1400年応永 7
大塔合戦記の中に実田、横尾、曲尾氏の名が見える。
実田(真田)氏の名が見える最初である。
1441年嘉吉 元
結城合戦、この戦いに真田源太、源五の名が見える。
1513年永正10
真田幸隆生まれる。
1537年天文 6
真田信綱生まれる。
1541年天文10
真田幸隆海野平の合戦に敗れ、逃れて上州箕輪城主長野業正を頼る。
1543年天文12
真田昌輝生まれる。
1544年天文13
このころ真田幸隆、武田信玄の招きに応じる。
1547年天文16
真田昌幸生まれる。
1548年天文17
真田幸隆、武田信玄の家臣として上田原で村上好清と戦う。
1550年天文19
真田幸隆、武田信玄より諏訪形の地を与えられる。
武田信玄、戸石の戦いで村上義清に敗れる(戸石くずれ)
1551年天文20
真田幸隆、戸石城をおとす。
1558年永禄 元
真田幸隆、松代雨飾城の在番を勤める。
1560年永禄 3
桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を破る。
川中島の合戦
1561年永禄 4
川中島大決戦、武田信玄、上杉謙信が直接対決。
真田幸隆父子、妻女山を攻める。
1562年永禄 5
四阿山奥宮社殿扉に幸隆(幸綱)の名が見える。
1563年永禄 6
真田幸隆、上州岩堰城を攻略。
1565年永禄 8
真田幸隆、上州岳山城を攻略。
1566年永禄 9
真田信幸生まれる。
1567年永禄10
昌幸の次子、信繁(幸村)誕生。母は兄信幸と同じ山之手殿。
1568年永禄11
織田信長が京都に入る。
1569年永禄12
信玄、駿河蒲原を陥れ、幸隆(幸綱)・信綱はその知らせを受ける。
1572年元亀 3
三月
幸綱、上野白井城を落とす。信玄の命令で幸綱は箕輪城で
春日虎綱(高坂弾正)の指示を受けることになる。
十二月
三方が原お戦いで武田信玄が徳川家康を破る。
1573年天正 元
三月
上杉軍に白井城を奪われる。幸綱、上野にて上杉軍と戦う。
四月
武田信玄、死去(五十三才)
1574年天正 2
五月十九日
真田幸隆、死去(六十二才)。真田信綱家督を継ぐ。
長篠の合戦
1575年天正 3
五月二十一日
武田勝頼、長篠の戦いで信長・家康連合軍に大敗。
信綱(39才)
昌輝(33才)も戦死し、三男昌幸が甲府から真田へ
帰り真田の家督を継ぐ。
1578年天正 6
六月
上杉謙信死去。
1579年天正 7
真田昌幸、上州名胡桃城を攻略。
1580年天正 8
三月
昌幸、高野山蓮華定院を真田の宿坊とする。
四月
矢沢頼綱の沼田城攻め。勝頼の命で昌幸帰城後沼田城攻略に従う。
沼田城将藤田信吉降伏。
1582年天正10
真田昌幸、武田勝頼を岩堰城に迎えようとしたが武田氏滅びる。
二月
織田軍の信濃進出。
三月
鉢形城主、北条氏邦、昌幸に北条氏直への臣属を勧める。
四月
昌幸、織田信長に馬を贈り、臣従の意を表す。
六月
本能寺の変が起き、織田信長は明智光秀に殺される。
七月
北条氏直が海野へ出兵。昌幸ら北条氏に属す。
八月
徳川家康が北条氏直と和睦。
九月
昌幸、弟加津野信昌らの勧めで徳川家康に属する。
1583年天正11
真田昌幸、尼ヶ渕へ上田城を築く。
三月
家康、上杉景勝に内密に更級郡を屋代秀正に宛行う。
昌幸、埴科郡虚空蔵山にて上杉景勝軍を破る。
四月
賎ヶ岳の合戦。秀吉が柴田勝家を滅ぼす。
九月
秀吉、大阪城を築く。
1585年天正13
真田昌幸、豊臣秀吉の招きに応じ信幸、信繁(幸村)を伴って大阪城へ。
七月
昌幸、上杉景勝に属する。
八月
家康が昌幸を攻めるため小県に出兵。
昌幸は海津城に信繁(幸村)を人質に出し、上杉景勝に援助を求める。
同月、昌幸・信幸父子国分寺で徳川軍を破り、天下に勇名を博す。
(第一次上田合戦)
十一月
石川数正が家康にそむき豊臣秀吉の下へ走る。徳川軍、信濃から撤退する。
信繁(幸村)、秀吉に出仕。
1586年天正14
七月
家康、昌幸討伐のため駿府まで出馬するが、翌月、秀吉の斡旋で延引する。
九月
真田討伐、中止。
十一月
秀吉、上杉景勝の仲介で昌幸を許し昌幸らを徳川家康の配下とする。
1587年天正15
三月
昌幸、駿府で家康に謁見。
1589年天正17
二月
真田信幸、家康に出仕。
十一月
信幸、秀吉の命で沼田城を北条氏直に渡す。名胡桃城は真田氏に残す。
北条氏直、名胡桃城を奪取。鈴木主人討死。
秀吉、北条氏追討の指令を出す。
1590年天正18
真田信幸、徳川家康の養女小松姫を妻に迎える。沼田城主となる。
四月
秀吉と徳川軍、北条氏を攻撃(小田原の陣)。
昌幸・信幸らは前田利家、上杉景勝らと松井田城・箕輪城を攻撃。
七月
小田原城落城。
1592年文禄 元
三月
文禄の役。昌幸父子も秀吉に従い肥前名護屋に陣を張る。
1594年文禄 3
十一月
信幸が従五位下伊豆守、信繁(幸村)が従五位下左衛門佐に。
ともに豊臣姓を称す。信繁(幸村)は大谷吉継ぐの娘を妻に迎える。
1597年慶長 2
二月
慶長の役。朝鮮再出兵。
1598年慶長 3
八月
秀吉、死去。
関ヶ原の合戦
1600年慶長 5
六月
家康、上杉景勝討伐に発つ。昌幸・信幸・信繁(幸村)これに従う。
七月
石田三成、大阪で挙兵。昌幸・幸村は石田(豊臣)方に、信幸は徳川方に残る。
佐野犬布の陣で東軍西軍に別れる。
九月
関ヶ原の合戦。徳川秀忠、上田城を攻撃(第二次上田合戦)。
十二月
昌幸・信繁(幸村)、高野山(九度山)に閑居。信幸、信之と改名。上田城へ移る。
真田信之、戦功により上田領、沼田領合わせて九万五千石の領主となる。
1603年慶長 8
六月
家康、征夷大将軍となる。江戸幕府成立。
1609年慶長14
一月
豊臣秀頼、方広寺大仏殿再建。
1611年慶長16
六月
真田昌幸、九度山にて死去(六十五歳)。
1612年慶長17
昌幸の一周忌後、侍臣ら上田帰郷。信繁(幸村)入道して好白と号す。
大坂冬の陣
1614年慶長19
十月
家康、大坂討伐命令出す。
信之病気を理由に長子信吉・次子信政が参陣。
幸村九度山から大坂入城。玉造口に真田丸設ける。
十二月
東軍真田丸攻撃、敗退。和議成立。
大坂夏の陣
1615年元和 元
四月
家康、大坂再征を命令。
五月
道明寺の戦いで後藤又兵衛、薄田隼人ら討死。
幸村は伊達隊と交戦。後退。同月七日、幸村、真田大助を大坂城内へ送り
家康の本陣へ突撃、討死(四十九才)。
大坂城落城。
八日、秀頼・淀君ら自害。 大助ら殉死。
*現在は大阪ですが、江戸時代は大坂でした。
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