シークガイいさヤンのレポート

神戸から来た男

 オウム教団の忌まわしい事件と麻原の逮捕などに世間の感心が行っている1995年の初夏、庭にいた拙者にセールスマンらしい男が声をかけて来ました。
 懐かしい関西のアクセントで「近くにガソリンスタンドがオープンするから会員になって欲しい」との趣旨、なんで関西から来たのかと尋ねると、出張でスタンドのオープンを手伝ってるとの事。
 実は震災で、住んでいた買ったばかりのマンションがやられ、会社の配慮で、神戸からしばらく離れて仕事をしたほうが良いだろうとかで、全国を飛び回っているらしい。
 買ったばかりのマンションの崩壊、何千万のローン残の借金、今、上場大手企業の倒産が続き、路頭に迷う善良な社員やその家族がつづく世の中になってしまいましたが、わずか3年前に淡路から神戸、芦屋、西宮、宝塚と、とてつもなく広大な地域が壊滅的打撃を受け、何百万人もの人達が大変な思いをされ、それは現在に続いているのです。
 21世紀には、惨状の最中、東京で閣議を開いてテレビのカメラにヘラヘラ笑っていた政治家を、そして対比するのも畏れ多いけれど、すぐに現地入りされ、寒い体育館の床に膝をつかれ、被災者の手を握られた神々しい両陛下のお姿を、決して忘れないと言う経験を経た若者達が、又、手弁当で駆けつけた多くのボランティアの若者達が、日本をつくり変えて行くんだろうと思い及ぶわけです。

 その年1月17日、小倉のビジネスホテルにいた拙者は、まだ暗い5時半ごろ何故か眠りから覚めかかっていました。(自宅にいる時も大体5時45分に起床します。)
 地の底から来るような地震の揺れ、これは遠いぞ、そしてデカイぞ(関東に何年も住んでいるとたいがいの地震に慣れて、少々揺れてもこれは大丈夫だとか、大きいとか何故かわかるような気になっているのです。)東海地震か?、だとしたらここは九州だから首都は大変な事になってるぞ!!、テレビのスイッチを入れます。なかなか放送してなくて、それでも心配で見てると、京都からの中継が入りました。(関西で地震?) 「びっくりしたー!」と京都のホテルのロビーでお客さんがインタビューに答えてます。その内各地の震度が発表されますが神戸周辺は空白のままです。まだテレビは神戸がやられた事を伝えてません。
 で、出社。小倉からJRで赤間へ、宗像の支社で打ち合わせやミーティングを済ませて所長と車に乗って食事へ向かう車中のラジオで阪神方面の惨状が刻々と伝えられて来たのです。
 前夜、新幹線であの落ちた高架を通って来たばかりです。
 本社は無事か?(大阪にあります)、大阪へ向かうか、東京へ戻って対策にかかるか、悩みつつ、新幹線はダメだからと福岡空港へ即刻向かいました。他の支社への連絡で本社は社屋に亀裂が少し入ったが殆ど無事の情報を得て、東京へのチケットを取り搭乗を待ちました。
 待合のテレビに映し出される神戸上空からの望み、まずい!! 煙が何本も上がっています。消火用のヘリコプターが出動している気配もありません。これは火事で大変な災害になるぞと思いました。拙者にはどうする力もありません。(小倉の拙者が早朝のわずかの揺れでイヤな予感したのだから、東京でもこの揺れはマズイと関係の人達が感じて、もっと早く対応出来たんじゃないかなーっ。俺達は高い税金払ってんだぞーっ、まじめに国民の幸福を考えて四方八方気を配ってくれよ。そのうち国民皆がぞろぞろ脱出して南洋のどこかへ移住しちまうかも知れないなー。)

 多くのご同輩は日本赤十字社への震災の寄付金の送金や、親戚、友人への援助等、出来うる限りの自分達で出来ることをやったと思います。しかし、あまりに大規模な震災の前には、それらの援助も本当に悲しいほど微力。それ迄の災害に遭われた方々と阪神の被災者とのあまりの境遇の差にも我々の出来る力はとても及びません。
 神戸に近い西宮に、親戚と知人が住んでいた拙者は、10日以上たった1月28日に現地へ行く事が出来ました。被災者の方々には大変失礼で且つ、何じゃいと怒られそうですが、同じ時代、同じ日本に生きながら、まだ一度も被災地に行った事がないと云う多くの人達に知ってほしい事と、拙者自身がこの記憶を忘れてはいけないとの自戒を込めて、当日の日記を次に記します。

1月28日--南海の車窓から見ると浜寺、堺、住之江、天下茶屋付近で何軒かの屋根に青いビニールシート。古い木造家屋で瓦屋根のつぶれたのが見えた。梅田より阪急で茨木へ、十三大橋が通行止めになってて工事車両と関係者が見えたが途中何軒かに青いビニールシートが。本社で打ち合わせ。特販は神戸を昨春より開拓していて、50軒の得意先殆ど全滅。大阪事業部は30軒位被災地に得意先があり、担当が直後よりお見舞とお手伝いに訪問してるとか。ひどい状態だが日一日と少しづつ復旧してるのが見えるとの事。
 知人に東京より全く電話がつながらず、行く事にする。阪急は西宮北口迄と今津線は一駅先の門戸厄神まで走ってる。神戸線に乗ると、救援物資をかついだ人や、現地より買い出しに大阪へ出かけた人などが乗っている。神崎川を渡ると様子が変わってくる。木造家屋は何軒も何軒も屋根にビニールシート、そして西宮に近付くにつれ倒壊している文化住宅や家屋が見え出す。しかしこれなら知人のマンションは大丈夫という感じである。そして西宮北口で門戸厄神へ行く為のりかえだが、このホームで驚くべき光景が始まる。
 駅に隣接する住居や店舗が傾いてたり、まるっきり壊れて材木のガレキの塊になってたり。電車が動き出すと門戸厄神までの一駅、カーンと照ってる冬空の下の両側の光景に車内はシーンとなっている。特に古くもない住居、2階建ても平屋もアパートも、グシャッと何軒も何軒も潰れている。壁が落ちてるのは序の口である。斜めになってたり、1階がひちゃげた上に2階が落ちてたり。
 車内の婦人が「怖かったやろーナー、かわいそうにナー」とつぶやく。
 駅を出る。この駅の手前にかかっていた筈の171号線の陸橋は落ちて片づけたのか、ない。踏切を渡って斜めに旧西国街道らしき道を進む。両側の商店、家屋が2〜3軒に1軒のわりで倒れたり傾いたり1階がへちゃげたりしてるが、人々はそんな暗い表情でなく活動している。女の子が道端にしゃがんで、急ごしらえの水道のビニール蛇口から水をくんでいる。途中、阪神水道事業団のポンプ場があり、多くの人が列をつくってポリ容器に水をもらっていた。
 新幹線の高架に出る。大きなクレーン車が出てて高架を修理しているようだ。しょっちゅう消防車や救急車がサイレンを鳴らして走っている。自衛隊の人達がスコップを担いで行進している。
 知人のマンションに着く。駐車場のアスファルトに何か所も大きなヒビ割れ。しかし建物はちゃんと立っている。エレベーターも動いている。人々も生活している。が驚いた。壁に相当のひび割れ。1〜2cmの隙間のクラックが何か所も出来、下の階ほどひどく、窓とドアの間全体にxの形にひび割れてる所もある。南向きと西向きの棟のつなぎめのアルミの手すりは上階ほど大きくグニャッと曲がっている。構造体に問題がなければ、外壁をやりかえても良い頃なのだが、柱に影響があったら大変だと思う。------

 新年、お正月にはちょっと厳しい内容のレポートになりました。が、我々はついこの間のこの神戸の出来事を決して忘れてはいけないと思いを新たに、そして、一人でも多くの人が神戸に来て、自分の目で見て欲しいと言っていた、あのセールスマンが今も元気で頑張っている事を祈って………。
 

 copy right1998.sumio isayama


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