アイスキュロスの「オレステイア」(芸術論02)

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アイスキュロスは、伝説の倫理的な吟味を我々に強いる。彼の悲劇においては多くの場合、正義に関する対立する二つの立場が提示され、物語によって問題点が鮮明になる。アイスキュロスの悲劇は現在7作品しか残っていないが、その中で最も有名な「オレステス三部作(オレステイア)」を取りあげてみよう。これは、『アガメムノン』『供養する女たち』『慈みの女神たち』の三つの悲劇からなる三部作である。

『アガメムノン』において、アガメムノンはミュケナイの国王で、ギリシア全軍を率いてトロイア戦争を戦った将である。今、トロイアで戦争が終わり、王妃クリュタイムネストラは、トロイアからギリシアまでの要所に準備されたかがり火の合図によって夫の勝利、帰国をいち早く知る。王妃は夫に殺意をいだいている。長女のイフィゲネイアは、10年前、戦争が始まる時に神への犠牲として殺され、その責任は王にあった。また、王妃自身、夫の留守中に愛人アイギストスを作っていた。王妃の殺意が暗示されるのはかなり後だが、観客はこの伝説自体を熟知しており、彼女が夫を殺すことは知っている。そこへアガメムノンが戻ってくる。迎えるにあたり、王妃はアガメムノンが足を地面につけることなく、紫の布の上を歩むようにと王に勧める。アガメムノンはためらう。紫は非常に高価で、そのような貴重なものを踏みにじることは神をも恐れぬ傲慢になるのではと感じるからである。傲慢を神は許さないだろう。だが、結局、アガメムノンは王妃の望みのままに、紫を踏みつけて王宮に入る。その時、自分がトロイアの王女カッサンドラを戦利品としてつれてきたことを告げる。これはギリシアの習慣には反していた。彼らは一夫一婦制を守っていたからである。王妃はしかしこの発言に特に反発することもなく、カッサンドラとコロスを残して二人とも王宮に入る。

カッサンドラはためらっている。彼女には予言の力がある。その力は彼女に自らの殺される運命を告げる。だがこの能力には一つ落とし穴があり、彼女の予言を誰一人として理解しないのである。予言を告げるとき彼女は忘我の状態になり、その言葉の意味は後にならないと分からない。ここでもカッサンドラは多くの過去の出来事を言い当て、ともに残ったコロスを驚嘆させるが、肝心の自らの運命、国王の運命の予言をコロスは理解しない。だがそれはカッサンドラにとって必ずしも不運ではない。アガメムノンは自分の家族、祖国の人々を虐殺したギリシア軍の総大将であり、その殺害は喜ばしいことである。彼女は復讐のために自分の運命を受け入れ、王宮に入る。

突然響きわたる叫びの声。コロスはためらう。どうすべきか? 自ら宮殿に押し入って事態を見極め、可能ならば王を救うべきか?ためらい無為に過ごすコロスの前に勝ち誇ったクリュタイムネストラが登場。エクキュクレーマという仕掛けのお陰で、室内の場面もコロスと観客の前にさらされる。そこにはともに入浴しているところに網を投げられ、からめられた上で斧で切り殺されたアガメムノンとカッサンドラの死体がある。クリュタイムネストラは勝ち誇り、愛人アイギストスとともに国を支配すると宣言する。コロスはアイギストスを激しく罵るが何もなし得ない。

三部作の第一部、『アガメムノン』はこのように展開する。このあらすじだけでも、ここにあるのが単に正義と悪の対立ではないことが分かる。クリュタイムネストラは単なる悪女ではない。彼女には彼女の正義がある。アガメムノンにもその理屈があるだろう。カッサンドラにとって、アガメムノン殺しは正義だが、クリュタイムネストラが殺すのは正義だろうか?

伝説が内包するこうした複雑さは、三部作の第二部、『供養する女たち』においてさらに鮮明になる。物語は第一部からおよそ十年を隔てたころ。クリュタイムネストラとアガメムノンの娘エレクトラが、娘たちのコロスとともに父親の墓に供養の水を注いでいる。そこで彼女たちは墓に捧げられた髪の毛を見いだす。それがエレクトラの弟オレステスのものだと直感する。オレステスは神アポロンの命令で、父の仇を討つために国へ戻っていた。エレクトラの助けを借りて、オレステスはまずアイギストスを討つ。しかし父の真の仇は母親クリュタイムネストラである。二人は対面し、母はオレステスを育てた乳房にかけて助命を訴える。

クリュタイムネストラ あああなた、私の大事な勇敢なアイギストス、死んでしまった。
オレステス この男を愛していると? では同じ墓穴に横たわることになるだろう。死んだ男をもう裏切ることはないだろうよ。
ク 待って、坊や、わが子、この乳房にかけて勘弁しておくれ、お前は良くここに頬をよせ、まどろみながら、やさしく養う乳を歯も生えぬ口で吸い付くそうとしたのよ。(893-898)

一瞬の躊躇の後、オレステスは母を殺す決断をする。

ク どうしても手にかけるのね。かわいいお前がこの母親を?
オ かあさんを殺すのはかあさん自身だ。僕ではない。
ク 母の怒りの化身の犬に気をつけることね。
オ これをやり残したら、父さんの怒りの犬からどう逃げられるんだ?
(中略)
ク ああ、私が産み育てたのは蛇だったんだ。
オ あなたが夢で見た恐怖は予言者だったんですよ。あなたは殺してはいけない人を殺した。あってはならない苦しみを受けなさい。(922-930)

二人は王宮に入り、オレステスは母親を殺害する。

コロスが喜びを歌った後、オレステスが再びエクキュクレーマで登場。母親とアイギストスの死骸を伴っている。だが、これで話は終わらない。凱旋の報告をするまさにその最中に、オレステスは恐ろしい幻を見る。それは醜い女たちの姿、蛇が衣にまつわりつき、オレステスに襲いかかる。この女たちは復讐の女神、自分の肉親を殺害したものに襲いかかり、彼を狂気にいたらしめるのが仕事である。女神たちに追われ舞台を走り去るオレステスとともに第二部は終わる。

この二つの悲劇で、アイスキュロスは伝説にまつわりつく曖昧な正義の問題を舞台の上で提示した。この伝説は、古い母系制社会から新しい家父長制社会への移行を正当化する伝説として解釈され、実際そうだったのだろう。伝説の結末は誰もが知っている。復讐女神に追われつつ諸国を遍歴した後、オレステスはアテナイに赴き、守護女神アテナに審判をあおぐ。アテナはオレステスに無罪の裁定を下す。古い母系制社会の名残りである女神たちは、あらたにアテナイの町の実りを保証する慈みの女神として祭式を受け、怒りをおさめることになる。第三部『慈みの女神』はこの審判を描いたものである。

だが、演劇としては、問題は相変わらず解決されたわけではない。父の復讐のために母を殺す、この行為は、ギリシア人にとって即座に受け入れられるものではない。事実、より後の、エウリピデスの多くの悲劇においては、オレステスは卑怯な悪人として描かれている。演劇は、ギリシア人が感じていた問題点を鮮明に舞台上に提示する、という役割を担う。それぞれの側にそれぞれの正義と悪がある。それだけではない。観客として、我々は第一部ではクリュタイムネストラの立場で問題を考え、第二部ではエレクトラ、オレステスの立場で考える。両者の正義も悪もパラレルなのだ。それが舞台で、類似した舞台効果を多用することで明らかにされる。倫理にかかわる問題の解決は必ずしも提示されてはいない。それは存在しないのかも知れないのである。

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