
JTB旅物語に参加して、えりも岬、知床、釧路湿原列車、十勝平野、定山渓温泉などを旅した4日間の旅行記、知床の自然を復元する原始の森の回帰運動、苫前村三毛別の熊害事件を旅行記に織り交ぜて紹介します。
平成15年7月30日〜8月2日 JTBツアー 旅物語
知床自然センタ−
JTB旅物語スケジュール
| 目次 | 行 程 | お食事 |
| 1 | 伊丹空港ー女満別空港=オシンコシンの滝=知床五湖展望台=小清水原生花園 =網走湖畔温泉(泊) |
夕 |
| 2 | お宿=藻琴峠=硫黄山=摩周湖=塘路駅ー(釧路湿原列車・バスで 行けない湿原を走る)=釧路駅=十勝川温泉(泊) |
朝 夕 |
| 3 | お宿=(黄金道路)=えりも岬=新冠・サラブレッド銀座展望台=定山渓温泉(泊) | 朝 夕 |
| 4 | お宿=札幌市内車窓観光(大通公園、旧北海道庁)=新千歳空港ー伊丹空港 | 朝 |
宿泊地とホテル
| 宿泊地 | 宿泊ホテル | 住所 | 電話 | |
| @ | 網走湖畔温泉 | 網走観光ホテル | 網走市呼人23 | 0152-48-2483 |
| A | 十勝川温泉 | 笹井ホテル | 河東郡音更町十勝川温泉北15−1 | 0155-46-2211 |
| B | 定山渓温泉 | 定山渓グランドホテル | 札幌市南区定山渓温泉4−328 | 011-598-2211 |
旅の序章
我が家のワンちゃん
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| 愛犬(さくら) |
留守中のペットの世話をどうするか、その悩みは私だけではなく、多くの人が経験をされてきたことと思う。留守中の犬猫の管理対策としてペットホテル、ペットシッターなどがあるが近くて便利なところとなればどこにでもあるというものではない。それに知らない人には決して気を許すことがないワンちゃんはペットホテルなどに預けると大きなストレスを背負うに違いない。それを思うと簡単に他人に預けられるものでもない。家族同様に飼っているワンちゃんを我が子を迎えるような思いで預かってくれるところがないものか、・・・・考えさせられる旅になった。
女満別空港へ
雨の伊丹空港を飛び立つと飛行機は蒼鉛色の厚い雲を突き抜けて高度1万メートル上空に舞い上がった。雲上は夏の太陽がギラギラ照りつけているというのに機外下は雨雲がモクモクとどこまでも続いている。
そんな雲海の遙か向こうに北海道は見えるような気がしていた。・・私はサングラスを取り出してしばし雲海を眺めていた。およそ90分ほど飛んだだろうか、飛行機が高度をぐんぐん下げ、斜め前方、小麦色のなだらかな斜面の方向に機首を向けた。その前方に見える北海道の風景は収穫間近い小麦色と緑の丘、まるでパッチワ−クのような風景、旅はここから始まった。
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| 女満別の農場風景 | 雨の女満別空港駐車場 |
オホーツクの海沿いを走る |
7月30日は夏も真っ盛りである。私は旅行鞄からカメラとデジカメをサブザックに移し、ヤッケを着込んでバスに乗り込んだ。参加したツア−客は子育てを終えた年頃の夫婦がほとんどで子供連れはチラホラ数えるほどだった。満席の乗客を乗せたバスは雨の女満別空港を知床へと向かった。
知床へとバスは行く
馬鈴薯、ビ−ト、スイ−トコ−ンなどが青々と繁る農場地帯をバスは行く。7月末のこの季節、本州では稲作の水田が見慣れた風景である。
しかし道東を走っている限り稲作田を見かけることはない。
北海道の気候は梅雨がなく、稲作は冷害にも弱い。馬鈴薯など冷涼な気候を好む栽培に向いている。ひと目見て本州の稲作農業とは全然違う農村風景である。
視界に広がる農場に集落は見あたらない。どこまでも続くビートや馬鈴薯畑の向こうにポツリと人家がひとつ。お隣といえば農場の遙か向こうにポツリ1軒といった風景である。集落を取り巻くように田畑があるといった本州の風景とは趣を異にする。
北海道特有の情景を車窓に映しながらバスは知床へと走る。いつの間にか左手方向にオホーツクの海が広がる。私は石原裕次郎さんの「北の旅人」を思い出していた。まるで自分が北の旅人のような気分になって・・・
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| 農場風景 |
♪〜♪たどり着いたら岬のはずれ
赤い灯がつくポツリとひとつ
今でもあなたを待ってると
いとしいおまえの呼ぶ声が
俺の背中で風になる
夜の釧路は雨になるだろう♪〜♪
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| 知床さいはて市場 | 知床さいはて市場 | さいはて市場の前浜 |
目の前の海は厳冬期に流氷が見られ、流氷期にはオジロワシ、アザラシをウオッチングできる。
バスは暫く走ったあと知床さいはて市場に横付けされた。市場の前浜でとれるバフン(ウニ)は好評である。店頭に並んでいる物は海産物だけではない。メロンを売る男性は試食用を惜しげもなく食べさせてくれる。観光客は遠慮なく口いっぱいに頬ばる。私も一切れ頬ばって箱詰めされたメロンに目をやる。すかさず店主が「もうひと切れどうぞ」と試食を差し出す。
口いっぱいにメロンの甘〜い香り、う〜ん、旨い!・・迷うことなく5玉を買って宅配便で送った。
知床五湖展望台へ
知床半島、かつては深い原始の森で覆われていた。そしてそこには様々な木々が生い茂り、生き物の命を育んできた。
大正6年はじめて知床の森に開拓民が入った。開拓した土地5ヘクタールは5年後に自分の土地になるという制度があったのである。
この森に開拓民が入るようになると人々の生活を支えるため、巨木は切り倒され豊かな森が開墾されていった。しかし知床の厳しい自然環境は人間の住みつくことを拒み、寄せ付けなかった。大正10年開拓の人々はわずか3年でこの土地を去り、開拓の跡地は笹地となって残った。悠久の時を刻みつづけた命の輪が切れ、生態系のバランスは崩れかかった。そして1977年、この森が再び知床の森でありつづけるための運動が持ち上がった。それが100平方メートル運動、つまり開墾の跡地に茂る笹地を再び原始の森に回帰させる運動が沸き起こったのである。
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| 知床五湖展望台から見た 知床自然センターの方角 |
バスは海岸線から渓流に沿って山中に入っていく。崖下に見える渓流は秋に鮭が産卵のために遡上し、鮭を食べるヒグマも現れる。知床はキタキツネ、エゾシカなど野生動物をウオッチングできる自然の森なのだ。
観光用につけられた道路から見える開拓の跡地。そこは笹地となり、広い笹原のところどころに石積みの段差があって人の住み着いた開拓当時の跡が残っている。
そんな中、先を行く観光バスがポツンと停車している。動物ウオッチングをしているのだった。
後続のガイドが「左?・・右?・・どっちなの?」とトーンをあげる。
すると左手方向の笹地にエゾシカの群れが見えた。
エゾシカは個体数も多く、植林された若木や樹皮(イチイ、ハルニレ、オヒョウ、キハダなど)を食べる。そのための防護柵や樹皮食い防止ネットを施す。植林地に植えられる木はカラマツ、シラカバ、アカエゾマツ、トトマツなどでカラマツなど、もともと北海道に自生していなかった木も含まれる。開発された森を原始の森に復元するには幾多の困難と何世代もの年月を要するのである。
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| 笹地に咲く アキノキリンソウ |
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| 知床五湖のひとつが見える |
バスは知床自然センターに到着した。次の出発までおよそ30分間ある。私を含めた10人ほどがガイドのあとをついて笹原を200mほど分け入った展望台まで歩く。
なだらかな丘のほとんどは笹地でところどころに灌木がポツンと立っている。笹は痩せ地でも逞しく育つが野草は笹の勢いに押されてポツンポツンと見つかる程度だ。アキノキリンソウが十株ほど自生しているのが見えた。雨雲は低く垂れ込めて知床連山を覆い隠している。晴れた日なら羅臼岳(1661)や斜里岳(1547)が見えるはずだ。
そんな中でエゾシカの親子がのんびりと草を食べている姿があった。夏はは子育ての時期になる。望遠レンズを向けると窪みに姿を隠してしまった。
今夏の知床は熊の目撃情報が頻繁に出ているそうだ。トレッキングをするならしっかりした情報を聴いて出かけるべきだろう。知床自然センターのインフォメーションには熊に関する心得が写真入りでパネルにしてある。
そのうち1枚にエゾシカの死体に近づかないでと書いてあった。
要約を記しておこう。
春先になるとヒグマは厳しい冬を乗り越えられずに死ん鹿や弱った鹿を盛んに食べるようになる。エゾシカのように大きな獲物は一度に食べきれないのでその場で何日間も食べ続ける。食べ残した餌は土や落ち葉で隠し、その上に居座ったり近くに居続ける。隠された獲物は土饅頭(どまんじゅう)といい、人間などが近づくと餌を奪われまいと非常に攻撃的になる。
腐肉の臭いがしたり、エゾシカの死体、土饅頭らしきものが見えたらヒグマが近くに居ると考え、即刻その場を退散することが大切である。
知床は世界でも有数のヒグマ生息地である。心得としては、"ヒグマがいるかも"ではなく"ヒグマはどこにでもいる"と思わなければならない。
熊は人間の気配を感じたら熊のほうから遭遇を避けてくれる。ところが不心得なハイカ−や観光客が捨てた生ゴミ、ジュース缶などによって人間の食べ物の味を知るようになると逆に人間の気配に呼び寄せられるようになる。
つまり生ゴミやジュース缶などを捨てることはヒグマを人間の行動域に呼び寄せることになり、あとから来る人たちに非常に大きなリスクを負わせることになる。
ざっとこのような説明であった。
ヒグマについて
ヒグマは本州に生息する熊に比べて体も大きく、食性も雑食性と言われるが本来は鮭を好物とする肉食である。そのため人間を餌と思うところに本州の熊とは別の恐ろしさがある。
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| ヒグマ 体重360kg 身長2.50m |
成獣になると体重は400キロ近くなり、その太い前足と長さが5cmほどもある強靱な爪は牛馬の頸椎を一撃でへし折る威力を持っている。
開墾時代には北海道全土のおよそ85%〜95%にヒグマが生息していたと見られている。
その後、原野の開発と適正生息数の名のもとに駆除され生息数が激減、現代では自然のヒグマに遭遇することは非常に珍しいと言われるようになった。
しかし北海道の自然では前述のように熊はどこにでもいるものと心得なければならない。
熊害事件は知る人ぞ知る苫前村三毛別事件がある。
それは小説「熊嵐」(新潮文庫、吉村昭著)のモデルになり、「慟哭の谷」(共同文化社、木村盛武著)は戦慄のドキュメントとして出版されている。
熊害事件としては世界最大の事件であると言われている。
あらすじを紹介しておこう。
以下「慟哭の谷」(共同文化社出版、木村盛武著)による。
大正4年12月、冬眠を逸した1頭の熊が開拓民家太田家の軒下につるされたトウモロコシをアサリにくる。開拓村の山林に現れることはあっても民家の軒下に現れることはあまりなかった。心細くなった太田は連日現れる熊を迎え撃つ張り込みを地元のマタギに頼んだ。そして暗闇の中で銃を発砲したが逃げられる。それを境に熊はバッタリ姿を現さなくなった。
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| 知床自然センターのインフォメーション |
ある日、太田は開拓村の共同作業に出役して家には妻マユと幹雄(6歳)だけが留守をしていた。・・・・・・・・・・・
太田が昼飯に帰ると家の中は異様な臭気が漂い、その異変に気づいた。
呼べど返事のない幹雄は喉もとを鋭くえぐられ、顔下には血糊が盛り上がっていた。
妻は熊に一部を食害され、連れ去られた形跡だった。
子供の遺体を安置し、夜が明けるのを待った。妻の遺体を一刻も早く取りかえし、熊を撃ち取らなければならない。
その日の夜が明けると武器をもってマタギと一緒に裏山へ遺体の捜索に出た。歩きづらい新雪の山を登っているとトドマツの根元がしたたる血で染められている。そこには妻の遺体が無惨に雪の中に埋められていた。頭髪を剥ぎ取られた頭蓋骨と膝から下の足だけが残ってほとんど食いつぶされていた。熊は食い残した遺体を木の根元に保存したのである。
遺体の一部を取り戻し、夜になって通夜はしめやかに営まれたが参列者は9人だけだった。”熊は獲物があるうちは近くを離れない”と言い伝えで聞かされている開拓村の人々は恐れおののき太田家から500mほど離れた明景家に避難していた。
一方、通夜の席で供養の酒が振る舞われているそのとき、轟音とともに小屋が打ち破られ棺桶は蹴散らされて遺体が転げ回った。激しい熊の息づかいで気づいた誰かが「熊だ!!」と怒号に近い悲鳴をあげた。
熊は獲得した遺留物に執拗に執着する。遺体を取り返しに来たのである。
このとき日露戦争帰りの勇者が銃を放ったところさすがの熊も一目散に裏山の暗闇に消えた。太田家にいた参列者は「火を絶やすな、どんどん薪をくべろ!火を見せればどんな熊も逃げていく」と口々に言いながら近くの明景家へ避難していった。
”熊は火を恐れる”という誤った言い伝えを信じていた。
しかし、その後10数分と経たない内に取り返しに失敗した熊が避難先の明景家に再び現れたのである。逃げ場のない馬小屋同然のような小屋の中で悲鳴でのたうつ人々を怒り狂ったように覆い被さっては噛みつき、逃げるものを追いかけて鋭い牙と爪で襲いかかった。
およそ1時間にわたって着衣や髪の毛を剥ぎ取り、右肩、胸部、腹部、大腿部などを食い尽くし、妊婦にいたっては腹を引き裂いて胎児を引き出すなど熊の習癖と残忍さをまざまざと見せつけた。
この時の熊の襲撃によって4人が殺傷され3人が重傷を負った。胎児を含めると8人が犠牲になったのである。
この事件から熊に対するいくつかの教訓を知ることが出来る。
その1 熊は獲得した遺留物に異常な執着を持ち、それを奪うと執拗に取り返す行動を起こす。遺体の一部を取り返したあとも現場に居続けたことが熊を引きつけることになったと考えられる。
その2 火を恐れるという言い伝えは誤りである。熊は囲炉裏の火を蹴散らして襲撃している。また山岳パーティが熊の執拗な攻撃を受けた過去の事件でも熊が焚き火を恐れることはなかった。(福岡大ワンゲル部の熊害事件)
その3 手負い熊、冬眠を逸した熊、飢餓熊は凶暴性が著しい。熊は厳冬期に冬眠する。例外として冬ごもりに備えて十分な体脂肪が付かなかったり、ネグラになるホラ穴を持てなかった熊は冬眠しない。そんな熊は雪山での餌不足もあって攻撃性、凶暴性が非常に強い。
その4 食い残しを土中に埋めて隠す習性がある。このことからトドやエゾシカの死骸を見つけたら近くに熊はいるものと判断してその場を速やかに退く事が大切である。
その5 最初に覚えた食物の味に執着する。トウモロコシをアサリに連日民家の軒下に出没し、殺害した人肉は必ず食べている。このような熊は人間を餌と見ているので非常に危険である。
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| オシンコシンの滝 |
知床自然センターをあとにして、バスは網走に向けて走る。知床五湖のせめて二湖まで足を伸ばしたかったがツアーではそうはいかぬ。
車窓から見る風景だけでは思い出のひとコマすら撮れないが自分が今は知床にいるのだと思うと妙にそれだけで満ち足りた気持ちになっていた。しかもあと3日間もあるのだからこのあとはどんな感動と出会えるのだろうか。そんな期待感をもって心をときめかせていた。
バスはしばらくオホ−ツクの海沿いを走りオシンコシンの滝に立ち寄る。
国道に隣接する駐車場から少し入ったところ、エドマツが茂る森に落差と幅のある滝の流れが見える。落差およそ80mのこの滝は知床八景のひとつにかぞえられるが取り立てて感動を呼ぶものでもない。それでもバスを降りたツアー客は誰もが滝の直下まで歩く。そして滝をバックにして記念写真を撮りあう。ただそれだけのこと、またそぞろバスに戻っていく。ガイドブックで見るオシンコシンの滝を目の前にして誰もが北海道に今いることを実感する。
航空機で旅をするとここは本当に北海道かと疑いたくなることがある。それは旅の途中の変化がなく場面が唐突に変わるからだろう。
バスはこのあと網走に向けて走る。感動のないまま知床を後にするのが心残りである。知床の自然を心ゆくまで楽しむにはツアーでは限界があるようだ。
小清水原生花園
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| JR原生花園駅 | ハマナスの花 | 小清水原生花園 |
今宵の泊まりは網走観光ホテル。知床を出るとお宿に直行する予定だったが変更になり小清水原生花園に立ち寄ることになった。明日の旅程に余裕を持たせるためというのがその理由だった。
小清水原生花園はオホーツクの海沿い約8kmに広がる自然植物園である。
なだらかな起伏の砂地にハマナスやエゾスカシユリ、ヒオウギアヤメなど、40種類ほどの自然植物が自生している。
時間をたっぷりとって遊歩道を歩けばガイドブックに見られるようなエゾキスゲやエゾスカシユリの群生した写真が撮れるだろう。
ハマナスは実をつけているものが多く既に見ごろを過ぎている。そして夕刻を迎え薄暗くなり始めた原生花園はどんよりした雨雲に覆われて花の色も映えず、遠くに見えるはずの知床連山は大部分が雲に閉ざされていた。風景写真撮影が趣味の私には大いに心残りだった。駐車場横の小さな駅舎はJR原生花園駅といい5月〜10月の間、臨時停車駅となる。
網走観光ホテル
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| 網走観光ホテルの並木道 | 網走観光ホテル | 大広間まえの行灯 |
ホテルに到着すると陽もとっぷりと暮れて網走観光ホテルの赤いネオンが静かな佇まいの中でやけに目立っていた。フロントでは単独で旅をするときのような面倒な手続きもなく、車中で聞いた部屋割りに従ってキーを預かるだけでツアー客はそれぞれの部屋に入っていった。私は入館が遅かったこともあって夕食後に入浴することにし、大広間の夕食会場へと降りていった。大広間入り口には”えりも岬と知床・釧路湿原列車4日間”と書かれた行灯が灯っていて、それを見ると私は妙に旅情を感じてしまった。隣の大広間にも行灯があって別の客が入っているようだが、静かな夕食の様子からしてやはりツアー客なのだろう。見ず知らすの者が集うツアーの夕食ともなるとカラオケが聞こえるわけでもなく雑談が聞こえるわけでもなく、ただ食器の甲高い音のみがガチャガチャと五月蠅いだけである。食事を済ませるとどの客もそそくさと大広間をあとにした。
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| 湖畔のキャンパー |
旅での楽しみのひとつは露天風呂である。それは混浴などというものではなく日常の家庭風呂にない独特の情緒が感じられるからである。日本人が温泉旅行を好む理由のひとつは温泉独特の情緒があるからだろう。
岩風呂あり、洞窟風呂あり、自然の趣を取り入れた温泉の風呂は家庭では味わえない楽しみがある。
網走湖畔の温泉は泉温49℃、泉質塩化物泉で神経痛、腰痛、リウマチ、冷え性などに効能があり、展望大浴場、露天風呂がある。
湯にどっぷり浸かって夜空を仰ぐ。煩わしい煩悩から解放されて日頃の喧噪が嘘のようである。俺は旅をしているんだという実感が湧いてくる。
数年前のことである。信州、乗鞍高原の露天風呂で「年老いた母を連れて来ました」という男性のことを思い出した。
その男性の話に感動した私はここ3年来、親を三度温泉に連れて行った。
ただ、親ともなると困ることもしばしば起こる。
昼飯にレストランに入った時のことである。母が「量が多いから少し食べてほしい」という。「私だって自分の分で十分だし、そんなに食べられない」と断る。
それでも母はウェイトレスを呼んで「この子が食べるお皿を持ってくるように」と言っている。
「持ってこなくていいですよ」と私が口を挟むと「食べなさい!チャイッ!」と怒りだす始末。幾つになっても母にとって私は子供ということなのか。
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| ハーレーダビッドソン | 網走湖畔 | 網走湖畔 |
翌朝5時過ぎに目がさめると躊躇うことなくホテル周辺の散策に出た。
どんなツアーでも朝の出発前は自由気ままな時間である。私はそんな時間こそ大いに楽しめる時間なのだと思っている。
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| JR石北本線 |
昨夜はホテル外観も周りの環境も分からなかったが朝になって玄関を出るとホテルは小高い丘の上にあって眼下に網走湖があることがわかった。ホテルから一般道に降りる道は白樺の並木道になっている。
その並木道を大きくカーブしてダラダラ降りて行くとJR石北本線に交差する。延々と続くレ−ルの彼方を見てしばし佇む。きっとこの先が網走駅なんだろうなどと想像しながら線路をまたぎ、数十メートル歩くとそこは満々と水を貯えた網走湖だった。
芝生で整美された湖畔には天幕を張って野営している人たちが目立つ。どの天幕も大型のハーレーダビッドソンなど豪華な単車が横付けされている。この人たちは日が暮れたところがその日の野営地なんだろう。自由気ままな旅もいいな〜。
野営する人たちはまだ目覚めの前とあって早朝の湖畔は国道を走るトラックが時折りエンジン音を轟かせるくらいで静かな佇まいである。散策する人も私の他に40代くらいの中年夫婦ひと組だけで湖面のさざ波が物静かな風情をいっそう感じさせてくれる。人影もない早朝は風景写真を撮る私にとってシャッターチャンスなのである。
網走の街(第2日目)
朝食はレストランでのバイキングである。バイキングは長蛇の列を作って並ぶことが常、そのへんを心得て少し早めに並ぶことにしたがレストランまで降りるともうすでに5人が並んで待っていた。
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| 網走海鮮市場 |
バス乗車の席は日ごとにローテーションで替わる。体の不調を訴える者もなく、出発予定時間には全員乗車し、藻琴峠、硫黄山に向かう。まもなくバスは網走刑務所前でスピードをゆっくりにして走る。
網走刑務所は映画「網走番外地」のモデルになったことで有名になり観光名物になっているが今も現役の刑務所である。私はこの映画を見たけれど、いま覚えているのは高倉健が主演だったことと道産子が丸太で殴り殺せれているシーンぐらいである。
それに当時(1970年代)スタンドバー(今のスナック)のジュークボックスで健さんの網走番外地がよく流れていたことを思い出される。
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| JR網走駅 |
歌詞の3番は網走の特徴がよく詩われている。
網走番外地 歌:高倉 健
♪〜♪遥か 遥か彼方にゃ オホーツク
紅い真っ紅な ハマナスが
海を見てます 泣いてます
その名も 網走番外地♪〜♪
網走湖からオホーツクに流れる網走川を隔てた向こう岸に赤い煉瓦作りの塀が見える。そこにかかる一本の橋を渡ったところに刑務所がある。そこは映画、網走番外地として一躍有名になった刑務所である。ちなみに塀に使われた赤煉瓦は刑務所内で採掘した粘土を使って受刑者が焼いたそうだ。その数は150万枚、自分たちを収監する塀に使われることは知る由もなかった。
網走市には他にオホーツク流氷館、北方民族博物館、網走郷土博物館などの観光施設があるが立ち寄ることもなく、唯一立ち寄ったのが網走海鮮市場だった。オホーツクの新鮮な海の幸がところ狭しと並んでいるがどの客も財布の紐が堅い。ツアーは土産物屋への立ち寄りが多いのが難点である。
誰かが「こんな所で時間をとるより、観光で時間をとってほしい」と添乗員に文句を言っていた。ツアー旅行は安くで行ける。それは土産物屋から旅行社にリベートがあることにもよるのだろう。
やがてバスは広い道路に出てグ−ンとスピードを上げる。一夜を過ごした網走市街がどんどん遠ざかっていく。下車観光もないまま遠ざかっていくことがとても寂しい。
藻琴峠、硫黄山、摩周湖の観光
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| 藻琴峠 | 藻琴峠 | 藻琴峠 |
バスは緑の山と農場の風景を車窓に映しながら走っていたがいつの間にか濃い霧に抱かれた原生林の中を登っている。峠のでっかい駐車場でトイレ休憩をするがそこには珍しく土産物屋はない。ここは藻琴山展望台大駐車場だ。深い霧のため遠くの見通しがきかないが道路以外の原生林は人の手が入った形跡がない。周辺一帯は阿寒国立公園である。バスを降りるとこの日(7月31日)関西では暑さの盛りであるというのに4月頃の曇り日のような肌寒さえ感じる。そして背筋を伸ばしマイナスイオンを胸いっぱい吸い込む。晴れた日ならば、素晴らしい眺めの向こうに屈斜路湖が見えるだろう。深い霧に被われて眺望は全くだめだった。摩周湖と屈斜路湖のふたつの湖を分け入るようにバスは硫黄山の麓に下りていく。
硫黄山(アトサムブリ)
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| 阿寒国立公園硫黄山 | 長寿のタマゴ | 阿寒国立公園硫黄山 |
樹木のない荒涼とした山から噴煙が立ちのぼる。アイヌ語でアトサムブリ(裸の山)と呼ばれるように酸性ガスの噴出する周辺は樹木が生育しないので丸裸だ。
まるまるハゲ山かというとそうではなく頂上部から尾根づたいにハイマツの緑が見える。噴煙が立ちのぼるところは硫黄が析出して岩石が黄変している。独特の硫黄の臭いが鼻を突く。その麓で温泉たまごを売る人が「たまご、たまご、たまご〜〜」とハンドスピーカを片手に大声を出している。その声が荒涼とした風景によく似合っている。温泉たまごひと袋を買い、写真を撮らせて!と頼んだら気持ちのよいVサインをしてくださった。ちなみにこのたまごは長寿のたまご、ひと袋(5個入り)400円だった。
摩周湖
バスは国道381号線から観光道路にそれて摩周第1展望台に向かう。摩周湖は火山の地殻変動によってできたカルデラ湖である。
その大きさは周囲20km、最深部およそ200m、世界有数の透明度を誇る。周囲から湖に注ぐ川はない。つまり水質の汚染はすべて酸性雨など地球環境の汚れということになる。地球環境の変化を調べる上で摩周湖の担う役割は世界的にも学術的にも大きく、国連の環境監視拠点に登録されている。
バスは摩周第1展望台に到着し、下車するなり私は展望台へ急いだ。
しかし展望台は濃い霧に包まれ足下のクマ笹や雑木が生い茂る向こうはまったく見えなかった。霧は微風に乗って生き物のように動いているのがわかった。
そうした中、数秒ほどの短い時間だったが摩周岳とその麓の湖面が見えた。まったく不意をつかれた私だった。レンズキャップをはずし、PLフィルターを装着するなどバタバタしている間に再び深い霧に閉ざされてしまった。惜しい!・・一瞬のシャッターチャンスだった。霧に閉ざされてめったに姿を現さない摩周湖。神秘の湖と言われる所以(ゆえん)だろう。
歌手、布施明さんの歌に"霧の摩周湖"がある。
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| 霧に閉ざされたの摩周湖 |
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| 摩周湖 |
霧の摩周湖
作詞 水島 哲
作曲 平尾 昌晃
唄 布施 明
♪♪霧にだかれて しずかに眠る
星も見えない 湖にひとり
ちぎれた愛の 思い出さえも
映さぬ水に あふれる涙
霧にあなたの 名前を呼べば
こだませつない 摩周湖の夜
あなたがいれば 楽しいはずの
旅路の空も 泣いてる霧に
いつかあなたが 話してくれた
北のさいはて 摩周湖の夜♪♪
塘路駅
摩周湖は霧に煙って全貌を現すことなく期待はずれだった。私にとって襟裳岬、釧路湿原、摩周湖は今回のツアーの大きな関心事である。それはツアー旅物語に参加する動機としても十分な関心事だった。しかしそれが期待はずれであっても、それが時を変えて北海道を再び訪れる動機になるならそれも良しと妙に納得して不運だとは思わなかった。美しい風景を写真に撮ることが旅の目的と言っても過言ではない私にとって本来は大きな失望なのだが失望と感じないのはこれから行く釧路湿原への期待感が失望を打ち消しているからだろうか?。
摩周湖をあとにして湿原列車の乗車駅、「塘路駅」へ向かう。釧路への移動の車中、私は丹頂鶴が湿原に優雅に舞う姿や、長いクチバシを天高く突き挙げた求愛のディスプレイを想像して撮影イメージをどんどん膨らませいた。
空想で想いを馳せるのも時間の退屈を忘れさせてくれる効果がある。
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| 塘路駅駅舎 | 塘路駅駅舎 | ミニ動物園のエゾシカ |
国道391号線を南下し、標茶(しべちゃ)を超えるとシラルトロ湖に入る。この湖の冷泉橋付近は厳冬の季節も凍ることなく、オオワシや白鳥などの水鳥の楽園になっている。一帯は釧路湿原国立公園になっていて広さ18,290haの日本一広い湿原である。左手に塘路湖を見るとまもなく釧網本線の塘路駅になる。
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| シラルトロ湖 |
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| 塘路駅 |
湿原列車はここから乗車するが日本一遅いノロッコ号には乗車せず、普通列車に乗ることになってしまった。
塘路駅はログハウス調のモダンな駅舎である。駅舎の前庭に背の高い夏木立があって涼しげな陰を落としていた。真夏の太陽はギラギラ照りつけているが気温はそれほど高くなく、カラッ晴れた本州の5月中頃の季節感である。
駅ホームに隣接した草地にエゾシカ公園がある。列車を待つ間の退屈しのぎに立ち寄ってみた。
エゾシカはすっかり人慣れして人間が近づくと歩み寄って餌をおねだりする。
およそ1時間ほど駅舎の周辺で時間をつぶし、列車の到着時間が近づくと駅舎内に入った。そこは喫茶店になっていて香り高いコーヒーの芳香が漂い、直射日光から遮られた爽やかで涼しい空間だった。同じツアー客が何人か止まり木に座って列車の到着を待っていたが私は改札口を抜けてプラットホームに出た。気の早い老紳士と若い女性の二人が列車の到着を待ちわびて佇んでいた。
塘路から釧路の風景
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| 釧路湿原を歩く人たち | 湿原列車の最後尾から | JR釧路駅 |
湿原列車のダイヤを見間違えてノロッコ号に乗れなかったこともあって車窓から眺める風景は一瞬のうちに視界の外に流れ、満足な写真は撮れなかった。
十勝川温泉
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| 笹井ホテル |
十勝川温泉は十勝平野の真ん中にある。周辺は北海道ならではのスケールの大きい風景とグランドホテル雨宮館、ホテル大平原、笹井ホテルなど高層の大きなホテルが点在する。
散策すれば道産子の放牧や大きな花時計公園はあるが温泉地らしい大人の社交場はほとんどない。飲みたいのならホテルの中で楽しめるようになっている。
そんな中、BARサハリンの看板を見て妙に北海道らしさを感じてしまった。
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| 十勝川温泉の雰囲気 | ホテル周辺の道産子 | 十勝川温泉風景 |
襟裳岬
島倉千代子さんの歌、襟裳岬に”風はヒュルヒュル波はザンブリ子”とある。ここは風速10m以上の風が1年に290日を超える我が国有数の強風地域である。
この強風が岬周辺の緑を奪い、海を濁らせ、かつては荒涼とした風景だったものを人々のたゆみない努力によって現在の風光明媚な襟裳岬があるといってよい。
また風のない日は海からの暖かい空気とと山の冷たい空気が入り混じって霧の発生が多い。この日は風がない分、霧が濃くて岬らしい写真は全く撮れなかった。
写真その1〜2は海側を見て撮ったものであるが、海らしいものは濃霧のために全く写っていない。
岬には島倉千代子さんや森進一さんの歌碑や風の館、風力発電の塔などがあって岬のロケーションに違和感なくとけこんでいる。
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| 襟裳岬その1 | 襟裳岬その2 | 襟裳岬その3 |
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| 襟裳岬その4 | 襟裳岬その5 | 襟裳岬その6 |