道後温泉と坊ちゃん 

夏目漱石 道後温泉と
坊っちゃん
坊っちゃん列車
石手寺 松山城
子規記念
博物館
道後温泉駅 道後温泉本館
施設使用料
皇族専用浴室 撮る旅・歩く旅

<旅の序章> このページから入った方はここをクリックしてください
 
今回は夏目漱石ゆかりの地、松山市の道後温泉を訪ねた。
この地にゆかりのある文豪は漱石だけではない。近代俳句の父と言われた正岡子規をはじめ、吉川英治も菊池寛も、与謝野晶子も道後温泉に来遊しているし、数えあげれば、きりが無いほど文豪 にゆかりの深い地である。中でも夏目漱石は旧制松山中学の英語教師としてこの地に滞在しており、名作 「坊っちゃん」 は松山で暮らした自分の体験を元に書かれた小説である。その痛快な青春小説は時代を問わず多くの人々に愛読されている。
  私がこの本を読んだきっかけは、小説の冒頭の下りが自分の子供時代の腕白ぶりと似ていて親しみやすかったからである。
 では坊ちゃんの下りを紹介しておこう。
  親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りることは出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。 小説、「坊っちゃん」より

  この下りを読むと誰の子供時代にもあるような腕白ぶりが見えてくる。私の過去を省みても似たような出来事が思い出される。そのひとつ、私が小学生の頃、家の大屋根に上がって親父に自慢げに声をかけたところ、親父は平静の口調ですぐ降りるように命じたが、屋根から下りると一変して恐ろしい形相で私を後ろ手に縛り上げ、さらに物置部屋の柱にくくりつけて長い間自由を奪ってしまった。
漱石の小説、坊っちゃんが現代の流行作家の作品と肩を並べて中高生の読書調査の上位に生き続けるのは、こうした誰にもあるような経験が痛快に描かれた親しみやすさではないかと思っている。                 このページから入った方はここをクリックしてください


道後温泉本館
霊の湯三階
個室席の半券

<道後温泉と坊っちゃん>
 道後温泉は3000年の歴史を持つと云われ、古くから偉人、墨客に愛されてきた名湯である。江戸っ子の漱石も松山の町を”猫の額ほどの町内”・・・、”田舎者はしみったれだ”・・・など何事につけ、みくびった感じ方をしているが、温泉だけは立派なものだと誉めている。
・・・・・おれはここへ来てから毎日住田の温泉へ行くことに決めている。
他の所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。・・・・・ 
小説では道後温泉ではなく住田温泉となっている。
・・・・折角来たものだから毎日這入ってやろうという気で晩飯前の運動旁(かたがた)出掛ける。ところが行くときは必ず西洋式手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭いが湯に染まった上へ、赤い縞が流れ出したので一寸見ると紅色に見える・・・・・
  この赤手拭いは温泉への行き帰りにいつも腰にぶらさげていたことから教場では”赤手拭い”のニックネームがついていた。そして三階霊の湯個室席で貸し出されたタオルは小説にちなんで赤の縞模様という拘りようだ。
 私が這入った霊の湯は神の湯に比べて小さいので坊っちゃんのように運動がてら泳ぐことはできないし、お湯の温度も43度と少し高めなので長くは這入っておれなかった。湯上がり後、浴衣を着て”上等”の部屋で呑むお茶と団子は格別の味だったし、坊っちゃんの世界に浸るには十分な雰囲気だった。         このページから入った方はここをクリックしてください

夜の道後温泉本館 早朝の道後温泉本館 坊っちゃんの間

明治27年、工期約20ヶ月、13万5千円という破格の予算で建造された本館は坊っちゃんが通った当時、築後1年の新築だった。そして”上等”の名で記した坊っちゃん愛用の間は今では霊の湯三階個室席の名に変わった。
・・・・・三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。・・・・・
< 道後温泉は餘程立派な建物にて八銭出すと三階に上り、茶を飲み菓子を食ひ、湯に入れば頭迄石鹸で洗って呉れるといふ様な始末、随分結構に御座候   明治二十八年五月十日 夏目漱石 >

当時八銭だった上等は現代は1240円、湯上がりにお茶と団子が運ばれ、80分の間個室席でくつろげる。
<・・・四日目に住田と云う所へ行って団子を食った。・・・・おれの這入った団子屋は遊郭の入り口にあって、大変うまいと評判だから、温泉に行った帰りがけに一寸食ってみた。・・・>

 団子は現代、坊っちゃん団子として道後温泉の名物になっている。町を歩けば赤シャツの名前を借りた喫茶店もあるし、ホテルのフロント嬢はマドンナの衣装、といった具合に道後は坊っちゃんにどっぷり浸かった湯の町なのである。ちなみに坊っちゃんの当時の月給は四十円だった。四十円の月給で上等は贅沢だと云われていた。三階西の坊っちゃんの間は公開され、漱石の若き日の写真や松山中学赴任当時の同僚教師の写真が額縁入りで飾られている。

湯籠と湯上がり後の団子
湯籠はホテルで借りた物
坊っちゃん団子は五串入り
が350円で売られていた。
私が使った個室席
4畳半の部屋に鍵付き
の押入(ロッカー)、浴衣
と赤縞入り手拭いを借りる
個室席の縁側から撮影
個室席の縁側に出ると
行燈がずらり、三味線の
音でも聞こえそうな雰囲気
うらなり(英語)、たぬき(校長)、のだいこ(画学)、赤シャツ(教頭)、漱石、漱石夫人、教師集合写真、山嵐(数学)

皇族専用浴室                 このページから入った方はここをクリックしてください

<又新殿>明治32年に桃山時代の建造物にならって破風造りで建てられた、日本で唯一の皇室専用浴室です。
玄関の間、御次の間に続いて玉座の間。武者隠しの間も設けられて警備に備えています。昭和25年、全国巡行の折りに昭和天皇がお使いになりました。

                 道後温泉本館入浴ガイドより

 又新殿と書いて”ゆうしんでん”と読む。昭和天皇、高松宮殿下、常陸宮殿下など各皇族方がお使いになった皇室専用の浴室である。壁や襖は金箔が貼ってあり、煌びやかな造りになっている。浴槽は庵治石(花崗石のブランド品)造り、厠は黒漆塗りだった。又新殿は専任の案内係の丁寧な説明がつくが撮影は一切禁止になっている。

霊の湯男湯
浴槽は花崗石(みかげ石)
時間内なら神の湯にも這入れる
写真はパンフレットから転載
霊の湯三階個室席
友人、ご家族向きに最適
浴衣と赤手拭いが貸し出される
写真はパンフレットから転載
霊の湯二階席
少人数なのでゆっくりくつろげる
団子とお茶に浴衣、赤タオルも
写真はパンフレットから転載

道後温泉本館はすべて木造の建物である。浴槽は庵治石(花崗石のブランド品)と大島石、壁は大理石と大変重厚だ。その為、浴槽はすべて一階に集められ、迷路のような廊下や階段を通って脱衣場に行く。霊の湯、神の湯とも男女各ひとつづつとなっていて、料金、時間はそれぞれ下表のようになってる。

道後温泉本館施設使用料
区 分 おとな こども 営業時間 利用時間
霊の湯 3階個室 1240円 620円 6:00〜22:00
(札止め20:40)
1時間20分以内
2階一般席 980 490 6:00〜22:00
(札止め21:00)
1時間以内
神の湯 2階席 620 310 6:00〜22:00
(札止め21:00)
1時間以内
階下 300 120 6:00〜23:00
(札止め22:30)
又新殿観覧料 210 100 6:00〜21:30
(札止め21:00)
案内時間内
椿の湯 300 120 6:30〜23:00
(札止め22:30)
1時間以内

道後温泉本館

神の湯二階席、浴衣、赤手拭いにお茶、団子が運ばれる。 玄関を入ったすぐの廊下は写真で道後の昔日がたどれる。 道後温泉本館、玄関に入場券を求める客は絶え間なく来る

<坊っちゃん列車>
 道後温泉本館から3分ほど歩くと道後温泉駅に出る。白塗りのモダンな駅舎は夜はライトアップでくっきり浮き上がって見える。駅舎の前には小さな蒸気機関車が停まっているが、たまに見えないときもある。1日に何回かは線路を走っているからだ。この列車、坊っちゃんが東京から赴任して来たその日、乗った代物である。ちょっとその断章を紹介しておこう。
・・・停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。・・・>
このマッチ箱の様な汽車は伊予鉄道路面電車の軌道を走る。実はこの機関車、動力はディーゼルエンジンで、形だけが蒸気機関車である。そして伊予鉄道は現存する地方鉄道の中で最も古い歴史を持つ鉄道会社なのである。

坊っちゃん列車 伊予鉄道、道後温泉駅 町を走る路面電車
<道後温泉駅>
伊予鉄道、道後温泉駅。明治から大正時代にかけて見られる外観がこの町によく似合っている。夜はライトアップされて夜空にくっきり浮かび上がる。駅前道路を挟んだ反対側には坊っちゃんからくり時計が建っている。8時から21時までの1時間ごとに小説、坊っちゃんの登場人物が現れる仕組みになっている。
 道後温泉駅 道後温泉駅 からくり時計

<子規記念博物館>
 私は松山市は2度目の来遊である。前回は松山空港に降り立ち、レンタカーを借りて真っ先に訪れたのが子規記念博物館だった。およそ12年前の3月18日のことである。その時に買ったセピア色の子規の横顔のイラストポストカードは今も自分の机の引き出しに大切にしまってある。2枚買ってその内1枚は道後館から妻宛にはがきにして送ったのだった。今回は時間の関係で入館は出来なかったが当時の建物の色、まわりの風景は変わっていなかった。ただ句碑の近くにあったミカンの木は無くなっていたし、隣接する道後公園の動物園も無くなっていた。今年の桜の開花は全国で東京が一番早かったとか。道後公園の桜が満開の頃、皇居の千鳥ヶ淵の桜は散り染めというかつて無い桜の開花状況であった。
 夏目漱石の生まれ年は慶応3年(1867)、同じ年に正岡子規も生まれている。子規は病気療養で松山に帰省していた頃、50日あまり漱石と同居し、漱石や高浜虚子ともに道後へ出掛けたと云われる。 

道後公園 正岡子規記念館 正岡子規の句碑

<石手寺>                 このページから入った方はここをクリックしてください
四国霊場八十八カ所、第五十一番札所、石手寺。仁王門は国宝に指定されている。その仁王門をくぐり右手に見える三重塔は重要文化財指定。境内は白装束、菅笠姿のお遍路さんが目につく。写真を撮るときはこのお遍路さんをうまく入れれば絵になる一枚になるだろう。道後温泉に来たなら松山城と共にお勧めの観光ポイントである。とは道後温泉で出会ったタクシー運転手の話。
ちなみに愛媛県内にある四国霊場札所は26カ寺だと聞いた。

石手寺仁王門 お遍路さんと境内 石手寺三重塔
石手寺本堂 石手寺鐘楼 石手寺境内

<松山城>
 松山市の中心部に小高い山があって、その頂上から市内を見下ろす格好で松山城がそびえ立つ。夜はライトアップしているのでその存在を一目で確認できる。平成十四年現在、松山城は築城から400年の歴史をもち、慶長7年(1602)から二五年の歳月をかけて築城された名城である。国の重要文化財に指定され姫路城、和歌山城ともに日本三大連立式平山城である。

扇勾配と呼ばれる
石垣のカーブ
美しい石垣と小天守閣 小天守閣の下から天守閣を望む

 戸無門は字のとおり扉のない門で敵は簡単に進入出来ることから油断が生じるという。筒井門は重厚な造りで次に隠門が控える。油断した敵陣をこの二つの門の間で迎え討つ戦略だという説がある。

戸無門 太鼓門 三層天守閣(松山城)

天守閣へたどり着くまでに一ノ門、二ノ門、三ノ門をくぐる。途中、防備のための櫓がいくつも見える。戦術的に考えられた門と櫓なのである。天守閣からは松山の市街がパノラマ的に見えるすばらしい眺めである。

二ノ門 天守閣内の展示物 天守閣からの眺望

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