ギリシア国立劇場『アンティゴネ』 (2002.07.27 サモス古代劇場)

ギリシア国立劇場が何度目かに来日します。今回はソフォクレスの『アンティゴネ』ですが、これをたまたま私は去年の夏サモスで観ています。そのときの感想を書き留めていたので公開します。きちんとした感想は日本ヴァージョンを観てから。

サモスの古代遺跡はヘライオン(イレオン)とピュタゴレイオン(ピサゴリオン)の二箇所にある。ピサゴリオンの遺跡はとても大きなものだが、保存状態が良くない。古典期の住居は現代の住居と重なっていて、一部は発掘されているが、とりたててすごいものはなさそう。

エフパリノスが山の中に掘った水道跡は今でも残っていて、一部公開されている。山の両方から彫ったらしい。これはすごかった。紀元前六世紀なそうな。ヘライオンは今では柱が一本残っているだけで、あとは礎石から規模が分かる。クーロス像の頭の取れたのがあった。一人旅なので不謹慎な行為(とれた頭のところに顔を出して記念写真を撮る、とか)は自粛、というかできない。で、水道跡を100メートルほど道なりに下っていった左側に劇場遺跡がある。

その古代劇場遺跡でギリシア国立劇場の『アンティゴネ』を観た。500人も入ればいっぱいの劇場。劇場跡がほとんど残っていないので(多分オルケストラの空間のようなものってこれはそのように掘るだけだろ、と観客席の一部の石組み、木製の観客席をその上に組み立てている)、あまり古代劇場で観たって感じはしない。パトラの劇場がとてもいい劇場なのが分かった。その意味ではタソスに近いだろう。でもタソスは観客席からオルケストラの背後に見える海が良いんだ。フィリッピはパトラに近いか。劇場としてはきれいなんだけれど環境がいまいち。samos theatre1

ともあれ、観ました。クレオンに焦点をあわせた上演だと思う。クレオンがアンソニー・クインみたいな感じで、ヨーロッパの頑固親父。

アンティゴネって芝居の背景にあるのはクレオンが権力についたばかりだということである。だから、イギリスのナショナル・シアターがかつてやったみたいに、1984風にするのは良くない。権力の基盤が固まっていないからクレオンは多分に無理をする。ポリュネイケスの埋葬の禁止は権力者としての彼の最初の布告なのである。

で、上演ではこのクレオンの状況と彼の心境が図式的なほどに明確に描かれていた。見事。このクレオンを変化させるのは通常の人間では駄目だ。テイレシアスもそれにふさわしいおぞましさを持っていた。

対してアンティゴネのほうは、大柄で大雑把に見えた。アンティゴネは二種類の演技を使い分ける。第一は妹やクレオンとの対話で、ここはちょっと大げさだけれど、真摯さがわかる。第二はコンモスの場面で、ここではラリッサの劇団(とても情念に満ちた様式化、詳しくは山形治江の『ギリシア悲劇』参照。)と近いことをやっていた。様式化・図式化へと近づく動きであり、現代語訳も韻文のような響きを持っていた、ように思う。芝居の言葉はやっぱり難しい。

特筆は音楽とセット。芝居の音楽はまさにこうあるべきという感じで、状況を強調する。数人で演奏されていて、リズムと簡単なメロディの反復だが、登場人物たち、特にコロスを支配している。コロスは歌うことはない(「エロス讃歌」では一部だけメロディが入るが)。でも、リズミカルな響きはとてもきれいだ。コロスのコート姿の衣装はアンゲロプーロスの映画の美術担当者がやっているとのこと。大きな壁面が開閉するセットは、この小さな劇場にはそぐわないが、エピダウロスだといいだろうなぁ。

最後、コロスも彼を見捨て、退場した後にクレオンはハイモンの遺体に砂をかけ弔いの供養を行おうとする。その場面がとても印象的だった。基本的には新派だけれど。

気に入ったところ、アンティゴネとイスメネが最後に和解するところ。あれは和解になっていない日本語訳のニュアンスがおかしいのではないか。テイレシアスの役者が若いし、ややTranssexual。予言の箇所では口調も変わり、車椅子の上で立ち上がる。なかなかかっこいい。音楽。ラスト。クレオンの細かい感情の変化。

いまいちだったところ。ハイモン。中途半端で心情が伝わらず、やや暴力的。あそこは抑えているから後が意外なんだろう。でもこのクレオンは息子を殴りつける。やはりギリシアの親父はこわい。

舞台のセッティングをしているところを昼間写真に撮ったので公開。samos Antigone

もう一つは横長。後ろの海がいいでしょ。 Samos Theatre Panorama