カルピス世界名作劇場編(その2)


ペリーヌ物語
 フランスに向かう旅の途中で父母に死別し、ロバのパリカール・愛犬バロンと共に祖父のもとに向かったペリーヌはその勇気と明るさで問題を次々と克服し、心を閉ざしていた祖父ビルフランの愛と信頼を得て幸せになるという物語。
この作品は特に後半部分がおもしろい。
ビルフランの工場のあるマロクールに着いたペリーヌは孫である事実を隠して、工場で働き始める。貧しさの為もあって女工寮を出て池の中島にある小屋で一人暮らしをしていたペリーヌは魚を釣り野草を料理し、ナベや下着・靴に至るまで自分で作りあげる。しかし、そこに貧困の暗さはなくその状況に楽しんでさえいるのだ。
女工→通訳→秘書とどんどんビルフランに信頼されていくが、ペリーヌの素敵なところは自分の幸せだけを望むのではなく、常に他人を思いやる気持ちを忘れないことである。ビルフランの幸せ、工場で働く人々の幸せはどうすれば一致するのかを心をこめて考え、訴えかける。やがて、氷のように心を閉ざしていたビルフランは工場の利益を働く人々の為に使うことを決心する。孫であるという事実を隠したままでのペリーヌの訴えにビルフランが心を動かしたのはなぜか?そこに、深い愛情と熱意を感じたからである。そして、ペリーヌが孫であったと知ったビルフランはその幸せを神に感謝し、その幸せを更に人々に分け与えようとするのだ。
愛と勇気がみんなを幸せにする……心に残るハッピーエンドの名作は何度も再放送を見てしまうもので、他の作品よりは記憶が鮮明である。

赤毛のアン
 孤児院からグリーンゲイブルスに住むマシュウとマリラの元に男の子が来るはずの日、駅で待っていたのは赤毛でそばかすの女の子だった。ここから物語は始まる。
アン・シャーリーは空想好きでおしゃべりな女の子だったが、その赤毛とそばかすに激しいコンプレックスを持っていた。
ある時、アンは一人で想像してみる、「もしこの髪がダイアナのように美しい黒髪だったら…」そして、怪しい毛染め薬で自分の髪を染めて、緑色の世にも恐ろしい髪になってしまう。マリラに叱られるアンを見て大笑いしたような…しかし、誰にでもそんな覚えがないだろうか?太っていることをからかわれた日の夕飯を食べずに部屋に閉じこもったり、「ブス」と言われて鏡の前でため息をついた想い出が。
アンはそのコンプレックスをバネにどんどんと自分の人生を切り開いていくのだ。その成長ぶりがプリンスエドワード島の美しい風景をバックに感動を呼び起こした。

トム・ソーヤの冒険
 トム・ソーヤの冒険という題名でありながら私はハックルベリーの方が好きだった。
通称「宿無しハック」は、町のガキ大将であるトムよりも常に逞しく自立しているように思えたからかもしれない。
アニメとは関係ないが、東京ディズニーランドにトム・ソーヤの島がある。 桟橋から「ベッキー・サッチャー」と書かれた筏に乗ってその島に渡ると、インジャン・ジョーの洞窟や吊り橋・砦・水車などがあり、木の上にはトム達の隠れ家があったりしてトム・ソーヤの物語の世界が再現されている。
今度ディズニーランドへ行ったら、この隠れた穴場を捜してみては?

ふしぎな島のフローネ
 オーストラリアに向かう船が嵐で座礁し、救命ボートに乗り遅れたロビンソン一家(父母と兄フランツ・フローネと弟ジャックの5人)は近くの島にたどり着き、智恵と勇気を振り絞りこの島で必死に暮らしていく。
わずかな武器と道具で食料を調達し、木の上に家を建て少しでも豊かな暮らしをしようと畑を作ったりもする。
博識な父は森で色々な物を捜してくる。蝋燭の木の実を煮て蝋燭を手作りしたり、ゴムの樹枝で靴を作ったり、パンの実を焼いて食べたりと次はどんな物が出てくるのかわくわくしながら毎週の放送を楽しみに見たものである。
そして、この作品のなかでも忘れられない動物が「メルクル」という名のプチクスクスである。つぶらな瞳がかわいい一家のアイドルとして、また末っ子のジャックの遊び相手として登場する。
この一家にはジョンという犬がペットとして居るのだが、やはり子供向けアニメにはかわいい動物が欠かせないということかもしれない。

 さて、実は私の想い出の中のカルピス名作劇場はこれで一旦終わる。
この後、シリーズとしては「南の虹のルーシー」「私のアンネット」「牧場のカトリ」と続くのであるが、そろそろ年頃になってしまった私はどうやら別の番組を見ていたらしい。ただ、その番組がなんだったのかはもう思い出せない。
しかしながら、この後「小公女セーラ」で何故か復活している。

小公女セーラ
 お嬢様学校「ミンチン女学院」に転校してきたセーラは、父が事業で成功したことにより得た財産目当てのミンチン校長からも、またその優しい性格から出来た学院の友達からも王女様のように扱われていたが、突然の父の死により下働きの身となってしまう。
以前からライバル視していた同級生ラビニアとその取り巻きのいじめにも耐え、優しく清らかな心を持ち続けるセーラにはNHKの「おしん」や後に一世を風靡することとなる「家なき子」の安達裕実に通じるものがあるような気がするのは私だけであろうか。
ただ、おしんやすずが自力で自分の進むべき道を切り開くのに対して、最後にはお金持ちになった父の友人の手により再びプリンセスのように幸せになるという「他力本願的ハッピーエンド」になるあたりが夢見る子供心をくすぐった作品といえる。

 ここまでの作品を並べてみて、ふと気づく方もあるかと思うが多くの主人公達に共通の境遇がある。
 それは、両親または母親がいないことである。
 ハイジは両親の死後、デーテおばさん(母の妹)によって育てられた後、おじいさんに引き取られている。 フランダースの犬のネロも両親の死後おじいさんと暮らしている。 マルコの場合は死別ではないが、行方不明の母を捜すこと自体が物語の中心となっているし、ラスカルを飼っているスターリング少年も物語の途中で母親が亡くなるし、またペリーヌは旅の途中で父・母が順に亡くなっているし、赤毛のアンに至っては孤児院からグリーンゲイブルスに引き取られるまでに里親を転々としている。 トム・ソーヤは両親が居なくておばさんの家で暮らしているし、ハックルベリー・フィンはすでに両親というより身寄りそのものがないと言った状況だし、セーラは父の死が物語の転機ともいえる。
 わざとシリーズでそういう設定にしたのだろうか?それとも偶然か?それは私にもわからない。 ただ、一つ言えることは主人公の少年少女はそういった境遇にあっても常に希望を持ち続け、明るく前向きであるということである。 そのまっすぐな生き方を子供達に見せることが名作劇場のテーマであった可能性は高い。 そういう意味では無人島でも希望を捨てず元気いっぱいに生きていたフローネもまた、名作劇場のテーマに沿った作品といえる。

 子供達に夢と希望と感動を与え続けた世界名作劇場も時代の流れには逆らえずその歴史を閉じた。 私自身シリーズの終了を待たずして見るのをやめてしまったのだが、それは時間的な問題や嗜好の変化など様々な要因ではあったが、結局このシリーズを終了させてしまった人間のひとりともいえるのではないか。 もし、私の子供ができたら必ず見せたいと思う作品ばかりである。 今、再放送を見ても古臭さを感じないのはやはり世界の名作であるということと、このシリーズを作り子供達に生きていくうえでのメッセージを送り続けた人達の熱意が感じられるからではないだろうか。
 これから生まれて育っていく子供達に、こんなに心に残るシリーズを残してあげられなかったことが悔やまれてならない。