なおちゃんの経過

97/1/3作成
97/5/5更新
97/10/17追記


個人個人によって進行や治療の効果が違うと思いますが、もしも不幸にして子供さんが網膜芽細胞腫になった場合など、新しい治療を決断する時の参考にしていただけると幸いです。
尚、私は医療と全く関係のない仕事をしておりますので、誤った記載などありましたら、ご遠慮なくお知らせ下さい。


●発見したきっかけ
1996年5月 母親が、”なおちゃんの目が、猫の目のように光った”というので、近所の眼科のお医者さんへ。
先生がおっしゃるには、
「これは、 網膜芽細胞腫 です。片方の眼の腫瘍しか見えませんが反対側にもあるかもしれません。大きい病院を紹介しますので、診察を受けて下さい」とのこと

●診断の結果

近所の眼科医に行った2日後、以前から他科で受診している総合病院へ。先生は眼底検査の後、別室でエコーでじっくりと診察され、急いで右目を摘出しなければならないであろう事を私と妻に伝えられました。
しかし、この日の午後のCT撮影の結果、先生がエコーで見られた結果よりも腫瘍が小さく、即座に摘出はせず保存療法に挑戦することに決まりました。

外泊時の写真

 ■このときの状況

右目:大きな腫瘍細胞
(片眼性の場合この時点で摘出だったのでは・・。)

左目:下の方にキノコ雲の形の腫瘍(CTは、そう見えました)と前方側面に腫瘍らしき物。

※親として思ったこと
 娘の目が1つになるかもしれない事がかわいそうで・・・。
この時は、この後どうなるのか、全く予想できませんでした。


●治療開始
 まず、左目のキノコ雲につながっている栄養血管を焼き、両眼に対し約1ヶ月間放射線照射を行い、その後右目には光凝固 、左目には、光凝固及び冷凍凝固を行いました。


 そうして次は、転移の予防意味を含めて、全身に対する化学療法を行いました

■化学療法治療前の状況
右目:一つの大きな腫瘍細胞に見えていた腫瘍が、小さくなったため5・6箇所に分かれていました。このころは、右目は若干見えていたように思います。

左目:ほとんど変化無し。
この時期、右目は「ぼんやり」とでも見えていたのではないか、と思っていましたが実際には見えていなかったかもしれません。

※親として思っていたこと
右目を何とかして残して欲しい、これが願いでした。


●第二段階の治療
 放射線療法の効果が弱まってくる時期となり、
右目を残す最後の治療(私はそう思っていました)として、眼動脈に直接抗ガン剤を注入する治療を行いました。

■治療前の状況
右目:化学療法の前と変わらず。
左目:化学療法の前と変わらず。

※親として思っていたこと
この時は、何とか治って欲しいと思っていました
このころも、まだいくらか目が見えていると思っていました


●ついに眼球摘出


そして、治療開始から7ヶ月後、
ついに右目の眼球摘出となってしまいました。

■この時の状況
右目:新しい腫瘍細胞の出現、大きな網膜剥離。摘出した眼球の病理検査では、網膜が8割方剥離していたそうです

左目:腫瘍細胞は若干小さくなっている上に、活動性が衰えている様子

※親として思っていたこと
 どうしても眼球を摘出しなければならないのか、まだ他に治療方法があるのではないか、先生を信用していない訳ではないのですがそう思ってしまいました。
(先生の説明が不十分だった訳でもなく、文句を言いたいわけでもありません。)
 それまでの経過を考えたり、この時の状況を冷静に考えれば「命を守る」ことが第一、すでに見えなかった目でしたから。

 眼球摘出で、目が痛かったり・頭が痛かったりするとかわいそうだと思ったのですが、どうもないようです。

●義眼完成

 眼球摘出から1ヶ月と少し経ち、やっと義眼が作れるようになりました。

(義眼については、後日資料が揃ってから、扱い方などを掲載したいと思います。97/10追記.義眼についてをどうぞ)

義眼の装着当日から、目やにが出始め、2・3日目が結膜炎の状態になりましたが、
ある日を境に目やには殆どなくなりました。

義眼については、しばらくの間、1ヶ月に1回程度の調整が必要だそうです。

 ■この時の状況

右目:眼球の入っていた部分がかなり萎縮。
(今後、だんだん義眼を大きくするそうです)

左目:大きな変化は無し。

●2つ目の義眼

最初の義眼を作ってから3カ月が経ち、2つ目の義眼を作りました。
1つ目の義眼を作った際は、様々な理由により、使いたい大きさの義眼が入れられず 入れられる最大の大きさの義眼を使っていましたが、これがだいぶ緩くなり、新しい義眼を 作ることになったわけです。
この次は、1年後位に新調することになるようです。
 

 


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