1.長光山 薬泉寺 (やくせんじ) 慶安年間、薬泉寺の前進、玉蔵坊と称し、修験道の寺として栄えた。薬泉寺は行基菩薩(奈良時代の高僧)の弟子で法海という僧が、蔦沢下牧谷の長泉寺(地名)にお堂を建て、薬師如来を安置して病気平癒、家内安全、良縁等の祈祷寺でした。天保5年(1834)現在地、上寺に移転されました。明治初年の神仏分離令や廃仏毀釈の影響をもろに受け文献が散逸して、実証できません。現在も近在近郊の人々に知られている寺で、諸願成就の為、参詣されています。 |
| 2.天龍山 恩澤寺 (おんたくじ) 元、天台宗心光寺と称し、権大僧都 善郁阿閣梨により慮永21年(1414)創建される。天正8年(1580)、長水城攻めの際、大失敗した羽柴秀吉軍は、生谷より上寺に退き、心光寺に宿するが、長水兵の夜討ちによる兵火で焼失するが天正10年(1582)、秀吉の寄進により羽柴・長水両軍の戦没者の冥福を願い、心光寺再建される。その後、一時期無住荒廃するも時の領主、池田備後守の帰依僧であった澤水清和尚により慶安3年(1650)再興し、寛文8年(1688)に恩澤寺と改め、臨済宗妙心寺派に属した。以来、臨済弾の寺として時々の領主、大衆の帰依信仰を集め、多くの人に支えられ今日に至る。 |
| 3.泰安山 興国寺 (こうこくじ) 山崎藩主、池田家の菩薩寺であり、山崎池田藩主池田備後守恒元が姫路藩主だった父池田利隆の冥福を祈るために元和2年(1616)再興した寺であると伝えられています。 当寺の桜門には二階造りで町指定文化財となっており、とても有名で横には西国33ケ所順拝霊場の石碑がある。本堂の南側には六体お地蔵さんを安置する地蔵堂もあったが破損が甚だしい為、本堂左前西国33ヶ所順拝霊場、地蔵尊、大師尊をお祀りするため観音、地蔵、大師堂が建立された。当時の地蔵尊は願いを叶えてくださる「お地蔵さん」として古くから親しまれ大勢の人がお詣りして8月24日前後には昔から地蔵盆の盆踊りが境内で盛大に近住の人々が集まって行われます。 |
| 4.法光山 妙勝寺 (みょうしょうじ) 建立は亨禄元年(1528)、戦国時代末期で各地で一揆が頻発した時代です。 当山には、播州赤穂浪士の美女娘による怨念の「夜泣霊碑」の伝説があります。娘が山崎藩の叔父の所に預けられた際、重役の息子の横恋慕を拒んだ為、外堀の石橋の上で切り捨てられました。娘の怨念は石橋に残り、夜ともなると「赤穂に帰りたい」と声が聞こえ人々から「夜泣き石」と恐れられていました。時の住職日解上人は、境内の一隅に安置し「夜泣霊碑」としてねんごろに供養したところ、その後は何事もなくなったそうです。樹齢500年の椿の老木と近隣では珍しい菩薩樹の大木があります。 |
| 5.青龍山 大雲寺 (だいうんじ) 元和5年(1619)、専誉上人の開基。 延宝7年(1679)、本多肥後守政貞が大和郡山より転封、山崎藩主(1万石)になってからは、本多氏の菩薩所となり、現在に至る。 境内には、享保8年(1723)、9世實誉上人が当時の世相を憂慮し、泰平祈願の為に建立された「さずけ地蔵」がある。 さずけ地蔵横の南門 (薬医門形式)は町のいにしえを物語る貴重な建造物です。 |
| 6.永昌山 泉竜寺 (せんりゅうじ) 寛永末期、伝空随応上人開基、延宝6年(1678)寺町より伊沢町に寺地が移り、現在に至っている。 昭和10年(1935)には、蔦沢に通じる広い道が、寺地内を通ったため、1/3程、寺が減る。寺地内に、延命地蔵菩薩、薬師如来、火防せ正一位秋葉大権現等をお祀りしています。 |
| 7.龍眼山 随陽寺 (ずいようじ) 慶安2年(1649)に備後守恒元が宍粟藩の領主となって山崎に移ったとき、恒元の家中で浄福寺の檀家20〜30軒も領主に従って山崎へ移住してきた。そこで、浄福寺住職、了室は寺を弟に譲って山崎に移り、随陽寺と称したのがこの寺のは始めである。 住職、了室は岡山藩池田氏ゆかりの女性を妻に迎え、池田氏からは十人扶持を渡された。 その後、東本願寺より寺号、木仏を下付され岡山藩からの扶持の支給は続けられ、寺地替えの時も銀百枚が寄進されている。 |
| 8.功徳山 光泉寺 (こうせんじ) 三津村、天台宗岩倉山観源寺に僧浄玄が文明9年(1478)入寺、明応7年(1499)山崎村に移す。永正元年(1504)堂宇を建立し、ご本尊阿弥陀如来六字名号をご安置し、浄土真宗に政宗。山崎町史には、山崎村に移ったのは元和寛永年間と記載され相違がある。延宝年間に火災により焼失し、現在の本堂は元禄元年(1688)再建。門信徒の教化宗門改め場所を提供したり、亀山本徳寺と藩庁との連絡を行ってきた。山崎藩家老小野家の天保時代の門を明治12年(1880)に移築し、現代。当山の小門(通用門)として保存している。 |
| 9.遊鶴山 明源寺 (みょうげんじ) もとは金谷にあって長谷山遊鶴寺といった天台宗の寺であったが、長水城落城のとき焼失し、そののち本願寺12世准如に帰依し亀山本徳寺5世教円について改宗、西新町に寺地を得て明源寺と称したという。 開基は慶長5年(1600)とも元和元年(1615)ともつたえられている。平成9年(1970)に本堂の修復が終わりました。 境内のサクラは、ソメイヨシノに先駆けて3月下旬から咲き始めるエドヒガンで「山崎町で一番早く咲く彼岸桜」として町民に親しまれています。 |
| 10. 静明山 青蓮寺 (しょうれんじ) 当山は、慶長12年(1602)徳川家康側室西部(にしのごおり)の方の菩提追善のため、娘である於富宇(督姫)の方(姫路城主池田輝政)の請いにより、家康の下命で、輝政により姫路城下東山に寺格10万石として建立されし寺であり、元和元年(1615)輝政4男輝澄が宍粟郡を拝領したとき、現在地に移建されたものである。 徳永家有縁の寺として、徳川歴代将軍の位碑を祀り、御朱印状、寺領の寄進を受けている。本堂及び寺宝の日教聖人画像は町の歴史を物語る貴重な資料です。 |