アリストファネスの喜劇の大きな特徴は鮮烈な社会批判にある。『騎士』においては、当時アテナイの権力者だったクレオンと、彼を権力の座に据えている「民衆(デーモス)」が擬人化されて攻撃され、『アカルナイの人々』や、今日でもしばしば上演される『女の平和』ではアテナイが戦っていたペロポネソス戦争が批判される。批判や揶揄の対象は政治に限られない。『女だけの祭』では悲劇作家エウリピデスの女性嫌いが槍玉に挙げられ、『蛙』ではエウリピデスとアイスキュロスの悲劇のそれぞれが比較され、揶揄されている。『雲』では哲学者ソクラテスが詭弁家として罵倒に近い扱いを受けている。
こうした、直接の政治批判、社会風刺を特徴とするアリストファネスの前期の喜劇は「古喜劇」と呼ばれる。それはアテネの民主政の持っていた健全な力を反映したものだった。また、そこには喜劇(コーモーイディア)の語源とされる「馬鹿騒ぎ」(コーモス)に由来する下品で露骨に性的な仕草も多く見られた。戦争にうんざりした女たちがセックス・ストライキを決議しアクロポリスに籠城するという筋立ての『女の平和』では性器を膨れ上がらせた男たちが登場するし、同じく戦争に倦み、自分一人だけ対戦国のスパルタと休戦し、平和を満喫し大儲けする商人が主人公の『アカルナイの人々』では「ファロス崇拝」の祭祀が舞台上で展開される。
ペロポネソス戦争にアテネが敗れ、その経済力が衰えると、アリストファネスの喜劇も以前ほど直接の政治批判が中心ではなくなってゆく。この時期の作品としては『女の議会』、『福の神』が残っているが、女たちが議会を乗っ取って財産と男性の共有化を実現するという前者にせよ、正しく貧しいクレミュロスが盲目の福の神プルトスの目を開け、金持ちになるという後者にせよ、笑いの対象は一般的な制度や不公平であっても、特定の時事的な問題ではなくなっている。この時期の喜劇を指して「中喜劇」と呼ぶ。
ギリシア喜劇を代表する第二の作家はメナンドロス(342-292)である。メナンドロスの喜劇は、そのほとんどが失われていたが、今世紀に入ってから五本の作品が新しく発掘され、実際に上演もされるようになった。メナンドロスの喜劇はいずれも家庭内の問題を題材にしており、行方不明の子供たち、親子の関係、晩婚などが取り上げられている。この時期の喜劇は、「新喜劇」と呼ばれる。
そこには二つの影響が見られる。
第一は、テオフラストスの『人さまざま』という著作の性格分類の影響である。さまざまな(多くの場合は滑稽な)性格類型を定義したこの著作に影響されて、新喜劇は、人の滑稽な性格を類型として描き出すことを得意とした。ここには、ローマの喜劇において開花する「ストック・キャラクター」の萌芽がある。人間嫌いの孤独な農夫、恋する青年、けちん坊の主人、賢い下女や奴隷、ヘタイラ(水商売の娘)が中心になる。
第二は、アリストテレス『詩学』の影響である。アリストテレスは悲劇のプロットの中心に肉親間のパトスと認知を置いた。彼が『詩学』14章で最高とみなしたのは、無知からパトスが生じそうになるまさにその瞬間に認知がなされ、パトスが回避されるプロットだった。この種のプロットはエウリピデスに頻発する。『アウリスのイフィゲネイア』『イオン』などである。
そしてこのプロットがメナンドロスに代表される新喜劇では中心となる。このため、たとえばノースロップ・フライは、新喜劇を『オイディプス』のパロディと呼んだ。ただし、『オイディプス』との大きな違いは、認知がある種の必然にではなく、全く偶然になされていることである。
たとえば、10年ほど前に日本でも(シシリア、アグリジェントの劇団によって)上演された『サモスの女』(4/5ほど残っている)では、愛人が息子と密通し子供を産んだと誤解した父親が愛人を追い出すが、彼女が抱いていたのは自分のではなく隣人の娘の子供であり、息子の恋人はこの隣人の娘だった。偶然、真相に気づいた父親は愛人を呼び戻し、彼女は父親を許す。これはエウリピデスの『ヒッポリュトス』のパロディとでも言えるような物語である。
また、『調停者たち』では、男が娘と結婚するが、彼はその前に、祭りの夜、自分の結婚する娘を犯していた。ただしお互い、暗闇で相手の顔をよく見ていないので、相手をそれと認知しない。娘は結婚後、夫の旅行中に、レイプによって生まれた子供を遺棄してしまう。夫はそのことを知り娘を問いつめる。また、妻の父も、娘を家に連れ戻し、別の結婚をさせようとする。離婚寸前、賢いヘタイラの活躍で、レイプしたのが夫であることが判明する。一挙に話はハッピーエンド。捨てた子供を取り戻し、二人には息子が、妻の父には孫ができる。この喜劇では設定は確かに一種ありそうもない話だが、そこからの生じる物語は細部まで現実的。
古喜劇の社会批判は影を潜め、代わって人々の日常生活から取られた愚かさが滑稽に描かれる。台詞は韻文だがリアル。「メナンドロスと人生、あなた達のどちらがどちらの模倣なのか?」というメナンドロスへの賞賛の言葉が残っている。