現代ギリシア語研究入門2-2

ニコラス バフチン

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前書き
1章
2章
単母音
二重母音
子音
3章 形態論


子音 (2章 音韻論 後半)

子音の発達(我々はかなり知るところが少ない)は母音よりもずっと単純だったように思われます。そして全体としては、現代ギリシア語の子音体系は、母音体系にくらべるとずっと原ギリシア語の音韻体系と変わらないのです。ギリシアのアルファベットによって記される15の異なった子音(つまりξとψは除外)のうち、八つだけが以前の音価を維持していおり、これら八つのうちでも、四つは一定の結合のもとでは新しい音価をとるという事実にもかかわらず、そうなのです。残りの七つはすべて変わりましたし、それにディガンマと、これまた失われた語頭のhを加えても良いでしょう。まずこの最後の二つからはじめましょう。

別の文脈で既に見たように、ディガンマの亡失は、イオニア・アッティカ語では先史時代に生じ、ギリシア語のまさに成立とともに始まったプロセスの自然な帰結でした。ホメロスの言語からアッティカ方言やコイネーを経由して今日の共通語法へと至る発展の主要な道筋では、遅くとも紀元前8世紀にはディガンマの亡失を位置づけねばなりませんが、実際には、ディガンマは、持続的に消滅のプロセスを経て来たものの、完全にギリシア語から消え去ったことはありませんでした。イオニア・アッティカ地域で用いられなくなってからも、それはアルカディア(語頭のみ)やコリントスには残っていましたし、コリントスでは数世紀にわたり語頭に限らず全ての位置で残っていました。ラコニアではディガンマは一貫して生き残り、今日でもツァコニア方言にはあちこちに現われています。この場合も、ギリシア語は、連続した発展諸段階が並列的に同じ時代に現われるという言語の興味深い実例になっています。勿論、これに似ていなくもない事例は他の言語にも見いだされますが、これほど強固な例は他には見いだされませんし、発展の単に一断片を超えている言語もありません。ここでは、υの場合と同様、この発展は27世紀にもわたるのです。

語頭のH、つまり「気息音」は、ある種の語(同じ位置にある印欧祖語のsとjを再現している)に見出される、帯気を伴う最初の母音です。これはやや抵抗のある音で、歴史時代の最初にはもう東イオニアやレズボス島には存在していませんでした。この地域にとっては、古代の文法学者たちはこのyilwtikoivな言語に対し、アッティカ語のように気息音がまだ残っていたdusuntikoivを対比したのです。しかし、アッティカに関しては、403年の東イオニアアルファベットの採用によって問題はかなり曖昧になりました。このアルファベットでは気息音を表わす符号がないからです。で、この時以来、気息音は表記に現われず、それが実際にも発音されなくなったプロセスをたどることは難しいのです。それでも、スペリングの改革以降に生じた幾つかの新しい構成により、語頭のhがまだ残存し活発だったことが分かります。他方、403年以前に、碑文には混同が見られ、アテナイ人が既に五世紀には全体として「Hを捨て去ろうとしていた」ことが示唆されます。H音の除去は非常に複雑な過程だったようで、社会階層によって異なっており、アッティカ方言でも、英語と同様、「無気音化」は下層から始まったと推測できます。そして、組織的な抵抗に出会ったため、上層に波及するには長い時間がかかりました。上記以外の、最初から気息音が存在しなかったわけではない他の方言でどのような過程が生じたのかについて私たちが知るところはさらに少ないのです。語頭のHが全体として失われるのは早くても紀元一世紀です。

それ以外の変化は二つのグループに分かれます。第一のグループはβ,δ,γ,ζです。;それらの本来の音価であるb, d, g, zdから、これらの母音はそれぞれv, (英語と同じ)有声のth, 摩擦音gかドイツ語のjの音(位置によります), z音に変わりました。

γの現在の音価に関して言うと、後舌母音と子音の前では摩擦音のgです。この音は私の知る印欧語には、ロシア語のウクライナ方言を除いて類似したものはありません1。前舌母音の前では、γは現在、英語の語頭のyと同じような音です。

1. キングズ・カレッジのGeorge Thomson氏は、この音が現代アイルランド語のghと同じだと親切にも教えて下さいました

b, d, gの諸音はギリシア語から消えたわけではありません。μとν(とτζ)の後ではπ= bです。また、γ(>n)の後ではκ= gだし、γそのものもνやγ(>n)の後ではまだgです。実際、δも少なくとも口語ではその元々の音価をμ,νの後で保っています。しかし、この場合それは普通τと表記されます。例えば、伝統的なスペルではa[ndra"とな(り、知ったかぶりはthで発音す)る、a[ntra"がそうです。さらに、σに有声子音が続くときにはσは有声化することをつけ加えられるでしょう。しかし、これは古典期にも既にそうでした。

これらの変化がいつどこで起きたのか、子音全般に関してそうなのですが、情報は余りありません。

βのv音価はラコニア・クレタ・ボイオティア・エジプトでは紀元前4〜3世紀に現われています。少し後ではエリスで、ディガンマがβの代わりに用いられましたし、スミュルナでは3世紀に、ευの代わりにεβが用いられました。アッティカ方言ではこの変化が最初に痕跡を示すのは紀元後、例えばLiviaをLeibivaと写すようなラテン名の転記に際してです。

δ= thの兆候はもっと早く、ロドスとエリスでは六世紀に現われています。そこではδに変わってζが用いられていました。しかしこの変化の広がりを追うことは出来ません。

摩擦音のγに関しては、前4世紀のパンフュリア、アルゴリス、アッティカの碑文に証拠が見いだせます(例えばPreigia"の代わりにPreiia"を用いる)。

これらのデータから、β,δ,γの摩擦音への移行を紀元前のどこかに位置づけるかもしれません。しかし、Pernot (pp.155 sqq.) はより遅い年代を示唆する次の事実を指摘します。我々は、ギリシア語がまだb, d, gの音価を持っていることを確認しました。その際、ギリシア語は、それらの音価が生じる外国語を借用するための特別の表記をもちいることで、これらの音価を保持したわけです。そしてこれはギリシア語が普通にやっていることです。しかし、その中には(形式から判明するのですが)、俗ラテン語から借用されたものがあり、それは紀元前ではありません。さて、これらの借用の全てにおいて、ラテン語のb, d, gは(μπ,ντ,γκではなく)単純にβ,δ,γで表記され、当時はこれらの音がその元々の音価をまだ持っていたことを示しています。したがって変化が一般的になった年代を紀元が変わって最初の数百年、例えば300年頃におくこともできるかもしれません。

ζの本来の音価(zd)は完全に確かではありません。表記は、別の紀元に由来する複合音(あるいは幾つかの複合音?)をもカバーしているので、ある場合にはdzだったかも、単純にzだったかもしれません。しかし、以後の発展はかなり明らかです。前300年頃には一般的用法でζはzでした。

子音変化の第二のグループを構成しているのはφ,θ,χで、元々帯気を伴うp, t, kであり、現在では、f、(英語の)無声のth、(ドイツ語のBuchのような)chです。

ラコニアの碑文では、θの代用のσという表記が紀元前四世紀から流通していました。しかしさらに前に、アリストファネスはラコニア方言を模倣してθの代わりにσを用いました。そして同じシグマはnai; tw; siwvという決まり文句(qeov"の双数形、つまりディオスクーロイのこと)にも見いだされます。さて、現代ギリシア語のθや英語の無声のthは、この非常に特殊な音を持たない言語に属する人々にはまさにこのように聞こえるし、外国人はこの音を発音しようとするときに普通一種変なs音を出すのです。だから、明らかにシータの現代的発音は前五世紀のラコニアでは確立しており、だがアッティカでは確立していなかったのです。我々に分かるのはほぼこれだけです。φとχについてはさらにひどく、我々に自由になる散発的で不確かなデータからは、変化が時空の中でどのように広がったのかを再構成することは出来ません。古い帯気音の消滅がギリシア語で一般的になった年代が、前3世紀から後4世紀まで意見が分かれているのも無理からぬことです。

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要約すると、原ギリシア語から現代ギリシア語までの主要な子音変化は次の通りです。

本来の音価
現在の音価
現在の音価が一般的になった時代

(1)

ディガンマ= w

消滅
前8世紀

(2)

帯気音=語頭のH

消滅
紀元後数百年

(3)

β= b

v

(4)

δ= d

有声のth

(5)

γ= g

摩擦音のg

(6)

ζ= zd ( dz? z? )

z
前300年頃

(7)

φ= p + 帯気

f
紀元後数百年

(8)

θ= t + 帯気

無声のth

(9)

χ= k + 帯気

ch(ドイツ語の)
現代ギリシア語の子音システムは(母音システムと同様)紀元の前後に完全に成立したのです。二つのシステムを比較すると、本来の子音音価には変化したものはあるにせよ、別々の音が一つの音価に統合することはなかったのです。だから新しいシステムは古いのと同じ音のヴァラエティを持っています。実際、初期のディガンマの亡失とそれに続く帯気音の消滅は、(上述した)特別な条件でのb, d, g音の保存によって補われています。

この点で、ギリシア語の子音体系の発達は母音体系のとは目立って異なっています。子音に関しては、母音体系を特徴づけていた単純化・統合の兆候は存在しません。子音体系の発達は別の方向です。それが何なのか、次に確定せねばなりません。

(1)はそれ以外から孤立しています。共通語法からのディガンマの消失は、子音発達の中で生じた出来事ではなく、子音発達を促す序曲を構成しています。それは、既に見たように、共通ギリシア語の構造を大まかに決定したプロセスの最後の段階を特徴づけています。その主な重要性は、子音よりも、母音体系の領域でもたらされた結果にあります。

残りの変化は二つのプロセスを伝えています。1.帯気音の消滅、2.閉鎖音の相応する摩擦音への変化。帯気音の消滅は上記(2)で、摩擦音への変化は(3)から(6)で表わされており、(7)から(9)では両方が融合しています。

帯気要素の縮小が始まったのは早く、原ギリシア語はそのおや言語の複雑な帯気音の並びを打ち壊すことで子音システムを構築しました。印欧語の有声帯気音の全体は放棄され、その機能は残った三つの、つまりθ,φ,χという無声帯気音によって担われました。これらをも除去するプロセスは歴史時代に持ち越されたのです。このプロセス(語中の帯気音の消滅)と語頭の帯気音の亡失は関連があったに違いありません。両者は同じ傾向を表わしており、明らかに関連があります。後者の方が先に生じたのですが、それが前者をある程度簡単にしたのかもしれません。

第二のプロセスはより奇妙です。これは(3)から(9)までの七つの変化に現われています。実際、三つの帯気閉鎖音θ,φ,χは単に帯気を失ったのみならず、相応する摩擦音に発展しました。帯気が、閉鎖音を作るのに必要な障害(obstacle)を除去することでそれに先行していた閉鎖音をまずむしばんだのか、それとも、反対に障害の繰り上げ(raising)(閉鎖の解体)が帯気をかき消したのか、探求しても無駄なのは明らかです。それにしても、閉鎖音が相応する摩擦音に変化し、それぞれの第二の要素である帯気が消滅したという事実は残ります。

(3)から(6)に関してはプロセスはもっと単純です。これら全てにおいて、有声閉鎖音の対応する有声摩擦音への変換があっただけです((6)ではより正確には副轟音からの閉鎖要素の移転なのですが)。

だから、十個あった本来の閉鎖音のうち、生き残ったのは三つにすぎません。つまり、π,τ,κ,です。残り七つは現在では全て摩擦音です。Meillet(p.22)によると、原ギリシア語の閉鎖音体系の中でπ,τ,κ,だけが安定した要素を提示しており、残りは最初から文節が弱く、「閉鎖運動を単純には実現しないようになる傾向」によってゆっくりとむしばまれていったのです。ですから、歴史時代に我々が検証した働きをもつ傾向は最初から作用をはじめていたのです。

今日の子音体系は、母音体系同様、ギリシア語をその最も遠い起源から形づくってきた力の産物なのです。

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ギリシア語に生じたもう一つの傾向は、これまで見てきた個々の音声要素、要素集合の変化とは較べものにならない意味を持っています。それは、ピッチ(高低)アクセントからストレス(強さ)アクセントへの後退と、母音とシラブルの固定した音量(長短)の放棄で、ギリシア語のリズム−純粋に音量上のリズム−はもともとそこに依存していたのでした。

この二つの事実は密接に連関し、必然的に同時です。ピッチ・アクセントはアクセントが生じるシラブルの音量に影響しないのです。(確かに、それにある程度依存はしているのですが)。それは単なる高低の違いであって、音量の戯れによって構成される語のリズムには干渉しません。それは別のレベルで作用するのです。他方、ストレス・アクセントはもはやトーンを高めることにはなく、発声を強めることから成り立っていますが、そこには強められた母音を長くし、強められない母音は弱くなり、概して短くならざるを得ないのです。

Meillet(p.204)によると、母音の長短の区別の消失は、民衆アッティカ語では前五世紀まで遡ることができ、3世紀にはもっと明瞭になります。ちょうどその頃、エジプトのパピュロスでも混乱が現われています。かくしてMeilletの結論では「音量上の区別の感覚は前3世紀以前からギリシア語には失われつつあった」のです。しかし、韻文においては、音量リズムは、ますます文学上の慣習になっていったのですが、長い間厳密に保持されていました。ここで、ギリシア語の実状と妥協しようと言う最初の試みがなされたのは前200年頃のバブリオスであり、バブリオスがシリア人だったことは忘れてはなりません。

当該の変化はギリシア語に本来固有の傾向の結果だとはとても解釈できません。それは印欧語族全体を包括する広範囲の変容プロセスの特殊なエピソードにすぎず、印欧語族のメンバーは遅かれ早かれ本来の音量リズムを放棄しました。(レット・リトアニア語だけがある程度音量リズムを保持してきました。ここではそれは原生タイプの生きた持続ではなくむしろ「発育停止」の結果です)。この変化の意味はここでは論じられませんし、残念ながら、その文化的・心理学的意味のもつ複雑さに触れることなく、この言語上の事件を単に述べるだけで満足しなければなりません。

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かくしてギリシア語の本来のリズムは放棄され、母音の音量は平準化され、主要アクセントはストレス・アクセントになりました。でもストレスがピッチを完全に排除したわけではありません。現在でもピッチ・アクセントは話し言葉である程度残っています(特定の領域に関しては、この事実は実験的にPernotによって確証されています。Phonètique des parelers de Chio, p.50 sqq.参照)また、古代のアクセントを記述する際にハリカルナッソスのディオニュシオス (De comp. verb., 11)がこのアクセントが含んでいる音の高さを五度と評価しているのを想起するのは興味深いことです。

このようにピッチに伴われたとき、ストレスはギリシア語では決して強くなく、これがギリシア語の発展にとって大きな結果をもたらしました。言葉の最初のメロディは弱められリズムは変わっても、言葉の構造は驚くほど保存されたのです。アクセントの位置と語のシラブル数は、ほとんどの場合古典期から変化していません。これを、強いストレス・アクセントが大抵の印欧言語でもたらした破壊的活動と比較してみましょう。そこではストレス・アクセントは語を全般として縮小し、その語尾を完全に破壊したのです(Meillet, p. 222参照)。その中で最も驚くべき例は英語です。ここでは本来の語彙のかなりの部分が一シラブルに縮小しました。チョーサーの言語は今なお本来の二シラブル名詞、動詞、形容詞を豊かに持っていますが、それらのうち、第二シラブルを失わずに現代英語にまで生き残ったものは実際上一つもありません。そして、ロマンス語起源のあり余る借用語の中で、最終シラブルのアクセントを保存している言葉はきわめて稀です。これら二つの点で、チョーサー以来の英語の変化は、ホメロス以来の相応する変化よりも大きかったし、これは音声変化全体にもあてはまります(ただし形態論やシンタクスの変化にはあてはまりませんが)。

我々は、10の主要な母音変化(二つの単純母音と八つの二重母音)が原ギリシア語と現代語の間に生じたことを確認しました。チョーサーから現代までは13の母音変化が英語にはあります(四つの二重母音と、語末のアクセントのないeを入れるなら九つの単純母音)。さらに、語頭と母音間でのrの抑圧は多くの場合に、別々の音が一つに平準化する結果を生じました(bird, word, learnなど)。子音に関しては比較は数の上で定式化できません。ギリシア語では子音変化の(全てではないにしても)かなりの部分は、アルファベットの七つの記号によって獲得された新しい音価とそれとは別の二つの音価の消失を提示することでカバーできます。英語の場合これは無意味です。音として失われたのは一つ(gh=現代ギリシア語のχ)で、どんな文字もそれ自体としては(細かいニュアンスを無視すれば)新しい音価を獲得していません。そのかわり、ここでは特定の位置とその結合の中で無数の消失、移行、融合、交替があったのです。

チョーサーは通常現代的に発音されるので、英国人は滅多に、20世紀を14世紀から隔てる音声上の溝を意識しません。また、現代ギリシア人もこの点では同じで、ホメロスを読むときにその種の変化を意識しません。それでもあなたは、ホメロスの熱心な読者である田舎教師を深く傷つけることができるでしょう。詩人ホメロスが正確に彼のように発音したかどうか疑わしいと言いさえすれば良いのです。