芸予諸島、しまなみ海道をゆく

本州四国連絡橋 旅の随想 因島 村上水軍 生口島 西日光耕三寺 大三島、大山祗神社

 しまなみ海道は尾道〜今治を陸続きに結びぶ本州四国連絡橋ルートである。この連絡橋構想は昭和30年に持ち上がり、15年後の昭和45年に本州四国連絡橋公団が設立された。
  まず、児島〜坂出ルートが完成し、次いで明石〜鳴戸ルートが完成した。最後の尾道〜今治ルートの芸予諸島が架け橋で結ばれ陸続きになったのは平成11年5月だった。最初に完成した尾道大橋(昭和43年3月)の完成から30年余りの年月が経ったのである。
 尾道〜今治ルートは生口島、大島で未開通区間があり、そのために有料道路から国道317号に降り、次へ渡るときにまた有料道路へ上がる変則的なルートである。その為、全行程60キロ弱の距離の割にやや時間がかかる感があるし、通行する車もまばらで、時おり対抗する車に出会うといった感じである。全行程が有料道路で結ばれるまで、まだ暫くの紆余曲折があるものと思われる。
  橋は大三島橋の完成から最後の来島海峡大橋の完成まで20年かかっており、橋の形状もそれぞれに違いが見られるのは永
い年月における土木技術の変遷を見る思いがする。
橋の数は全部で10、その橋上から眺める風光明媚な島々は大小あわせると700余りである。その中でしまなみ海道が通る向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島は、インターチェンジがあって降りることが可能な島である。これら島々の観光ポイントをすべて回ろうと思うと一日や二日ではとても回りきれるものではない。まして瀬戸内の美しい島々を目の前にすると、つい寄り道をしたくなるのは写真の好きな私だけではないだろう。言っておくがしまなみ海道とは観光用につけられた名前でこのルートの正式な名称は西瀬戸自動車道である。2002年3月26日、私は道後温泉への旅の途中だった。尾道側から愛車エスティマを走らせ今治側まで渡る途中の島々に道草がてら立ち寄ってみた。因島では村上水軍城、生口島では西日光耕三寺、大三島では大山祗神社を訪れた。時間があれば瀬戸内を航行する船も、来島海峡のうず潮も見るはずだった。浜に出て磯遊びも面白いだろう。旅の途中に立ち寄るだけでは満足できない魅力的な海道である。

西瀬戸自動車道本州四国連絡橋(しまなみ海道)
橋の写真8枚は財団法人:本州四国連絡道路管理協会のパンフレットから掲
載しました

新尾道大橋 因島大橋 生口橋 多々羅大橋
大三島橋 伯方・大島大橋 来島海峡大橋 来島海峡大橋(夜景

西瀬戸自動車道通行料金
西瀬戸尾道〜今治(3区間)合計

生口島北〜生口島南間(約7km)大島北〜大島南間(約6km)は、未開通区間のため国道を利用

軽自動車等 普通車 中型車 大型車 特大車
4,200 5,250 6,250 8,600 15,350

旅の随想
 福山西インターを降り、尾道バイパスをしまなみ海道方面に進む。10分もしないうちに新尾道大橋にさしかかった。すぐそばにみえる向島との間の狭い水路は玉の浦と云われている。思わず車を止めて、景色を眺めていたい。そんな衝動に駆られるほど美しい景色だが車の流れが先へ進めと急がせる。
橋の真ん中あたりで尾道の小高い山に目が移る。2ヶ月前に訪れた千光寺の赤い塔がこのあたりから、はっきりと見えるからだ。
 「海が見えた。海が見える。5年ぶりに見る尾道の海は懐かしい・・・・赤い千光寺の塔が見える。・・・」
これは林芙美子の放浪記の断章である。私は1月に尾道を訪れている。それからおよそ2ヶ月ぶりに見る千光寺の赤い塔は本当に懐かしい。うらぶれた身体で東京から帰ってきた林芙美子の幻影が橋上から眺める街並みや赤い塔にだぶる。その想いを巡らしていると自身も昔くさい人間なんだと気づきながら・・・・私は旅愁をかみしめて橋を渡って行く。向島や因島は放浪記の中にもしばしば登場する。一度は島に降りて林芙美子が住んでいたいにしえの頃に近づきたい。そんなことを思うと日本列島は小さいと云えど、旅しても旅しても知らない土地ばかりなんだと云うことがわかる。
 暫くして因島大橋にさしかかる。私が20歳代の頃、因島出身の村上さんという方が同じ会社に勤めていた。彼は慶応出身で将来を嘱望される有能な方だった。その因島は村上水軍で名高い。もしかしてその子孫だったかも?という想いがよぎる。旅をしていると昔の思い出や新たな発見と感動が生まれるものだ。遠い昔を思い出していると、二度と帰ってこない出来事がはがゆい。それが旅愁をいっそう深く感じさせる。それは旅をしていて悲しいことでもなく、むしろ楽しいことなのである。
 しまなみ海道は生口島で未開通区間があるために一般国道をおよそ7kmほど走る。西日光と云われる耕三寺へお参りしたついでに島をほぼ1周してみた。島の海岸線は橋の見えるビューポイントがいくつもあった。それが次々に現れるものだからつい無精をして通り過ぎる。この次に写真を撮ればなどと思っているうちに生口島南ICに這入ってしまった。いい写真を撮ろうと思えば車から降りて三脚をセットすることを厭わず、こまめにシャッターを切ることを心がけなければ駄目だ。
 島には道の駅なるものがあちらこちらにある。柑橘類が驚くほど安く売られている。オレンジ色の網袋に伊予柑が12〜13個入って200円である。レモンと清見オレンジを合わせて両手に持てないほど買った。安くて美味しい伊予柑は地元のスーパーではありえない割安感だった。何故こんなに安く売るのだろうか??観光客を集めるためのサービスだろうか。赤字を出しても観光客が集まれば他に副次的効果がある。地域的な経済効果は包括的な取り組みの中で実現するものなんだと妙な方向に想いが移る。
 話の飛びついでにもうひとつ、丹波篠山(兵庫)はデカンショ節で名高い。最近では4町が合併し、全国で一番新しい市(篠山市)になったことでも有名である。その丹波名産品、黒豆が愛媛県の道の駅で売られていた。丹波篠山の黒豆は美味しいことは確かだが何処の農家でも作っている豆ではないか。それがこんな所で売られているなんて・・・丹波の黒豆とは全国に知られる名品だったのか??・・・私が篠山市を知らなさすぎるのか??まったく大きな驚きであった。

多々羅大橋 多々羅大橋 来島海峡大橋

因島、村上水軍城

水軍城の門 村上水軍城 村上水軍等身大の人形

 芸予諸島には大小合わせておよそ1000に近い数の島があると云われる。島は耕地面積も少なく、瀬戸内の早い海流を利用して物資の海上輸送に携わる仕事が発展していった。時代が進むにつれ、物資輸送を請け負う集団は小さな集団から統合され大きな集団へと変わっていった。村上水軍とは芸予周辺を物資の輸送で航行する船の水先案内や警護をして通行料をとり、瀬戸内海域に勢力を張る武装集団である。そして戦国時代に島々の要衝に城を築き、瀬戸内一帯を取り仕切る海の大名と言われた。その文化や伝統を伝える史跡として昭和58年に復元されたのが村上水軍城である。

生口島、耕三寺

孝養門 本堂 本堂裏の桜

孝養門の説明札 五重塔 救世観音大尊像

  生口島には耕三寺や向上寺など由緒ある寺院も多く、また画家の平山郁夫美術館も隣接しており、見所の多い島である。耕三寺は生口島出身の耕三寺耕三氏が母の死をきっかけに出家し、私財を投じて35年の年月をかけ築いた寺である。孝養門の絢爛豪華な造りは日光東照宮の陽明門を模しており、西日光耕三寺として名高い。浄土真宗本願寺派の寺で広い境内には五重塔、高さ15mの救世観音大尊像や飛鳥〜鎌倉時代の建築様式を模した建物が数多く建ち並んでいる。

大三島、大山祗神社

鳥瞰図の詳細

@本殿 A拝殿 B上津社 C下津社 D姫子邑神社 E神符所 F G南門
H北門 I神門 22 大楠 23 手水舎 24 社務所 26 宇迦神社 27 神池 28 神輿庫

  愛媛県大三島町は大山祗神社の門前町として栄え、神社周辺に美術館や大三島藤公園などの観光施設が集中する。大三島ICを降り、案内標識に従っておよそ7kmほど走ると土産物屋の大きな駐車場に隣接して大きな鳥居がある。ここから広い社叢(しゃそう:神社の森の意味)の向こうに大山祗神社本殿が祀られている。境内は原始から息づくクスノキの森になっていて天然記念物指定の大楠は樹齢2600年と言われるから驚きである。御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神にあらせられる。

神門 拝殿(奥に本殿) 大楠(天然記念物)

 

018794
1479959