エル・グレコ

小学生のころ、倉敷の大原美術館でグレコの『受胎告知』を見た。結構大きな経験で、そこで見た絵の中ではFontanaの『空間概念』とともにいつまでも印象に残っていた。とはいえ、右も左も分からない小学生にいちばん衝撃的だったのは、キリコの『ヘクトルとアンドロマケの別れ』だった。かっこえぇ。じょーぎが悲しみを吹き出してるって思ったような思わなかったような。大人になって、キリコもフォンタナも同じネタで飽きるほど描いていることを知ったときの落胆というか、なんというか…

その後、グレコは好きな画家リストから消えてしまい(人物が細長すぎて)、余り一所懸命見ていないし、その生涯についても知らないままだ。ヴェネチアでティチアーノの工房に学び、スペインに移り、トレドで一生を終えたのか。なるほど。

この映画El Greco-El Ultimo desafio a Dios (アクセント記号はとりあえず無視、直訳すると『エル・グレコ:神への最後の挑戦』)は、2007年のギリシア・スペイン・ハンガリー合作映画で、ギリシアでの公開は同年、スペインでは翌年のようだ。東京フィルムセンターで公開されたのは英語版で、イタリア語とスペイン語はほぼ英語に置き換えられているが、ギリシア語はそのままだ。

冒頭、グレコは異端審問で断罪された時のために、自分の生涯を書き残そうとする。彼は寝ているところを聖職者(後にニーニョ・デ・ゲバラ大審問官として登場)に起こされ、肖像画を描き直すように命じられ、それを拒んでふたたび眠るが、眠られず起きて自伝を綴り始める。そのグレコの回想が映画の主要場面になる。で、ところどころ現在時点からのナレーションが挟まるので、映像は解説的になり、芸のないものになってゆく。

回想部分は大体四部構成で、
(1)クレタ時代、最初の彼女フランチェスカとの出会いと彼女に勧められてヴェネチアに移るまで。
(2)ヴェネチア時代、フランチェスカとの恋愛とティチアーノ工房での満たされない日々、フランチェスカとの別れ。ゲバラに見出されスペインに移住を決意する。
(3)スペイン(多分トレド)で画家として売れっ子になり、ヘロニマ・デ・ラス・クエバスと出会い、恋に落ち、彼女の父親に親友が殺され、結婚するまでのエピソード。
(4)その8年後、トレドで異端審問官ゲバラの肖像画を描いたのがゲバラに気に入られず異端審問にかけられることになるエピソード。ここで回想の現在時点と合流。

映像としては二つの点を除いて退屈。クレタとトレドはもっと明るく、ヴェネチアはもっと暗くしないと、グレコのヴェネチアでの鬱屈が表現されないし、「嘆きの橋」とサン・マルコ広場で「ヴェネチアです」って画像はちょっとそれはないやろって感じ。

二点面白かったのは、(1)ティチアーノとグレコの作品が山ほど出てくること。複製が殆どなのだろうけれど、それでもスペインにある彼らの作品が中心になっていて、(2)ティチアーノの工房の描写。大きいホールにいろんな画家がモデルを前に描いていて、ティチアーノは眼鏡にかなったものにサインするってシステムなんだけれど、いろんな絵とモデル、画家が雑然と仕事している様子。天使の絵では若い男の子が天使の衣裳を身につけて実際にロープで浮いている。この工房の感じが美術史的に正しいかどうかは知らないけれど、映像としては説得力があった。

以下ネタバレ的にストーリー紹介

グレコは自分が異端審問で断罪されることを予感し、自伝を書き始める。

(1) クレタ。クレタはヴェネチアの占領下にある。ヴェネチア人はクレタ人に尊大に振る舞っている。グレコはクレタの若いイコン作家だ。彼の作品がオークションにかけられ、領主の娘のフランチェスカが高価で落札する。母親の遺産がらみで、父親のものではない独自の財産を持っているような感じだ。オークションのなか、グレコが自分を見つめているのに気づくフランチェスカ。二人は恋に落ちる。フランチェスカはグレコにヴェネチアで絵を学ぶように誘う。祭の夜、二人がベッドインしているさなか、フランチェスカの父親はクレタ人レジスタンスの一掃に乗り出す。辛うじて難を逃れたグレコの父と兄。グレコは父親の信奉者、自分の友人のニコロスを後見役にヴェネチアに向かう。

(2)ヴェネチア、ティチアーノの工房に通いつつ自分の絵を描き続けるグレコ。ティチアーノは工房作品中、気に入ったものに自分のサインをする。なかなか先生のような作品が描けないと鬱屈するグレコに、「ティチアーノの模倣者になる必要はない。エル・グレコであれば良いのじゃ。」と励ます先生。しかし鬱屈の日は続き、それを晴らすのはフランチェスカとの愛だけだった。相変わらずぱっとしない工房での彼の地位。スペインの聖職者ニーニョ・デ・ゲバラが彼に興味を持ち始める。ラオコーンを模写するグレコの下にやって来て、描き損じのスケッチを持ち帰る。ある日の工房、グレコの作業中、昼食休憩になる。天使モデルの男の子が降りてきてグレコを食事に誘う。その姿を遠くから見ていたゲバラは、彼の回りに真の天使が集まっているのを一瞬見る。ゲバラはスケッチへのサインを求め、スペインに来ないかと誘う。ヴェネチアよりもずっと光に溢れているぞ。悩むグレコ。二つの要素がグレコの運命を決める。フランチェスカが、父親の強制する老人との結婚に耐えられず聖職者への道を選んだこと、兄がやって来て最愛の父親の死を語ったことだ。

(3) 五年後。友人であったゲバラとグレコそれぞれの危機。スペイン(多分トレド)。グレコは結構高価な値を取る画家になっている。聖人伝を買いたたきにきた僧侶団と金額で決裂したところだ。その様子を教会の隅でおかしそうに笑いをこらえている一人の少女ヘロニマ。彼はグレコの個人工房を訪れ、そこで絵のモデルになる中で、恋心が目覚めてゆく。ただ、このヘロニマ役のLaia Marull、ちょっと少女は無理。30代半ばだものね。父親の目をかいくぐって逢い引きに現れた夜。父親が追跡し、一階で番をしていたニコロスを殺してしまう。一方ゲバラは、どう見ても狂乱している女のたわごとにつきあわされる。彼は即座に「要るのは医者だろ!」と言うが、ここで彼女を断罪できるかどうかが人生の曲がり角、できないと自分も異端にされるかも…で、異端審問官への道を歩むことになる。このあたり、ありふれているけれど、結構テンポがよい。グレコとの葛藤は、ヘロニマとグレコの逢い引きを邪魔しようとするくらいか。

(4)その八年後、グレコはその最高傑作と言われる、『オルガス泊の埋葬』を完成。そこにはトレドにいる彼の友人たちが描かれ、その姿はまるで聖人のように見えた。グレコはトレドの人々のあいだで大きな信頼と尊敬を得ていた。その完成のお祝いの場に、一人のギリシアのパン屋の妻が駆け込んでくる。夫がスペイン語を解さないために異端審問にかけられそうだと言うのだ。グレコはゲバラの下に向かい、そのパン屋を助ける。ゲバラの方は、グレコの絵に感銘を受け、自分もこのように聖人として描いて欲しいと考え、彼に肖像画を依頼する。ところができあがったゲバラの肖像画は、彼の人間としての浅薄さ、醜さを冷酷に映し出したものだった。ゲバラはグレコに描き直しを求めるが、グレコは拒絶する。そして彼に異端審問への召喚状が届く。

多分このあたりで回想の時間と物語の時間が一致するようだ。それが正確にいつなのかは正直あまり自信がない。実際のところ、冒頭ではゲバラが、まどろんでいるグレコに対し、肖像画の描き直しを求め、グレコは「あなたの絵はもう描いた」と言ってふたたび眠りにつくのだが、眠れずに起き出して、自伝を書き始める。そして(4)の後で、夜明けとともに自伝を書き終える場面があるのだけれど、これがいつなのかはっきりしない。まどろんでいるグレコに強要する場面は、グレコが既に異端裁判所の管轄下にあるかのように見えるのだけれど、物語上はそんな時間が存在しないのだ。字幕なしの英語版だったし、何か見落としているのかも知れない。

ともあれ、異端審問の召喚状が届いた後、ヘロニマはフランチェスカを呼び出し助けを求めるが、それも役に立たず、兄が駆けつけてくるが、物語上特に役割を果たさず、友人も誰一人物語の中でグレコを助けられない。グレコは自分への尋問(拷問の脅しすらないのも良く分からない)で、ゲバラ自身を証人に呼び出すが、ただ「あなたは闇に属し、私は光を描く。だからあなたは私を恐れるのだ」などと、かえって異端そのもののような弁明を行い、ゲバラ自身に「君は私の仕事を手伝ってくれている」と言われる始末。はたしてどうやれば彼は助かるのだろう?ネタバレ中のネタバレになるのでここからは白字で書くが、判決をゲバラが言い渡させようとした瞬間、突然グレコの後ろに光り輝く天使が現れ(今回は一人だ)、ゲバラに向かって炎を投げつける。たじろぐゲバラ。ショット変わり、朝、審問所の前、市民たちは審問の結果を広場で夜を明かして待っているうちに疲れ果て眠っている。扉が開かれ、目覚める市民たちの前にグレコが登場。歓喜する人々、というシークエンスだ。この二時間が全部無駄に終わったような徒労感溢れる結末だが、脚本をある程度変えれば随分見応えのあるものに出来ただろうにとも思う。スペイン在住のsatoritoさんのこちらのページによると、スペインでの評判は低かったらしい。

補足。
(1) 「大審問官ゲバラの肖像」とされるこの絵だが、映画のゲバラ役のホアン・ディエゴ・ボットはとてもこの絵に良く似せているのだけれど、絵それ自体、この映画で描かれているのとは正反対の評価もあるようで、Mariさんのこちらのページによると、1982年のグレコの回顧展以降、絵画のモデルが「教会の熱烈な改革者、学芸擁護者としても知られていた」ベルナルド・デ・サンドーバル・イ・ロハスではないかと言う節が出てきたらしい。絵は大審問官の残酷さよりも、「枢機卿の持つ威厳と知性」をむしろ伝えているという理由らしい。映画の前提が結構揺らぐ解釈だ。
(2) 異端審問の出だしは結構期待させた。審問官はグレコに問う。「お前は天使を見たことがあるのか?」ここで、「見たことがある」と答えればそれだけで異端確定だし、「ない」と言えば根拠のない像を描いたために異端の証拠になる。グレコの天使の羽根は教会の規定より大きかったらしい(この映画の中では)。どちらを答えても火あぶりが迫っている。
(3)映画としてはともあれ、グレコのファンにとって最大の失望は、グレコがグレコになった契機も宮廷画家になれなかったグレコの挫折も描かれていないことだろう。彼がどうやってあの独特のスタイルを獲得したのか、それがこの映画では、先ほどのティチアーノとの場面しかない。ヴェネチアで父の死を知りスペインに移る決意をする次の場面はもうトレドで人気作家になったグレコだもの。