今年の一大イベントになってしまっています。今まで知らないだけに「ポップス」と他人事のように思っていましたが、アイリ−ンを前にヴァイオリンの可能性を新たに見せられ、もっと違う世界も見てみたくなりました。今ちょうどニューヨークでこの文章を書いていますが、明日あたり彼女のライヴがありそうなので、楽しみにしているところです。
***Thank you for typing this article, Sachiko! How kind of you!***
●音楽の友社「音楽の友2000年3月号」掲載
何をするにしても、始める前に心構えがいります。音を出す前、フレーズを弾く前、はたまた音程も、これから弾くその前にどのようにするのか、自分自身がわかっている必要があります。例えば音程の練習をするにしても、音程だけを測定するより、ハーモニーからくる音程のほうが、より適切でしょうし、リズムも自分のパートだけではなく、相手のパートなくしては、正しいリズムがわかりません。自動的に上手く弾けても、果たしてそれで今の弾き方で正しかったのか?と立ち止まってみるとき、どんどん遡ってみるとついには、自分の根源にまで立ち返ることになります。自分とは何か。ものごとを始める前、その出発点のお話です。
私たちは生きている、ということは自覚しています。自分はいったい何なのか。大切なことは、自分自身を育てるということです。では自分自身とは何か。そういうことを考える自分、自分を求めるのも自分、そのように自分という意識はあります。その意識のある自分とは何なのだろう。たとえば、手は自分の一部ではあるけれども・・・自分・・・ではありません。肉体の一部ではあり、生きるために使う道具ではあるけれども、自分自身の本質ではありません。そうすると、本当の自分というものは何なのか。自分はこうして生きている。ただ生きているだけでいいんだろうか、なぜ生きているのか。何を自分は求めているんだろう。自分っていったい何だろう。そして自分がいろいろなことをしています。訳はわからないけれど、自分が今どういう状態であるか、このままでいいのか、自分はどうあるべきか。幼いころからだんだん成長して死ぬまでの自分、ただ毎日それだけでいいのか、あるいは、赤ん坊からだんだん歳をとっていくのと同じように、自分自身も幼くて幼稚で、何もわからないところからだんだん成長していくとき、自分も成長するんだろうか、しないんだろうか。いくら親しい人でも、自分の家族でさえも自分ではない。自分とはあくまでも自分、その自分はどうあるべきか。いったい自分は何なのだろう。それを求める、そして自分自身を知ろうとし、知る。そして自分の本当の自分が求めているところに向かっているところは・・・・・。そいういことがわかって、自分ていったいどうだ、ということが意識できるか、またそれをつかむことができるか・・・・。それをできる、求める、そんな生き方をする人、逆にそういうことを何も考えず、飲んで食べておもしろおかしければいい、というような、そのどちらを人は選ぶか、そうするとその人自身の在り方がまったく変わってしまいます。それをわかって求めて意識している人のなすこと、その人から生まれてくること、それがない人が生むことはまったく異質なものです。これは人間の本質的な大切なことなのです。 《君にすゝむ、さらに求めよ内なるこえを》 本質というのは形などではありません。それが同じ人生でも、死に際にわかったのではまことに残念です。それがわかって十分人生を生きる、ということとはまったく違いがあります。それがわかって、それを意識して、それに準じて生きている人のすること、その人が感じたり考えたりすることと、そういうことのない人のすること、考えることはまったく違います。それがわかる人の芸術、功績、時流に乗るのではなく、それを求めて修業することが大切です。人はいろいろな方法で、それを自分に求めてきました。宗教家は、神や仏に祈ること、また求めること、あるいは座禅をすること、芸術家でも本質的なものを求めていろいろなことをしました。いずれにしても、それは自分自身を自分で見い出し、自分でつかんで、自分自身を育てるのです。「今日はつまらなかった」ではなくて「ああ、本当に生まれてきてよかった、こんなにすばらしい人生か、ありがとうございます」と、日々喜びと向上心と感謝と希望を持つことができます。これは自分のことだから、自分自身でしなければならないのですが、世の中には人類の先輩がたくさんいます。現代でもすばらしい人たちがいます。芸術家でもその人から見たら、なるほどこの人ならばこそこんな作品が生まれる、この人ならばこそこういう仕事ができる。それに目覚めるか目覚めないか、浮かれてしまうか。わかってそれに向かって生きるということ、これを感じたり求めたりするのは、人間しかいないのです。だからこそ万物の霊長と言われるのです。それに同じ人間でも目覚め、それに生きるか目覚めないか。ぜいたくや社会的な位も関係ありません。さあ迷わず人生を進みましょう。 (泰山談)
これはお馴染み私の師である河西泰山先生からのお話です。私は小さいころからヴァイオリンばかりをやって、ろくに運動もせず、姿勢が悪いのもヴァイオリンのせいにしていました。「ヴァイオリンを弾く格好には無理がある」。そう決め付けて、無理に弾いていたのです。ヴァイオリンの先生が、「もっと歌って!」と言えば、とりあえずもっと心を込めてみても、身体が苦しくなるばかりで、音はそれほど効果的に変わりません。「自分で自分に酔っていてはだめだよ」と言われても、やればやるほど変になってついにはやめるはめになりました。今思えば、全ての原因はその想いにあったのです。身体の調子がいい時は、気持ちも明るく、気持ちが晴れればフットワークも軽く、やる気も出てきます。でもそして調子の悪い日はうだうだと、自分で自分をコントロールはしていませんでした。確かに自分の都合で想いは生まれていました。そうなるともう何が自分なのかわかりません。これまでも触れてきたように、正しい姿勢で自分に想いを巡らすとき、今回の「お話」は、たとえ一人ぼっちでも真っ暗闇の中でも、出口がまだわからずとも、いつも“巌”のように大きく温かい愛情で、あなたが守られていること、だから安心して自分を探しに行けることをお伝えしたく、「音楽の友」らしくないページになってしまいましたが、最後に載せさせていただきました。長い間お付き合い下さいましてほんとうにありがとうございました。