哀愁の宇宙編
宇宙を舞台にしたアニメには何故か哀愁漂う名作が多い。
「まだ、誰も見たことのない太陽系の外の世界には私たち以外の知的生命体が存在するに違いない。」誰もが抱くこの想いは、未知の世界への夢や希望とともに異星人への興味を超えた畏怖をも呼び起こす。
私たちが幼い日に抱いていた「宇宙への想い」は、そのままSFアニメの歴史とリンクしているように思う。ここでは、そんな哀愁の宇宙アニメをあげてみたい。
宇宙戦艦ヤマト
初期宇宙アニメはこの作品をおいては語ることは出来ない。
デスラー総統率いるガミラス星人による侵略により、地球は放射能汚染による滅亡の危機に晒されていた。そこに謎の美女(イスカンダル星の女王)スターシアから放射能除去装置を取りに来るようにとのメッセージが送られてくる。人類の運命を掛けてイスカンダルへと旅立つ事になったのが宇宙戦艦ヤマトである。
古代進、島大介、森雪など若者達の勇気や友情と愛情、艦長をはじめ全乗組員の使命感や情熱が命がけの宇宙の旅を支えていた。
毎週、番組の最後に「地球滅亡まで後245日」などと印字され、ガミラス星との厳しい戦闘を続けながらの旅は地球滅亡への期限が迫るとともに緊迫感が増す。ヤマトは本当に地球を滅亡から救うことが出来るのか。毎週ハラハラしながらテレビにかじりついていたものである。
最終回が近づくに従ってイスカンダルとガミラスが双子星であることや、死んだはずの古代進の兄守がスターシアに救われ、イスカンダルで結婚しサーシャという娘がいることなどが明らかになる。謎の美女スターシアはここまで人格が不明なままであるが、自らは女王としてイスカンダルと運命を共にしながらも夫(守)と娘(サーシャ)の命を救うに至って愛情豊かな女性であったことがわかり、異星人にも人類と同じような深い愛情が存在することを悲哀を込めて描いている。
最終回は地球帰還を目前にして、ガミラスの最終攻撃がヤマトを襲う。森雪が命がけで放射能除去装置を稼働させ、滅亡寸前の地球に帰り着く感動のラストだった。
ここで、素朴な疑問がある。なぜ、人類の運命を担っているのに乗組員は全て日本人だったのだろうか?
銀河鉄道999
機械伯爵の人間狩りによって母を殺された星野哲郎は機械の体を手に入れるため、亡き母の面影のある謎の美女メーテルと共にアンドロメダ行きの銀河鉄道999で旅をする。
機械の体にすることによって永遠の命を得るために旅をしている哲郎だが、途中の停車駅で様々な人達に出会うことにより「命」の意味を考え始める。
メーテルは何故黒い服を着ているのか?次第に明らかになっていく真実に、哲郎は限りある命の尊さを知ることになる。
ストーリーを盛り上げる主題歌も哀愁漂う名曲だったのでここに書いておこう。
汽車は闇を抜けて光の海へ 夢が広がる無限の宇宙よ
星の架け橋 渡ってゆこう
人は誰でも幸せ捜す旅人のようなもの
希望の星に巡り会うまで旅し続けるだろう
きっといつかは君も出会うさ 青い小鳥に
私は「人は誰でも幸せ捜す旅人のようなもの」という一節が特に気に入っている。
以上の2作品はともに「SFアニメの巨匠」松本零士の作品で、そのせいか共通点が多い。
まず、「主人公達が乗って旅立つ乗り物」についてであるが、戦艦と宇宙特急の差はあれども、その原型がレトロな乗り物である点である。「宇宙戦艦ヤマト」は太平洋戦争で日本が使用していた「戦艦大和」を引き上げて宇宙戦艦に改造したものであると物語の冒頭でも説明があったし、「銀河鉄道999」についても「D51型蒸気機関車」をモチーフにしていることは言うまでもない。物語の中では「999」以外の銀河鉄道が時折登場するが、その姿は「500型のぞみ」のようであり銀河鉄道全体が蒸気機関車タイプの車体ではないことがわかる。ここには作者の趣味が表れているようみえるが、そのレトロ感がストーリー全体に得も言われぬ憂いを漂わせることに効果を発揮している。
2つ目は「主人公達が目的地(終着駅)に一体なにがあるのかをはっきりと知らないままに、謎の美女に導かれて旅をしている」という点である。「宇宙戦艦ヤマト」は放射能の汚染による人類滅亡から地球を救う為に、敵か味方かも解らないスターシアのメッセージに藁にも縋る思いで旅立つ。「銀河鉄道999」では機械人間に迫害され、銀河鉄道のパスを手に入れることの出来ないで居た哲郎がメーテルというやはり謎の美女に「無期限パス」を貰うことにより旅は始まる。どちらの旅立ち方も一見無謀そうに見えるが、彼らが選ぶべき道は既に1つしかない状況に追い込まれている。しかも、その旅は希望に満ちたものではなく、後戻りのきかない「人類最大の賭(ヤマト)」「人生最大の賭(999)」となっているので長いストーリーの底辺にはに常に緊迫感があり、見ている者を毎週テレビの前に釘付けにする効果があった。水先案内人が「謎の美女」である意味は作者の趣味とも考えられるが、ミステリアスなストーリー展開にする効果と原作が少年誌に掲載されているため「美女」である必要があった為であると思われる。
3つ目に「物語は常に2つある」という点である。1つ目は物語全体の動きであり、ヤマトと999が旅をしている目的にある。2つ目は途中でおこるオムニバス形式のストーリーである。ヤマトは戦艦の中そのものが一つの社会であり、古代進と森雪の恋愛をはじめ艦長の死まで様々な物語が生まれる。「銀河鉄道999」では立ち寄る様々な星で繰り広げられる物語があり、その一つ一つの物語が主人公哲郎のメンタルな部分での成長を促し、ラストでの決断に多大な影響を及ぼしている。更に長編アニメのゆっくりとしたストーリー展開にオムニバス形式を取り入れることで、長編に飽きることなく毎回楽しむことが出来る。
このように、宇宙という壮大な舞台と綿密に計算し尽くされたストーリー展開に、絶大な人気を得て「宇宙戦艦ヤマト」も「銀河鉄道999」も続編が作られ、映画化までされたがやはり最初の作品が最も思い出深い。
松本零士の作品もこの他に「1000年女王」「キャプテンハーロック」などがあるのだが、私の中で「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」を超える作品は登場しなかった。特に最近はスペースシャトルの開発などにより、宇宙が「未知の世界」から「手の届く場所」へと変わってしまった為、見ている側の想像力の翼が大きく広げられなくなってきている。「一度旅立てば二度と戻ってこれないかもしれない」という危機感が宇宙アニメに哀愁を漂わせていたのだ。宇宙開発の進む現代社会ではもう「哀愁の宇宙アニメ」を見ることは出来ないのかもしれない。