現代ギリシア語研究入門3

ニコラス バフチン

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1章
2章
単母音
二重母音
子音
3 形態論
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3 形態論

統合と「障害の繰り上げ'raising of obstacles'」は音声の変化に関して既に観察しましたがそれはまた形態論にも現れています。

親言語からの分裂とギリシア語の形成は、果てしなく複雑な印欧屈折体系のかなりの平準化によって特徴づけられます。ここでは変化は音組織の場合よりもずっとラジカルで、最初のステップがより決定的であり、こうやって形成された新しいシステムはより持続性を持つものになっています。われわれのテクスト伝承の黎明期に位置する冠詞の発明と、初期に生じた双数の亡失を別にすると、紀元の変わり目頃まではギリシア語の形態論に関して重要性を持つような革新も亡失も記録されていません。それから、長い間食い止められていたあるプロセスが始まります。屈折システムは第二の変容をこうむりますが、その方向は最初から決まっていたものでした。そして、紀元500年頃には、話し言葉の格変化も活用変化も大まかに言って今日のものになりました。しかし、長い間、昔の形態論は程度は様々だが文学テキストには残っていました。でも文学テキストが言語の実態を明らかにしてくれるのとしてもそれはただ偶然・間接的に過ぎません。ある程度まで、今日でも状況は同じで、後に論じることになるdiglwssiva(二言語並立)やglwssiko; zhvthma(言語分裂)という興味深い現象をもたらしています。

さて、ギリシアの形態論のもっとも顕著な特徴の幾つかを短く概観し、それらがどのように発展してきたのかを見ることにしましょう。ここでは格変化と動詞の形態論に話を絞り、それ以外についてはついでに触れるにとどめましょう。

格変化の歴史はギリシア語の形態論的発展の特徴をよく説明しています。それは、はじまりはきわめてラジカルだが後の発展は著しく保守的だという特徴です。

たとえば格というカテゴリーの扱いを取り上げてみましょう。すべての印欧語は親言語の格の数を減らすことで始まっています。しかし、ギリシア語ほどこの縮小を最初に断固としておこなった言語はないように見えます。印欧祖語の八つの格からギリシア語は六つ(五つの誤植 北野)を継承したに過ぎません。ロシア語は現在でも六つの格と七つ目のなごりを残しています。
注. 「見えます」と言ったのは、印欧諸語の中には発展の初期段階についてよく分からないものもあるからです。だから、ゲルマン語が最初に注目されたとき(ゴシック期)、そこには四つの格しかありませんでした。しかし、これは紀元四世紀のことであり、Homeric Greek (以下ホメロスギリシア語)よりはずっと進化した状況にありました。他方、スラブ語、リトアニア語、アルメニア語は、より後の段階でも、原ギリシア語よりも多くの格を持っていました。

しかし一方で、たとえばラテン語は、六つの格から始まりましたが、どれ一つとしてロマンス諸語では残っていません。他方もともとの五つの格のうちギリシア語は現代語においても与挌を失ったにとどまります。後に見ますが、ここには二つの意味があります。第一、分析的表現法はギリシア語ではどこよりも早く現れた。第二、分析的表現法はギリシア語では決して強力にはならなかった。それで、他のすべての点と同様、語形変化においても現代ギリシア語はわれわれの語族のなかでアルカイックな屈折タイプの最良の代表の一つであり続けています。

与挌の亡失はギリシア語の格変化の歴史の中での中心事件でした。それは、ギリシア語の形成において印欧祖語の格が三つ失われたのが主要な改革だったのと同じです。どちらも同じ傾向を表していて、これら二つの事件はある程度直接連関しているように見えます。

原ギリシア語に残された五つの印欧語の格のそれぞれは明確な文法的意味を表していました(主格−主語、対挌−直接目的語など)。ギリシア語が廃棄した三つの格はいずれも純粋に具体的な意味のものでした。奪格、具格instrumental、所格locativeです。奪格の昨日は属挌によって担われ、与挌が具格と所格を受け継ぎます。

かくして同じ格がいまや様々な異なった意味を表現しなければならず、これは非常に一般的なやり方でのみ可能でした。それで、意味をより具体的にするために陳述文propositionを用いる必要が生じ、その重要性はギリシア語では増す一方です。つまり、格語尾はそれだけでは必要な正確な意味を表現できず、言葉を追加して補わねばならなくなりました。さもなくば意味は迂言的なフォーミュラ(定型表現)の諸要素に分配されることになります。これは純粋に屈折的な表現法と対立するものとしての分析的な表現法であり、そこでは語の形態論的特徴が、完全で正確な意味を担い規定する能力を持っています。

そうした状況の中では、格の意味はますます付随する前置詞に依存するようになり、あるいは迂言的フォーミュラに取って代わられるようになります。一方で格語尾そのものも徐々に意味を表現する力を失い、最終的にはどんな固有の意味もはぎ取られ、格そのものも利用されなくなります。

ギリシア語ではそれは与挌でしか起きませんでした。でもなぜ与挌でなのでしょうか?ギリシアの格変化の形成において、機能の最大の分け前を授かったのがたまたま与挌だったからです。そして、それらの機能が複雑になって行くにつれて、与挌は後に積荷過重になり、時間はかかったものの崩壊してしまいました。それらは同時に次の事柄を表さねばならなかったのです。(1)間接目的語(もともとの与挌の機能)、(2)場所(放棄された所格の機能)、(3)道具ないし原因(放棄された具格の機能)。そしてこれら主要な意味のおのおのに無数のヴァリエーションと拡張が加わり、ギリシア人の生活の複雑さが増大するにつれて、またヘレニズム期にギリシア文明が世界文明になるにいたって、この拡張は不可欠なものになり、さらに増えて行きました。でも、一つの形式的特徴にあまりに多くの別々の意味が積み重ねられたとき、与挌はもはやそれらの意味を伝えることができなくなり、他のより効果的な表現手段に道を譲り、消え去らねばならなくなったのです。

だからこそ与挌というカテゴリーがギリシア語の名詞変化のなかでもっとも抵抗の弱い点だったのです。それは最初から広すぎるカテゴリーであり、曖昧すぎ、それゆえ余計なものになる運命だったのです。

この格の消滅は長く漸次的なものでした。それは紀元前後にはじまり、完了は10世紀頃です。それはとても複雑なプロセスで、形態論とシンタクスの他の変化と様々に結びついています。とりわけ、それは前置詞の利用と意味の扱い方が徐々に代わっていったことと結びついており、格の消滅にそれが影響し、ついで格の消滅がそれに影響を与えました。たとえば、ある時期にはejneij"と癒着する傾向があり、後者には両方の意味が付与されていました。だから、福音書(ルカ2-7)に ta; paidiva mou met j ejmou' eij" th;n koivthn eijsivn.という表現が見出されるのです。つまり、与挌は、その前置詞による支えともども、所格的機能においては消滅し始め、「〜にある」と「〜へ向かう」の区別は「文脈」によって引き継がれました。言い換えると、意味の分析と配分が変わったのです。いまやejnkoivth/の間でなされるのではなく、eij", koivthn, eijsivnの間でなされるようになります。かくして意味は保持されるのですが、そのための手段は、もはや「意味を表現しない」ので余計だと感じられた二つの要素の除去によって縮小されてしまいました。

だが私はここでは詳細にわたることはできません。与挌が消滅するのに要した10世紀間に関してわれわれはJ.Humbertのの注意深い研究書(La disparition du datif grec (Paris, 1930) )を持っており、ここではそれを読者に紹介したいと思います。Humbertの概観は紀元一世紀にはじまり、実際の与挌の廃止と取り替えだけを扱っています。だから、この「不運な格」のそれまでの発展は彼の視野の外にあります。しかし、Humbertが集め分類した事実は、このプロセスの本来の原因についての私の推測を全面的に裏付けています。とりわけ与挌が、本来そこに属しておらず、ギリシア語の格変化の形成を特徴づけることになる印欧祖語の所格と具格の放棄以来の与挌の重荷の原因となった二つの機能において、まず消滅したのを見るのは興味深いことです。所格的機能については、最初にそれが衰退するしるしは後一世紀に、他の機能については三世紀には明らかです。与挌の本来の機能、"datif proprement dit"に関しては、それが取って代わられるには驚くべき抵抗が示されています。「文学作品においてこの代用のある程度明確な実例は九世紀以前にも、九世紀にも指摘できない。」(p.161)

Humbertのような調査は、特に(これは残念ながらそうではないですが)ギリシア語の発展全体を通じてなされる場合にはとても必要とされるものです。われわれは現代方言、あるいは方言群の共示的概観についてはずっと良く知っています。その中にはKretschmerによるレズボス方言、Dawkinsによる小アジアの方言、Pernotによるヒオス島方言についての研究書のような長く価値を失わない著作があります。しかし、ある特定の限定された形態論的現象の言語学的発展の通時的セクションについては古代に関してしか著作が存在しません。この点に関しては今後も長く期待薄でしょう。現状でわれわれが持っているのは、大言語学者による素晴らしいけれども短すぎ、一般的すぎるスケッチです。それはMeilletの『概要』です。


数のカテゴリーに関しては語るべきことはほとんどありません。他のすべての印欧諸語と同様、無論双数を除外してですが、数はギリシア語で原形を保っています。ホメロスにとっても既に双数は単なる古形であり、ホメロスの双数の用法は全く一貫性がありません。歴史時代においてはイオニア方言、レズボス方言においては完全に双数は欠如していますが、アッティカの碑文にあっては前409年までは厳密に用いられています。また文学においてはもう少し後まで用いられています。それからは文学においても双数はますます散発的になり、後330年頃には完全に消えています。アッティカ風文語ではその後双数が復活しますが、これは「重要さを持たない古文調の気晴らしに過ぎない。」(Meillet)

双数の亡失もまた統合化と単純化の傾向の現われですが、これはギリシア語に限ったことではありません。また双数の排除の現実のプロセスがギリシア語のその後の発展に何らかの光を投げかけるわけでも、この発展の何らかの事実と連関しているわけでもありません。だから動詞を扱う際に双数についてはもう触れないことにしましょう。


ギリシア語の名詞の形態論とシンタクスに関して一番重要な改革は冠詞の創造です。これは共通ギリシア語には遡らず、ある程度われわれの眼前で転回したプロセスです。ホメロスの用例では冠詞はまだ生成の途上にあり、それ以前の指示代名詞的機能と、後に冠詞に付されるようになった機能の間で揺れています。アルカイック期の碑文の幾つかにおいてすらも、冠詞は全面的かつ確固としては用いられていません。しかし、一旦確立し、新しい役割において固定したものになった後には、冠詞は今日に至るまで知覚できる変化は何も伴わずにその役割を保持しています。現代ギリシア語では冠詞は拡張されています(たとえば固有名詞と共に用いる)。昔ながらの定冠詞と並んで、不定冠詞も現れましたが、この新しい機能を担ったのは数詞の「1」でした。格変化に関して言うと、oJto;は、一定の子音の前で語末のνが落ちる(ただし複数属挌では落ちない)という点を除いては変化はありません。さらに、hJの複数主格はoJの形に同化しその複数対挌はtiv"の形にどうかしています。これらの変化はギリシアの格変化が全体としてこうむった変容を反映しており、われわれはこれからそれを考察できるでしょう。


印欧語の格変化は非常に複雑だったようです。それは無数の語幹のヴァラエティを提示し、語幹の内部ですら、格と数の表現は微妙な変化を含んでいました。語調変化、母音の長短と質(quantity and quality of vowels)、母音そのものの消失と再出現などです。古代ギリシア語の格変化には−たとえばpathvrの変化−この複雑さについて今なお一定のヒントを与えてくれるものもあります。しかしそうした変則的タイプは最初から少数派であり、その数はますます減少して行きます。全体としては、ギリシア語は最初から格と数の徴表を語尾に限定し、それぞれ同じ種類の語幹と同一の格語尾によって特徴づけられる広く均質のグループを形成する傾向がありました。たとえば-o"語尾とa(ないしh)語尾のグループがそうです。他方、様々な形態論的グループを一つの屈折組織のもとにまとめるという顕著な傾向があります。確かに、名詞変化と形容詞変化を分ける弁別的な線は印欧祖語でもおそらく曖昧だったでしょう。ですがギリシア語では多くの代名詞も独自の格変化を失い形容詞に同化しています(両者の区別が保存されているラテン語のbonusとisteに、ギリシア語のkalov"ou|to"を対比すると良いでしょう)。しかしながら、このように統合された屈折組織内部でも、語幹と格変化の種類の多様性はかなりのものです。

現代ギリシア語はこの方向にさらに進みます。すべての格変化可能な言葉の全体−名詞・形容詞・代名詞・数詞−に均一性が広範に見出されます。多くの古いタイプの部分的な生き残りのうち、変化しないまま残ったのはgravmmae[qno"の二つだけです。古代の「第一」「第二」変化は相変わらず別個のグループを構成し続けますが、その格語尾はわずかに変わりました。第一変化はgunai'ka, povlh (<povli")などの古代の「第三」変化の女性名詞を同化することによってかなり増加しました。「第三」変化そのものは解消し、そこに含まれていた多くの単純化できなかったタイプは、上記二つを除いて、あるものは「第一」変化に属し、あるものは新しい均質なグループ、たとえばpatevra", kovraka"などのように-a"で終わる男性名詞(単数属挌は-a)のようなグループを構成するようになりました。一種独特の大きなグループは、指小辞がほとんどなのですが、中性語尾の-i (<ion)などです。

様々なタイプの統合と並んで、格語尾の統合も明らかです。ですから、古代の「第三」変化複数主格の-e"語尾は(ほとんど例外なく)すべての男性・女性名詞、形容詞、数詞とほとんどすべての代名詞に拡張しました。これらすべての変化の特徴と意味は幾つか特定の例を挙げることで一番良く分かるでしょう。

単・主

oJ e[mporo"

hJ gunai'ka

oJ patevra"

  呼

e[mpore

gunai'ka

patevra

  対

to;n e[mporo

th; gunai'ka

to;n patevra

  属

tou' ejmpovrou

th'" gunaivka"

tou' patevra

複・主

oiJ e[mpore"

oiJ gunai'ke"

oiJ patevre"

  呼

e[mpore"

gunai'ke"

patevre"

  対

tou;" ejmpovrou"

ti;" gunai'ke"

tou'" patevre"

  属

tw'n ejmpovrwn

tw'n gunaikw'n

tw'n patevrwn

これらの実例はもっともありふれたタイプ三つであり、三つ合わさって、現代ギリシア語の格変化の相対的に変更された部分と持続している部分を示しています。

最初の例では、格と数は一貫して屈折語尾によって表されており、古代のパラダイムを特徴づけていたアクセントの置換がどこでも維持されています。唯一の新機軸は複数主格での-ε語尾ですが、これはすべての活用に共通の変化になりました。(ただし、このグループに関しては今なおοιもしばしば一般に用いられるのですが)。単数対挌での語末のνの脱落に関して言うと、これは純粋に音声上の現象です。複数属挌では音声上の変化は中和されνは残っています。ここではそれは形態論上の役割を持っているからです(アクセントの置換は付加的な格指標に過ぎないので、二音節語では生じません)。

第二の例では変化はより広範です。ここではタイプの統合がどのように進んだのかが示されています。主要な(そしてそれ故重要な)語幹の形は、古代の活用においては主格と呼挌を除くすべての格で生じていたのですが、ここでは主格と呼挌にも拡張しています。そしてこのように形を変えてこの語はその主要な要素を失うことなしに、-αという広いグループに参加できるのです。こうして、多くの不規則形が解消しました。単数主格のαがすべての格で維持されることにも注目されるでしょう。もっと重要なのは次の点です。それはつまり、単数対挌の語末のνが脱落し、また-e"語尾が複数対挌にも拡張されたために、主格と対挌の区別は単数複数両方とも形態上どのような痕跡も残していないとことです。区別は冠詞の形によって、あるいは冠詞が省略される場合(滅多にありませんが)には、「文脈」によって表現されます。

第三の例もまた不規則タイプの解消を示しています。しかし、以前の第三変化男性名詞は何らかの以前の古いタイプに統合されるのではなく、属挌が-aになる-a"という新しいグループを作ります。このグループにおいても、複数の二つの格と単数の二つの格は形態上の区別がありません。だから、ある制限された程度においてではありますが、分析的傾向が現代ギリシア語の格変化に入ってきたことになります。しかし、現代ギリシア語の格変化はそれでも全体としては古い屈折型の典型的代表であり続けているのですが。

新しいシステムの形成が始まったのは早かった。対挌patrivdanや複数主格e[couse"e[cousaiの代わり)のような形は後一世紀から確認できます。そして、こうした「間違い」は、当時からますます増える一方の持続性を示しつつ書記テキストに現れてくるので、簡単には無視できません。Thumbの言葉(loc. cit. p.190)によると「現代ギリシア語の発展の方向に即したものは単なる書き間違いでも個人的な混乱でもない。それは時代の言語状況の証拠に違いない」のです。

他方、新しいシステムで試みられた統合は、かつて古いシステムが試みたものでもあったのですが、決して完全には実現しなかったのです。われわれの三つの例のうち、最初のものは既に共通ギリシア語で統合されていたタイプを表していますし、他の二つは新しく統合されたグループに属し、そこではすべての不規則が解消しています。この意味では先の例は誤解を招きます。現在のシステムの実際の複雑さの示唆はありませんから。現在のシステムも古い、そして未解消のふきそくでいっぱいだからです。また興味深いのは、これらの不規則と並んで、全く新しい不規則性が生じてきており、それが、まわりで生じていた平準化のプロセスに反抗していることです。だから、格や数によって音節の数が異なる古代の言葉(ancient imparisyllabic)は大抵平準化を終えたし、そうでないものも平準化のさなかであるにもかかわらず、一方で新しくそうした言葉が生まれてくるのです。たとえば、-a", -h"で終わり、複数形で-ade", -hde"になる名詞群がそうです。

これまで述べたことはすべて、共通語にかかわっており、方言上の特徴は説明していません。しかし、比較的スムースで安定した共通語の表面から離れて民衆の言葉、その地域的変種の多様性に向かうならば、状況は無限に複雑になるでしょう。そこでは、言語は常に創造的騒乱(perpetual creative fermentation)のうちにあり、大昔の形がギリシア語の未来に属する形と並立して生きているのですから。


動詞に移る前に、性という範疇について二三述べることができるでしょう。

ギリシア語は印欧祖語から性を受け継ぎ、それをある程度強めました。ですから、印欧祖語では男女の名詞の区別には形態上のしるしは存在せず、それは一致によってのみ表現されたのです(男性形容詞と一致する男性名詞など)。こうした性の表現法はギリシア語では冠詞の創造によってもっと明確になりました。形容詞が無くても冠詞が名詞の性を決定します。さらに、ギリシア語は、勿論常にではありませんが、性に形態上の特徴をしばしば提供することで区別を強めています。現代ギリシア語もこの方向にさらに進みます。ここでは名詞の性は実際上、少なくともスペリングにおいては、常に主格語尾によって印が付けられています。しかし、性に関しては、現代ギリシア語は奇妙な特徴を示しています。それは男性・女性を犠牲にして中性名詞が驚くほど増加しているという点です。これらすべての新しい中性名詞はその紀元を明確に明らかにしています。それらは形態上は(通常ギリシア語では中性の)指小辞だが、意味においては指小辞ではありません。そうなったプロセスは共通です。長い過去を持つ言語はしばしば、使用の中で鈍化した古い言葉の表情を、指小の意味を何ら持たない指小辞形を与えることでリフレッシュする傾向を示します。だから、アプレイウスの小説を読むとき、古典ラテン語に慣れた読者は子供っぽい口調が続いているような奇妙な印象を持ちますが、指小辞をすべて本来の意味に理解する必要がないと気づくまでその印象は続きます。そして、ロマンス諸語においても、俗ラテン語にそれに対応する指小辞が想定されるか、あるいは現実に存在するような莫大な数の名詞が知られています。しかし、ラテン語では、指小辞はもともとの形の性を維持していました。ロマンス諸語を生み出した言語的再編成において解消されたのは中性であり、中性名詞は男性名詞として新しく誕生したのです。ギリシア語ではそうした性の改造はなかったのです。

だから、中性は、広く拡張されたその領域を保持してきました。その領域はわれわれの目の前でもまだ広がって行きますし、その反対の方向に働いているプロセスを私は知りません。農夫の言葉においてはこの傾向はクライマックスに向かっています。ここでは、ますます多くの言葉が指小辞形を獲得し中性になります。これと結びついて、同じ方向を指し示す混同のしるしは他にもあります。η(=i)で終わる女性名詞、特に抽象名詞(古代のグループだと-i"-hの語尾で終わる名詞)は時に-ι(<-ιον)でおわる中性名詞として扱われています。また、(これはとても制限された意味しかありませんが)、-αで終わる古い女性形の地名はしばしば中性複数だと意識されています。たとえばta; jOluvmpia(アクセントもこう変わって)がそうです。

私の印象の限りでは(と言うのも私は方法に則った探求をしていませんので)、この傾向は特定の地域や方言グループに限定されたものではなく(ただし、場所に応じてその威力は異なりますが)、民衆の用法では一般的です。すべての名詞が一つの性のもとに平準化されるようになる時代が来ることを想像できるほどです。その時、性という範疇そのものが、意味を失い、ギリシア語から消えるでしょう。

これらは非常に暫定的な言及です。私が理解する限り、この事実はこれまで認められていませんでした。関連する事実すべての時空に即した統計を取る詳細な探求をおこなって初めて、一般的な結論を引き出し、予測をおこなうことができるでしょう。


印欧祖語では、大抵の動詞は、名詞もそうなのですが、直接語根(Roots)に派生し、ギリシア語のように名詞が動詞から派生したり動詞が名詞から派生したりすることはあまりありません。そして、動詞が全体としてこのように派生するわけでもありません。その場合は動詞はそれから様々な「時称幹」へと変化することになるでしょう。そうではなく、各時称幹がそれぞれ直接語根から派生しているのです。だから、すべての語幹は独立していて、相互に推移をたどることはできません。それらは、共通の語根を持つのでない限り、形式的に無関係です。語根が、したがって、独立の知覚可能な単位になり、常に当たらし派生を生み出しうるのです。

ギリシア語はその最初からいかなる「語根による派生」をも知りません。語根はこうして知覚できなくなり、言葉はお互い動詞で派生し合うことになります。しかし、共通ギリシア語には親言語から受け継がれた莫大な数の「語根動詞」があります。そうした「強変化」動詞の様々な語幹はもはやその共通の語根を指し示しませんし、どんな規則に従っても他の動詞から派生させることが常にできるわけでもありません。それらは相互に形式上どんな明確な関係もないからです。−pavscw, peivsomai, e[paqen, pevponqaでは、それぞれの形は自立的であり還元不可能です。それらは端的に並存しており、特定の「時称」方向において各自が指し示す意味の共通性によって結びついているにすぎません。

しかしこれらの語根動詞とならんで、より新しいのですが、名詞(大抵の場合同じ言語に属する)から形成された派生動詞があり、その数は増える一方です。これらは明確で統一のある幾つかのタイプに分かれ、そのいずれも特別の時称幹を与えられ、各時称幹は現在幹を除いて、特定の規則に従ってお互いに派生させることができます。これらの動詞が一般的屈折モデルを作り出しそれは規範として知覚されました。それ以外の動詞は、印欧祖語では通常のタイプなのですが、ギリシア語では単なる不規則になりました。そしてこれら不規則動詞は徐々に減って行きます。

こうしてギリシア語では最初から二つの別のグループがあり対立していました。古い語根動詞は非合理なほど複雑な語幹と屈折を持ち、新しい動詞は、規則性と数の増加によって強化されてきます。そしてこの第二のグループは最初から第一のグループの領土を侵略する傾向を持っていました。この侵略はホメロスにおいてすらも明白に認められます。ホメロスでは、すでに幾つかの古い動詞も、たとえばkruvptwがそうですが、あたかも「規則動詞」であるかのように扱われており、通常の時称幹と活用を与えられているからです。これによってギリシア語の動詞変化の発達における主要テーマが設定されました。これは主要ではあっても唯一のテーマではありません。「強変化」動詞の一般タイプへの還元と結びついて、他の統合プロセスも進行しており、それは「規則」動詞内部で働いていました。たとえば形態上の標識を放棄・単純化する、別個のカテゴリーを一つの標識の下に平準化するなどです。

他方、絶えず統合傾向に反抗し、あるいは無効にする、正反対の性質のプロセスも生じています。しばしば古い不規則動詞の現象は直接新しい不規則動詞の誕生を導き、統合は増加一方の分化に帰結します。強変化動詞は放棄されるどころではありません。どんな規則によっても予見・演繹不能な何らかの時称幹を持つ動詞は共通語でもまだ何百もあります。そしてそれらがすべて昔の語根動詞だったわけではありません。その中にはかつては「規則」どうしだったが新しく不規則変化を構成したものがあります。だから、全体としては、現代ギリシア語の動詞形態論は古代語と変わらず多様・複雑で、表現力を持つ不規則変化に富んでいます。


動詞活用の改革が進んでいった主要ラインは短く次のように述べることができます。

  1. 古い不規則の排除(e.g. 強変化が「規則」変化で置き換えられる)
  2. 別々のタイプの活用の統合(e.g. μι動詞がω動詞に同化する)
  3. 形態論的指標の単純化(e.g. 時量的加音の除去、アオリスト語尾の未完了過去への拡張)
  4. 別々の範疇の形態論的指標の同一化(e.g. 全時称での中動・受動形の同一化)
  5. 一定の範疇が形態論的に表現されなくなる(e.g. 双数、希求法、不定法)
  6. 一定の単純時称の複合時称による置き換え(未来、完了、過去完了) 

    これらすべては、統合と単純化へ向かう傾向を示しています。しかし、分化のプロセスも同様に明白です。
  7. 無数の新しい不規則変化の成立
  8. 新しい時称上の区別が表現されるようになる
  9. 新しい範疇が表現されるようになる(条件法の成立)
  10. もともと同じ指標のもとに統合されていた二つの範疇が形態論的に分かれる(絶対未来と持続未来)。これはより一般的傾向を反映。
  11. もともと曖昧だった古い範疇がより充分に表現されるようになる(相範疇)

これと並んで、勿論、言語の分析的リソースも連続的に豊かになり、形態論敵視表を失った諸範疇を表す様々な新しい方法を提供してきました。

さて、(ここで列挙した順序を常に維持しているわけではないですが)これらのプロセスと、その相互作用の最終結果を見てみましょう。

幾つかの現われにおいては、それは言語そのものと同じ延長を持っています。だからホメロスは、語幹と活用がいかに複雑だったとしても、強変化の多くが平準化され多くの活用が規則化された状態のギリシア語を表しています。古典ギリシア語もこの統合作用を継続します。確かに、五世紀のアッティカ方言はこの方向に大きく歩みを進めたわけではありません(ここではプロセスはもっと遅く、もっと突然に始まります)。しかし同時代のイオニア方言は決定的な一歩を踏み出し、oi[damen, -ate, -asiのような変化はヘロドトスにはしばしば見られます。koinhvでは、oi\da, -a"などは(既に『オデュッセイア』1.337に見られますが)規則になります。またoi\daはこのように形を変えられつつある多くの強変化動詞の一例に過ぎません。

他方、前四世紀からはμι動詞の解体が始まります。ずっと前から、-μιの形と並んで、パラレルな形態を持つ-ω型の動詞もありました。ajpolluvw, deiknuvwなどがそうです。それらはあちこちで散発的に用いられましたが、重要性を欠いたままでした。しかしkoinhvではそうした形態はますます支配的になり、常に新しい-ω動詞が現れてそれに対応する本来のタイプの動詞に取って代わりました。

これらおよびそれに類似の現象は、ますます頻度が高まって行くのですが、同じ最終目標に向かうように思われます。つまり、動詞活用を一つのタイプに還元し、このタイプの中での孤立的特徴を完全に排除するという傾向です。

これらのプロセスの初期の兆候からその現在の結果に向かうなら、幾分驚く結果が出てきます。確かに、すべての動詞は事実一つのタイプに還元されたかもしれません。今や活用はすべて同じ語尾によって特徴づけられるからです。それは以前の-μι動詞であれ強変化であれ例外はありません。この単調な語尾自体が、数が減った(アオリストは未完了過去にまで拡張された)だけでなく単純化されています。語尾と並んで、他の活用指標も同様の変形をこうむっています。たとえば時量的加音はもはや存在せず、音節的加音はアクセントを伴わない場合通常省略されます。

しかし全体のこの表面的統合は、細部においていたるところで複雑さが増大するという結果を生みだし、部分的には統合が複雑さの原因になっているかも知れません。たとえば時量的加音の喪失を取り上げてみましょう。そこで時称の混乱が生じない以上これは明らかに単純化です。母音で始まる動詞は加音を取らない。規則は明快かつ普遍的です。しかし、現代ギリシア語には、現在形で語頭母音が失われる動詞が幾つかあります。これらは新しい規則の適用を免れ、古い動詞と同様時量的加音を取り続けます。かくしてqevlwは未完了過去でh[qelwとなり、これは現在の言語学的コンテクストから言うと全く予測できず不条理です。複雑化は一つ除去されました。しかし、放棄された規範には常に頑固な断片があって破壊を免れています。それらはかつては規則的でしたが、現在では不規則です。

それ以外の単純化にも、単に複雑さを作り出すだけでなく、それによって作られたのもあります。たとえばアオリスト語尾の未完了過去への拡張がそうです。二つの時称から形態論的区別を奪うことなくこれが可能だったとしたら、現在語幹とアオリスト語幹の間の古い溝が、何らかの形成規則によって狭くなったり橋渡しされたからではなく、広げられより不条理になったから可能だったのでしょう。現在形からアオリストが形成ないし演繹される動詞は現代ギリシア語では古代よりずっと数が少ない。規則的パターンにしたがって完全にモデルを変えられたのは昔の強変化動詞のうち少数に過ぎません。pavscwのような動詞は今なおe[paqaというアオリストを持ちます。ここでは、統合傾向が表面にしか触れず、語尾をスムーズにしただけで、古い形の中核にまでは達していなかったのです。

しかし、頑固に残る古い強変化のアオリストと並んで、無数の新しい強変化が生じてきました。これはすべて統合の帰結であり、たいていの場合解体した自律的なグループの断片です。それらは、かつてはその固有のグループの限界の中で「規則的」であり、同じグループの他のメンバーからの類推によってある程度まで「予見可能」だったのですが、今やあらゆる規則、あらゆる類推を逃れています。すべてが完全にユニークで個別的です。だから、古代の活用体系で、divdowmii{sthmiに代表されるように独立のμι動詞がまだ他のグループと区別されているときには、e[dwka(命令法dov")やejstavqhnは不規則変化ではなく、一貫した活用タイプの規則的要素だったのです。だが古いグループの自律性は後期ヘレニズム時代以降崩れ去ります。そして二つの動詞はすべてのギリシア語の動詞に例外なく共通の、ω型に属することになり、その現在形であるdivnw, stevkomaiとアオリストのe[dwka(命令法dov", stavqhkaにはなんの関係もなくなります。これらは完全な不規則形になります(ここでもまた、語尾だけがいまやすべての動詞に共通のパターンにしたがって改造されます。)

さて、別のグループ、母音融合動詞を取り上げてみましょう。母音融合動詞はその語尾が古い母音融合の特徴を保存しているために現在でも他と区別されます。このグループは、新しい派生語から出来ているので、古い動詞活用における規則性のお手本でした。それからこのグループは大きな単純化を蒙りました。それはつまりとても複雑になったということです。まず、母音融合動詞は二つのタイプに縮小します。-ovw動詞は新しい現在幹(たいていの場合-wvnw)を与えられて「母音融合」型では無くなります。残りの二つのタイプ−ajgapw', -pa/'"patw', -ei'"は単純化します。両者の違いは現在能動相に限られるようになります。ですが同時に多くの新しい複雑化が生じます。こうして-evw型動詞はアオリスト語幹で予想外の逸脱を提示します。例えばpatw' - pavthsa, forw' - fovresa, qarrw' - qavrreyaなどがそうです。そして-avw変化の内部では、ほとんどの動詞の中受動相がajgapeievmaiのような特殊な語幹から作られるようになりますが、koimou'maiなどのように同じ語幹を維持するものもあります。

これら数少ない実例からも、現代ギリシア語においてもまた古典ギリシア語と同様動詞形式の表現のあり方は個別的だと思われます。e[lusaのような数少ない完全に「規則的」な形態においては、一つ一つの意味はいわば機械的に、不変の語幹に固定した形態論的標識を付与するだけで得られるのですが、古代のpevponqaや現代のhu\raなどの変化はユニークで全く自律的aujtarke"であり、それ自身のうちに分割できない意味の充実を生み出し、また担っています。

すでに見たように、こうした形態はすべて闘争の結果です。その一つ一つは、廃棄された何らかの秩序の頑固な断片です。古代のギリシア語においてはそれらはすべて印欧語の活用体系の名残りです。現代ギリシア語の中には、それを保存し、もっと最近の過去から解消されない多くの名残りを付け加え、単純化への衝動と、細分化へ向かう対立する力という二つの、言語の成長を統括する傾向の生きた平衡を新しく作り出そうとするものもあります。表面的には単なる単純化と見られるプロセスが実際には二重のプロセスであり(palivntonh ga;r aJrmonivh 調和は逆方向に向いている)、統合によって絶えず確定される多様性であり、二つの和解できない力の闘争によってずっと維持されるバランスなのです。その一つが放棄され、他方に屈するなら、言語は衰退せざるをえません。しかしギリシア語はそうはなりませんでした。


同じプロセスのもう一つの側面は別の一軍の減少から現れます。

カテゴリーの中にはその固有の特徴を取り違えたものもあれば、形態論的に表現されなくなったものもあります。取り違えは中動と受動で生じました。両者の意味の違いはすべての時制にあったのですが、それが形式の上で表現されたのは最初から未来とアオリストだけでした。現在では二つの時制の形式上の違いはこの二時制でも失われ、どちらにおいても受動が優勢になりました。ですが両者のもともとの意味の違いはそこに極めて豊かな影を落としながら完全に生き残りました。その違いは、形式的に表現されることのなかった現在形や未完了過去においてずっと感じられていたのと同じように、今では未来形とアオリストにおいても感じられます。

かくして、指標の同一化は、基礎にあるカテゴリー上の混乱をそれ自体で含意しているわけではありません。また、あるカテゴリーの形態上の表現の亡失も、必ずしもカテゴリーそのものが失われたことを意味しません。これはこの種の事実のもっとも早く単純な例である双数の消失についてはそれほど明確ではありません。双数の消失は単に手段の単純化に過ぎません。

しかし、次に生じた希求法の消失はそれほど単純ではありません。ギリシア語を別とするとインド・イラン諸語だけが、それも最初期の段階で、希求法と接続法の元来の微妙な区別を保持していました。ギリシア語においては、他の言語と同様、それはある時期から萎縮傾向にありました。紀元前四世紀以降、希求法の用例は徐々に少なくなり(Meillet, p.211に統計があります)、最終的には紀元後一世紀にそれは消失し、ある時期、接続法は直説法に対立する唯一の法になりました。複雑に並んだ希求法のさまざまな形を取り除くことによって手段の単純化が成し遂げられましたが、このプロセスには単純化以上のものがあるのは確かです。ここでは形式上の表現の亡失は、表現されたカテゴリーが実際に失われたとまでは言えないにしてもカテゴリーのシフトが感じられるようになり、実際に法の知覚全般の組織が改められたということを含意しているようです。この組織改編は現代ギリシア語で完成します。そこでは、古い接続法と並んで、新しい法的カテゴリーが生起して形式上も表現されるようになりました。それは意味の上では、古い希求法と部分的に重なるものの一致するわけではない法です。つまり条件法ないし非現実話法がそうです。それは現在と過去という二つの時制において完全な複合形式のセットを持っています。

p.56から