富士五湖を撮りある記


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忍野村 河口湖 本栖湖 富士五湖

旅の序章
 
何歳になっても旅は楽しいものだ。ガキの頃、見学旅行や遠足の前夜はワクワクして眠れないことがあった。
 この年になっても、あと幾つ寝たら、今頃は山梨県上九一色村でカメラバックを背に、肩には大型三脚を担いで秀峰、富士山のロケ−ションを探しているのかな?などと、たわいないことを1週間以上も前から空想している始末である。
 妻は旅が好きであるが写真に興味はない。それでも私に同行する旅は、楽しみにしているらしく、春、夏の休暇の時期になると、「今度は何処へ連れて行ってくれるの?」と聞いてくる。だから旅をすることは、何の気兼ねもない。これは妻のお陰だと本当に感謝している

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地図をクリックするとサイズが大きくなります。  いよいよ待ちに待った4泊5日の旅発ちの日を迎えた。週間天気予報によると、低気圧が大陸から接近中とのことである。私はどうせ、菜たね梅雨の時期であるから、5日間の内で1日くらいは天気の悪い日もあるだろうと考えていた。
 富士山麓の風景は天候により、ガラっと変わってしまう。1年の内で富士山が最も綺麗に見える時期は
11月から3月までと言われている。3月下旬の今回の旅行は時期的に遅い。大陸からの黄砂と春霞の季節、それに天候も周期的に変わりやすい時期になっているからだ。でもこの時期にしか休暇が取れないのではしがたがない。
 中国自動車道、滝野・社ICから中央自動車道をひた走り、甲府南ICを出るまで休憩を4回とった。諏訪湖SAでは冠雪した八ヶ岳の山並みが諏訪湖を前景にして絶景を呈していた。夏には是非訪れたい候補地の一つである。
 出発から約7時間かかって甲府南ICを降りると精進湖道路を通って、上九一色村をめ
ざし、精進湖畔に着いたのは午後4時頃だった。

精進湖から撮る
 韮崎(にらさき)あたりから、前景に富士山を見ながら車を走らせていたが、精進湖から見る富士山は、残念ながら綿帽子をかぶっている。それでも肉眼で見ると、流石(さすが)に秀峰と言われるだけあって美しい。だが写真に撮ると、冠雪の白さと雲の白さで立体感が消えて、何でもない写真に写ることは想像していた。早くホテルにチェックインしなければと気持ちが焦る。でも折角だから精進湖から見る富士山を撮ろうと三脚をセットしていると一瞬、頂上部の雲が晴れた。こんな時は周りの人もシャッタ−チャンスなのである。千葉ナンバ−の若い2人連れの女性にシャッタ−を切って欲しいと頼まれる始末。お人好しぶりを発揮している間に再び雲が頂上部に巻き付いて離れなくなった。

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精進湖 本栖湖(五年前)
 結局、富士山の頂上部の雲は30分ほど待っても巻き付くように掛かったままで素晴らしい富士山に出会うことはなかった。それでも撮らなければと掻きたてるものは何だったのか。取材をするときはどんな状況下でも、まめにシャッタ−を切っておくこと。それは私が経験から学んだ教訓だからである。
河口湖第一ホテル前から
 精進湖から139号線を東へ20分ほど走ると河口湖南岸に出る。周囲は樹海が生い茂っていて、道路がカラマツ林を南北に分断している。カラマツが芽吹く頃は綺麗なことだろう。湖畔の桜は五月の連休の頃に満開になるらしい。河口湖はこの頃が最もいい時期なんだと思う。
 宿泊は北岸の河口湖第一ホテルをとっておいた。チェックインは午後5時、夕食は6時30分から部屋食でお願いして、少し時間があるのでカメラを持ってホテル前のロケハンに出た。
 海抜が1000m近いせいか外は少し寒い。昨日は外気温1℃、雪が舞っていたという。

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河口湖温泉郷 河口湖 5年前撮影
 河口湖の北岸からは富士山がよく見えるが、時間が遅いせいか光線が弱く、コントラストが低い。そんな撮影条件下でも、明日の天気予報は雨だから贅沢は言っておれない。せかせかと焦る気持ちで、ホテル前を少し歩いた所から何枚か撮ったのがこの写真である。
 左は窓から河口湖温泉郷を撮ったものだ。昭和40年代から50年にかけて河口湖町は、さらなる観光地化を目指して、温泉発掘に乗り出したが、掘り当てられず諦めていた。平成6年に民間会社が再度、発掘に乗り出し、この辺りに温泉を掘り当てたと聞いている。霊水の湯、霊峰の湯、天水の湯、芙蓉の湯と地区ごとに名前がついていて、河口湖地区は霊水の湯で、泉質が低張性・アルカリ性・高温泉である。

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河口湖第一ホテルの部屋から
河口湖第一ホテルでは、客室は富士山の見える側に全室配置してある。
 西日に照らされていた頂上部も、いつの間にか日没後の薄明かりで、薄紫色に見えるようになった。対岸に明かりが灯り、少し暗いかな?と思いつつ撮った写真が意外に雰囲気が出ていて良かった。雲が消えたのも幸運であった。写真は計算され尽くして結果を得ることは難しい。意外性は付き物である。

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河口湖第一ホテル 河口湖 河口湖の薄暮
 翌朝、おそるおそるカ−テンを開き、外を伺うと曇り空で今にも雨になりそうな空模様だった。お昼近くには案の定、荒れ模様になり山中湖では湖上から吹き付ける風で車の外に出ることもためらってしまった。富士五湖撮影の旅では富士山が見えなければ撮影意欲は半減してしまう。
河口湖第一ホテル&ザ・プラザスイ−トの全景はパンフレットから転載しました。
忍野村から翌日はホテルを出るとすぐに忍野村に向かった。忍野は富岳百景の一つに選定されており、茅葺き屋根の向こうに富士山を望むノスタルジックな風景が展開する。富士山の写真で、最も多く撮られているのは忍野であろう。雪でも積もったりすると早朝から大勢のカメラマンが集まって三脚で場所取りが始まるという。この日は曇天で忍野からは全く富士山が望めなかった。
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忍野の桂川(5年前) 忍野桂川(2000年) 忍野八海湧池
 5年前ここを訪れたときは前景に桂川、中景に茅葺き屋根の民家が3軒、遠景に富士山を組み合わせることができた。 今は茅葺き屋根がなくなっているではないか。年月の移ろいは確実に変わっていることを実感させられる。
 忍野村で有名なのは忍野八海である。富士山の伏流水は悠久の年月を経て忍野八海に湧出する。一説には溶岩の隙間を約80年をかけて八つの池に湧き出るとも言われる。これが忍野八海と呼ばれる所以(ゆえん)である。
前景の桂川は山中湖と忍野八海から流れる。水は澄んで冷たそうだ。全国の名水百選にも選ばれている美味しい水なのである。

忍野村の水車小 桂川 忍野八海
化は確実に進んでいる。観光客目当ての土産物屋が増え、家並みも近代的に立ち替わり、民宿も増えたように思う。昔ながらの原風景は観光用に作られた水車小屋や、茅葺き屋根が点在する程度になってしまった。ノスタルジックな原風景が失われていくことに、一抹の寂しさを感じるのは私だけではないと思う。
 忍野の湧池の畔に立つ茅葺き屋根の土産物屋では、山菜や野菜の漬け物が所狭しと並べられている。ここでは大根の切り干し漬けを数種類、土産に持って帰った。湧池の他に出口池、菖蒲池、濁池、お釜池、底抜池、鏡池、銚子池がある。
 忍野村をあとにして山中湖へと移動を開始。何とか持ちこたえていた天気も堪えきれなくなったように降りだした。山中湖の南岸一帯は他の湖とは違ってレジャ−ランド化が著しい。山中湖遊覧船やレンタルボ−ト、それに土産物屋が軒を連ねる。そうした風景の中、5年前に泊まった山中湖ホテルはとても懐かしかった。車を山中湖北岸へと走らせオ−ママ岬へ行ったが白鳥の姿はなかった。湖面が結氷する時期であれば白鳥が羽ばたく向こうに雄大な富士山を撮ることができたかも知れない。だけど今回はあいにくの悪天候でおまけに湖上から強烈な風が吹き荒れて車の外にでるのも辛い。そんな訳で2日目は富士五湖から富士山の雄姿を見ることができなかった。白鳥の遊覧船は5年前の撮影です。

西伊豆の旅は伊豆・踊り子街道の旅に詳しく出ています。是非ご覧下さい。
 山中湖をあとにすると中伊豆、湯ヶ島温泉へと移動した。
湯ヶ島温泉は小説「伊豆の踊子」、川端康成ゆかりの地である。著者が一高時代に初めて伊豆に旅行したとき、修善寺に1泊、湯ヶ島に2泊したと言われている。また、若山牧水や与謝野晶子など、多くの文人墨客に親しまれてきた温泉でもある。

 伊豆の旅については別メニュ−で紀行文として掲載しておりますので、どうぞご覧下さい。
 最終日の泊まりは愛知県の伊良湖岬にとっていた為、南伊豆最南端、石廊崎以外、観光することが出来なかった。松崎、堂ヶ島、戸田、黄金崎、大瀬崎など予定していた観光はほとんど素通りした。途中、南伊豆、石廊崎から西伊豆経由、沼津に抜ける途中、雲見から駿河湾越しに富士山を見ることが出来た。東名高速富士川SAでは綺麗な富士山が現れて幸運だった。
西伊豆 西伊豆雲見 富士川SA
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