このページは、西洋古典語の講義でテキストに用いている、水谷智洋「古典ギリシア語初歩」(岩波書店)について、教えている中で生じてきた疑問点を列挙してゆくものです。
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§41(対挌+不定法の構文の説明に関して)本文中の説明が「なお、不定詞の主語は、主動詞の主語と同一の時には表されない。」で、その課の練習6-5が、
oujk e[fh ei\nai
poihthv", ajlla; krith;" tw'n poihtw'n.
になっている。これでは本文中の説明が不足で、問題は解けない。この問題を解くには、
の二つを知らないと駄目。
練習6-9 Swkravth" ... ejkinduvneue to;n kivndunon.に「いわゆるcognate object」とだけ注がある。内的客語(同族目的語)の説明はここまでなく、巻末の索引を見ても見あたりません。ギリシア語の内的客語には、中性形容詞が用いられることがあり、その場合、ほとんど副詞的な意味になって、結構大切。
ここで気がついた、全体にかかわるかなり大きな問題としては、英語の文法用語が並記され、あるいはこの箇所のように英語しか出されていないのに、巻末に英語のindexがないこと。ある程度教師の補足に委ねるのに問題があるというのではない。ただ、練習問題の注に知らない概念が出てくるのはそれでも随分問題だろう。学生は予習している時にはcognate objectとは何か知らないのだから。
練習7-9 dia; tw'n hJdonw'n h[gagen hJ oJdo;" hJ ei\" th'n douleivan.の注「ここでは格言のアオリスト(gnomic aorist)と呼ばれるもので、過去に訳す必要はない」。
不親切。「格言のアオリスト」とはどんな意味を持ち、なぜ過去に訳す必要がないのかをひと言で良いから説明しないと学生には分からない。
§55 所有の与挌の例文 h\san de; tw'/ Kroivsw/ duvo pai'de". pai'de" 「子供たち」はまだ習っていない第三変化名詞。ヘロドトスの原文(1-34)をそのまま使ったためにこうした不都合が生じている(そうした例は数多い)第一・第二変化名詞にして何ら不都合はないだろう。
第三変化がやたら登場するところ。ただひたすら単語変化を練習する。ほとんど学生の記憶には残らないだろうと思うが、それは致し方のないところ。ただ、格語尾の一覧がどこかにあった方が便利かも知れない。
しかし、解説がほとんど学習者には意味がない。言語学的正確さはクリアしているのだろうが、学習に役立つ説明であって欲しい。
たとえば、
「4.単数呼挌については、閉鎖音幹では、通例、単数主格と同じであるが語幹が、-it, -id, -iqにおわるものと、-nt幹で単数主格がoxytoneでない語の場合は、語幹のまま。ただし、ギリシア語の単語は、ek, ouk (ouc)を除いてn, r, s以外の子音で終わることはないから、aspid-, carit-, geront-などでは、幹末の子音が落とされて、aspi-, cari-, geron-となる」(p.36)。
の意味が分かる人がいるだろうか? 結局「-it, -id, -iqにおわるものと、-nt幹で単数主格がoxytoneでない語の場合は」単数呼挌は語幹から最後の子音を取る、と言っているのではないか?
比較的問題が少ない。細かい疑問が二つ。
関係代名詞の説明で大きな問題が一つ。
練習11-10 oJ crovno" ejsti;n ejn w|/ kairov", kairo;" ejn w|/ crovno" ouj poluv".
は、この課の説明からは、「その中にチャンスがあるような時間は存在するが、その中に時間があるようなチャンスは多くない。」という風にしか解けず、後半はともあれ、前半は意味不明。
これは、関係代名詞の先行詞が指示代名詞の場合、特に強調する場合以外は省略される、という説明が抜け落ちているためで、実はこの文章は
oJ crovno" ejsti;n ejkei'no" ejn w|/ kairov", kairo;" ejn w|/ crovno" ouj poluv".と同義であり、「時間とはその中にチャンスがあるものだが、その中に時間のあるチャンスは多くない。」という意味である。
指示代名詞の先行詞の省略はたとえば松平・田中の『ギリシア語文法』(岩波)では格の同化の場合に限るかのように説明してあるが、そうとも限らないのは、他にo}n (=ejkeino" o}n) oiJ qeoi; filou'sin ajpoqnh/viskei nevo"という文にも明らかである。この場合、古川『ギリシア語辞典』のの説明のように省略された先行詞が関係代名詞に同化していたと考えることが出来るだろう。
このテキストで指示代名詞の先行詞についての記述が抜けているのは、指示代名詞そのものがまだ未学習だからだが、指示代名詞の前に関係代名詞を学ぶのはちょっと非常識ではないだろうか?
で、指示代名詞。説明に特に問題は感じられない。ただし、この課の説明からだと
練習12-1 tiv ejsti oJ filov"; a[llo" aujtov".
は「友人とは何か? 他人そのものだ。」としか理解できないという欠点はある。「別の自分」という意味を理解させるにはそれなりの注が必要。
母音融合動詞の現在および未完了過去の説明だが、なぜここまで後回しにしたのかが不明である。一般動詞の現在・未来形を学ぶ第五課ですでに
「動詞幹が短母音に終わる動詞では、未来形をつくるとき、時称接尾辞σの前でその母音が長くされる。」
という解説があり、母音融合動詞が紹介されているのである。その課の説明を読むかぎり、母音融合動詞の現在形は、他のω動詞と同様に変化すると理解せざるを得ない。アオリストに関しても同様の説明がすでになされている。
教師の側は、母音融合動詞の現在形・未完了過去形が特殊な変化をすると知っているのでこの説明を読んでも違和感はないが、学生はそんなことは知らないのだ。...などと小難しいことを言わなくても、現在形の活用をアオリストや未来よりずっと後にするのもちょっと非常識ではないだろうか。
私は自分の授業では岩波の「古典ギリシア語初歩」を使っています。これは、週一度、一年間の講義で何とか終えることが出来るなかで一番まとまった教科書だと思うからです。上記の問題にしても、一方ではコンパクトに収めるための工夫であることは分かります。しかし、教える側で、かえって手間が増え、簡単に済まないことがあった経験からの批判だとご理解くだされば幸いです。
他方、ギリシア語文法をきちんとやるための一番のテキストは、岩波全書版の「ギリシア語入門」であるという指摘をしてくださる先生もいらっしゃいました。それはその通りでしょう。しかし、この入門書は少なくとも私の講義では採用できません。それはこの入門書に問題がある(あわわわ...)という意味ではなく、上記の条件を満たしていないためです。この条件にこだわらない立場でギリシア語を教えることが出来るなら、私もこちらを採用するでしょう。
貴重なご意見として、岩波全書版の「ギリシア語入門」は、半分程度「あげた」だけでも、簡単なものを読み始めることは出来るし、「一冊あげる」必要はないのではないか、というお話がありました。もっともだと思います。私が「古典ギリシア語初歩」を採るのは、あくまでうちの大学の規模、ギリシア語教育の必要性がどこまで認められているか(週一こま、一年間だけ、かつ、それを補う購読の講義は設定されていない)学生の意欲と学力(これに関して私には何の不満もありません。大学生活上も、社会に出てからも、ほとんど必要になることのないだろう言語を一年かけて必死で習得しようとしている学生の姿は、むしろ自分が見習うべき鏡だと思っています。。。ホントダヨ。でも、国立の先端校の古典学科の学生に教えるように教えることができないのも、言うまでもないことでしょう)を考えると、せめて一冊「あげた」という満足感を学生には与えたいと思います。その後で、学生の必要に応じて、ヴォランティアゼミでの購読も考えたいのです。
上記の理由とは別に積極的にこのテキストの良いところだと思う点が二つあります。この点を強調しておきましょう。