エウリピデス『トロイアの女たち』(芸術論05)

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講義では、『トロイアの女たち』をカコヤニス監督の映画によって紹介した。カコヤニスが、当時軍事政権下にあったギリシアから亡命した監督であること、もともとサルトルの翻案による『トロイアの女』の演出を手がけ、サルトルの戯曲自体、アメリカによるベトナム侵略への抗議を込めた反戦映画だったことからも分かるように、ここには侵略者に蹂躙される人々の時代を超えた悲劇が描かれている。

だが、紀元前415年に初演されたとき、エウリピデスのこの芝居は単なる一般的な反戦劇ではなかった。それは「メロス島虐殺」という、ペロポネソス戦争におけるアテネの大きな愚行の直後に書かれ、シケリア侵攻という、次の、そしてアテネの敗北をもたらすことになる最大の愚行をアテネが計画していた時期に上演された。この作品には戦争の具体的状況が反映している。

メロス島(ミロのヴィーナスの発見された島)は、南エーゲ海の小島であり、本来スパルタの植民市だったことから、ペロポネソス戦争にあたっては中立を維持してきた。アテネは使節を送り、アテネに従属するように求めた。このときの両者の交渉の様子をトゥキュディデスが伝えている(ただし要旨であり、正確な再現を意図したものではない)が、それによると、正義を求めるメロスに対してアテネの使節は次のように答えている。

「この世で通ずる理屈によれば正義か否かは彼我の勢力伯仲のとき定めがつくもの。強者と弱者の間では、強気がいかに大をなしえ、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱しうるか、その可能性しか問題となり得ない」(5-89)

(メロス側)「われらを敵ではなく味方とみなし、平和と中立を維持させる、という条件は受け入れてもらえないものだろうか。」
(アテネ側)「諸君から憎悪を買っても、われわれはさしたる痛痒を感じないが、逆に諸君からの好意がわれらの弱体を意味すると属領諸国に思われてはそれこそ迷惑、憎悪されてこそ、強力な支配者としての示しがつく。」(5-94/95) (翻訳は(以下も)岩波文庫のトゥキュディデス『戦史』中 久保正彰訳。ただし、表記等若干変更している。)

そしてメロス島の最期について、トゥキュディデスは次のように報告している。

「籠城勢はついに、アテネ側の意向に市民の処置一切を委ねるという条件で、自発的に降伏を申し入れた。アテネ人は逮捕されたメロス人成年男子全員を死刑に処し、婦女子供らを奴隷にした。後日アテネ人は自国からの植民五百名を派遣して、メロスに植民地を築いた。」(5-116)

このアテネの蛮行が、エウリピデスに『トロイアの女』を書かせる一つの原因になった。そこでは、(メロス同様)敗戦後男たちを皆殺しにされ、自らは奴隷となってギリシアに連れ去られて行く王族の女の目から、侵略者に対する怨嗟と嘆きが語られる。しかも、エウリピデスの『トロイアの女たち』でも、正義はトロイアの側にあるのだ。

舞台回しはトロイア王妃ヘカベ。彼女自身、絶望のうちに登場するが、この芝居は彼女の悲劇よりもむしろその娘たち、嫁たちの悲劇である。

最初はカッサンドラの悲劇。カッサンドラはトロイアの王女で、敗戦後アガメムノンの女奴隷としてアルゴスに連れ去られることになる。彼女はそこでアガメムノンとともに殺されるのだが、予言者である彼女は自らの運命を見通している。

「そのかわり、はっきり言いましょう。私たちのトロイアは、ギリシア人の町々より、もっと幸せだったのです。...だってそうでしょう、ギリシア人は、ヘレネたった一人を奪い返すために、万余の命を失ったではありませんでした。...スカマンドロスのほとりに上陸したギリシア人は、ひとりまたひとりとたおれて行きました、国境を守るためにでもなく、高い櫓の城市を敵襲から防ぐためにでもなく。...故国でも事情は変わりません。女は、寡婦となって死んで行きました。年寄りは、せっかく育て上げた息子を奪われ、自分が死んだとき、墓に血を注いで供養してくれるものが居ません。これに引き替え、トロイア人には、まずなによりも、祖国のために命を捧げたという大きな栄誉があります。槍にたおれた人々は仲間の手で家へ運ばれ、身内のものに埋葬の支度をしてもらって、父祖の地に抱かれて眠りました。戦場で命を落とさなかった人々は、日没とともに妻子のもとに戻れました。ギリシア人には叶うべくもなかったよろこびです。(365-393)」(岩波『ギリシア悲劇全集』7より、水谷智洋訳。表記には若干の変更がある)

次にヘカベの息子ヘクトルの嫁アンドロマケ。アンドロマケはまずヘカベの娘ポリュクセネがポリュクセネに惚れていたギリシアの英雄アキレスの墓前で殺されたことを告げる。くずおれるヘカベに、アンドロマケは生き残ったものの方が不幸かも知れないと述べるが、彼女自身の身を襲う不幸についてはまだ知らない。

彼女自身の不幸とは、王家の血をひく息子アステュアナクスの処刑である。ギリシア軍は王家の息子を生かしておかないことに決めた。一人抵抗するアンドロマケも、抵抗を続ければ息子の葬儀もない、と聞かされて諦めざるをえない。アンドロマケの嘆きの場面は、上演において演出家を悩ませるかもしれないが、見せ場の一つである。

「ああ、愛しいわが子よ、おまえはこのとしで、ひとかどの武将の扱いを受け、敵の手にかかって死ぬのです。哀れな母を後に残して。お父さまの高貴なお生まれは、他の人には救いになっても、おまえには死の原因となりました。...おや、涙をこぼしているの。おまえにも身の不運がわかるのかしら。なぜ、そんなにきつく、私の着物にしがみつくの、母鳥の羽根の下にもぐり込もうとする雛鳥のように。お父さまはもう、地面の下から、あの名高き槍を手にして、おまえを救けに来ては下さらない。...ああ、こうして抱きしめている可愛い坊や、この肌の甘い匂い、でも無駄だったのね。(740-758)」

アンドロマケが最後に、戦争の原因となったヘレネを呪うところから、物語の新しい面が始まる。次の幕は、ヘレネの運命である。そして、エウリピデスに顕著なもう一つの特徴、つまり詭弁的としか思われない理屈の展開は、この劇の中ではヘレネの扱いに際だっている。

トロイア戦争はヘレネがパリスとともにスパルタを出奔しトロイアに逃げ帰ったたことから始まる。ヘレネはトロイア人にとって戦争の原因であり、かつてはその美しさ故に男たちによって保護されていたが、今ではトロイアの女たちの怨嗟を正面から受けることになる。この芝居では、ヘレネがまず自分の正当性を主張し、ヘカベがそれに反駁し、ヘレネの処刑をかつての夫メネラオスに求めることになる。

ヘレネの主張はパリスが愛の女神アフロディテを伴っていた、ということであり、メネラオスがヘレネを残してクレタに出帆したのが出奔の原因だ、というものである。この主張は、五世紀のアテネでは知られていないものではなかった。ゴルギアスは演示弁論として、『ヘレネ擁護』を書き、その一つの根拠が神としてのアフロディテだったからである。確かにギリシア人にとって「愛」は一つの神だった。

だが、この理屈が通るなら、駆け落ちはすべて罪がないことになってしまう。ヘカベはその詭弁を見抜く。

「息子はたしかに、とびきりの美男子でしたが、その息子を見たおまえの心が「アフロディテ(情欲)」と化したのだ。人間の愚かな行いはこれみな「アフロディテ(情欲)」の故であって見れば、女神の名が「アフロシュネ(愚劣)」と同じ文字で始まっているのも当然のこと。」

興味深いのは、このヘカベの反論も、悲嘆にくれる女の必死の反撃にしてはとても詭弁的であることだ。特にアフロディテとアフロシュネの言葉遊びは、状況には全く不適切に見えるだろう。エウリピデスのこうした、弁論術、法廷弁論的な言説は、後代の人々にとってつまずきの石になるだろう。

しかし、われわれは、エウリピデスの時代が、いわばまだ「ミュートスからロゴスへ」の転換期であり、われわれにとって陳腐な詭弁に思われる論法も、当時の人たちにとってはかなりまじめなものであったことを念頭に置かねばならない。当時のアテネはいわば「ロゴスの力」を発見したところだったし、エウリピデスはその力をいたるところで利用していたのである。

さて、ヘレネは、弁論においては破れ、メネラオスはヘレネの処刑を約束する。しかしここでも間違えてはならない。神話ではヘレネはメネラオスとよりを戻すし、そのことは観客もよく承知のことだった。ロゴスにおけるヘカベの勝利はその場限りのものでしかない。映画では、自殺の振りをするヘレネをメネラオスが助ける、という原作にないシーンを加えることで、ヘレネが再びその美貌によってメネラオスを支配するだろうことを示していた。

アステュアナクスの殺害と埋葬が終わり、女たちがばらばらにギリシアへ連れ去られる時間が来る。トロイアに火が放たれ、ヘカベは絶望のうちにトロイアを去る。ヘカベの最後の台詞。

「ああ、ふるえが止まらない足よ。それでも歩みを進めておくれ。隷従の日々に向かって。」(1329-30)