フィリピン顛末記

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 管理者松村豊大は、フィリピン国航空保安大学校(CATC)へ出張し、VORという航空保安無線施設の理論について教授法を伝授することになった。ほとんど海外旅行の経験もなく、また英語力も「講義」ができるほどあるとは思えない。しかしながら、「やればできる」ということばが好きな管理者は、恐れも知らず果敢にこの仕事に挑戦することにした。以下はある中年の入り口に立ったある男の奮戦記である。

1999年8月から11月 専門家として出張の打診
1999年12月の記録 手続きの急展開
2000年1月前半)の記録 準備(1)
2000年2月の記録 準備(2)
2000年3月上旬 準備最終段階
2000年3月中旬 フィリピン渡航
2000年3月下旬 講義第1週
2000年4月上旬 講義第2週
2000年4月中旬 帰国

まず最初
ある夏の日
先任管技官の「肩もみ」

 1999年のお盆も済んだある夏の日、関西空港の管制塔庁舎8階にあるMDP室で作業をしていた管理者に、先任航空管制技術官である金田氏が声をかけた(通常先任が声をかけるのは、人事移動の打診である、、、。)。豊大は
「そういえば関西空港での仕事も2年が過ぎている。希望は出していないが、この御時世、移動の話があっても不思議ではない。」と内心思いながら、先任の後に随った。「こんどフィリピンでVORDMEの保安大の教官を指導に出張できる人間を探している。推薦しようと思っているが行けるか?」「はあ、いつごろでしょうか?」「10月から12月くらいになる。」「行けると思います。」豊大は答えた。
若干の反省   とはいうものの、、、、。

 即答で返事をした豊大ではああるが、、。しばらくして考えてみた。
 「おまえ海外旅行の経験はあるのか? いや、ない。行こうと計画したら、その直後に彼女にふられたなんてことがあって、パスポートさえ持ってない。」「まあ、21世紀である。生活にこまることはなかろう。」
 「問題はもうひとつ、1月には大学院の「学位請求論文」の締め切りである。2ヶ月も海外に行ったらそちらの作業ができなくなる。」「まあ、学位論文はあとまわしにしてもいいか、、。」
いつになるんですか? のんびりしたところやからなあ
1999.9  「先任! 私の出張はいつになるのでしょうか?」「ぜんぜん情報がない。受け入れ先の問題もあってきまってない。」「まあ、のんびりしたたころやから、まっててよ」
 ふう。先が思いやられそうである。
情報は中央か?   「きまってるんだよ」といわれても
1999.10  我が航空局の職場は転勤が多い。異動がない月はめずらしい。10月の移動も、2人あった。ひとりは希望で名古屋に、もうひとりは、単身解消で新東京への移動であった。新東京へ移動したS主幹は、うるさい人ではあったが、見事な仕事のさばきをする人であった。私もたよりにしていた。後任は本省無線課の監理係長から移動のO主幹であった。以前短期間であったが大阪航空局無線課で一緒に仕事をした。「フィリピンの話聞いてる?」「ええ」「業務内容は?」「VORDMEの先生に保守の要点を講義するって」「そうそう。いつ行くかきまってるよ。来年。」「先任まだ決まってないっていうてます。」「うんでも、ぼくが本省で決めてきた。英語大丈夫?」「まあ、いちおう、昔英検もとりましたから、、。」
 「でも、O主幹このはなし、先任と私以外知らない。」「?、クルーの次席も?」「主任が1月も抜けるというのに」「まだ先任は「言うな」って」「もうきまってることや。」
 要は、先任が連絡をとってる大阪局無線課の担当(たぶん補佐官)のところでは、あんまり話がすすまず、本省無線課でどんどん話が進んだってこと、、、。まあ、えええか。

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