アイアース (アティス・シアター)

演出:テオドロス・テルゾプーロス、
出演:アナスタシオス・ディマス、メレティオス・イリアス、サバス・ストゥルンボス

アイアスはトロイア戦争におけるギリシア第二の勇将で、『イリアス』では、その武はほとんどトロイアのヘクトルを凌ぐものとして描かれている。彼の武勇の特徴は、自らのみを恃むところにある。それは戦場での女神の助力の申し出を笑い飛ばして拒むほどだ。そしてそれが女神アテナの怒りを買う。アキレウスの戦死後、その武具を巡りアイアスはいまやギリシア第一の武将である自分がそれを受け継ぐものだと考えていた。しかし、オデュッセウスがアガメムノンたち、他のギリシアの武将を説得し、アキレウスの武具を自分のものにしてしまう。怒ったアイアスはギリシア全軍への復讐を誓い、夜中にアガメムノンの陣屋に忍び込み、アガメムノンとメネラオスの兄弟をはじめとするギリシアの武将を皆殺しにしようとする。ところが女神アテナがアイアスに狂気を送り込み、アイアスがギリシアの武将だと信じて殺したのは実は家畜小屋の羊や牛だった。

ソフォクレスの『アイアス』はこの場面から始まる。冒頭、女神に導かれたオデュッセウスが家畜小屋のなかのアイアスの様子を、探っている。アイアスが出てくると、オデュッセウスには気づかず、女神に自らの復讐を誇る。正気に戻り、自らがギリシア全軍の笑いものになることが分かったアイアスには自殺しか道がない。ここまでが悲劇の前半、アイアスの死後、その埋葬と相続を巡るドラマが悲劇の後半だ。

上演が始まると小さな台が十字状に並べられ、そのうち三つが裏返され、その中に顔をつっこんだ三人のアイアスが笑い声を響かせている。笑いは徐々に強まり、ヒステリックさを増し、最後には叫びのようになる。こうして、『アイアス』の物語が始まる。テルゾプーロスはこの戯曲から三つの場面を取り出し、一つにまとめる。第一はアイアスの妾テクメッサが語るアイアスの狂乱の様子だ。「夜 も更け渡って、宵の篝(かがり)り火ももはや消えた頃、あの方は両刃の剣を把(と)って、わけもわからずに外へ飛び出そうとしました。それで、わたしは呼 び咎めて申したのです、「アイアース様、何をなさいます? 呼ばれもせず、使者も来ず、ラッパの音も聞こえないのに、なんだってお出かけなさいます?  だって今頃は軍勢はみな寝ておりますよ」あの方は簡単な、しかしおきまりの文句でわたしに答えました。「女、女というものは黙ってるのがよいのだ」そう言 われてわたしも黙ってしまいました。それで、あの方は一人で出て行ったんです。だから外で何があったか、わたしはお話しできません。そのうちに牡牛だの、 番犬だの、羊だのを一緒に繋いで、牽いて帰って来ました。そして、それを、あるものは首を切り、あるものは仰向けにひっくり返して咽喉(のど)を切り、そして真二つに截(た)ち割り、それから縛り上げたのは、その畜群(むれ)の中へ飛び込んで、まるで人間相手のようにひどい目に逢わせるのです。はては戸口 から飛び出して、なにかの物影に恐ろしい悪口をあびせかける。それはあるいはアトレウスの子達に対し、あるいはオデュッセウスに向かってなんです。それと 同時に、また大きな声で笑う。」(内山敬二郎訳、以下も)

第二は同じテクメッサの次の台詞「やがて二疋の足の白い羊を選び、一疋は頭と舌の尖端(さき)を切り取って、投げ出し、一疋は真直ぐに柱に縛り上げ、大きな馬具の綱を取って、二重の鞭にしてびしびし引叩(ひっぱた)き、神様でもなければ、とても人間が教えたとは思えない、恐ろしい言葉で罵(ののし)っていました(234-44)。」

第三は女神アテナがオデュッセウスに説明する、同じアイアス狂乱の様子だ。「妾は、羊の群れや、分捕りの家畜の、まだ分配せずに見張りがつけてあった群れに、彼を襲いかからせた。それで、彼はその中に飛び込み、切り裂き廻って、角の 生えた奴らを殺して、時にはアトレウスの二人の子らを我が手にかけたと思い、時にはあれこれと将領を倒したと思った。妾はその逆上して狂い廻る男を嗾(け しか)け、禍の罠に追い込んでやった。やがて彼は虐殺の手をやめ、生き残った牛と全部の羊を繋いで、自分の幕舎へ牽(ひ)いて行った。その物を人間のつも りで、角の生えた獲物とは露知らず。今その一緒に縛ったのを、幕舎の中で苦しめておる。」

これらは第一のテクメッサの台詞の真ん中に挿入され、一つに合成されて、アイアスの狂気を伝える。正味これだけの台詞が、三人の俳優によって、各部分にも反復を重ねながら、何度も繰り返される。演技は例によってテルゾ+アティス・シアターで、小さな台にのった白塗りの半裸の俳優たちが、身をくねらせながら叫ぶように語りかける。ただし、今回は身振りは模倣的だ。役者によって、それぞれ、ナイフで、あるいはのこぎりで、家畜たちを殺す仕草が繰り返される。ちょうど三条会の『メデイア』が発想としてはやや似た演出になっている。

台詞でも、「彼は殺す」という言葉が特に強調される。もう一つ強調されているのが、「彼は笑う」という言葉と「大きな声」での笑いである。ここでは、アイアスの笑いそれ自体がグロテスクな滑稽なのだが、その響きは滑稽と恐怖を兼ね備えている。

反復が重ねられることによって、私たちはその滑稽と恐怖のみなもとである狂気が、殺戮の対象を間違えたことにあるのではないと気づく。それは抑制のきかない殺戮そのものの滑稽と恐怖なのだ。そうして、冒頭の三人のアイアスによる笑いそのものが神経症的な笑いであることも腑に落ちてくる。あらゆるところに敵を見いだす神経症と、笑いつつなされる抑制のない殺戮、これは帝国主義そのものではないか?

とすれば、アイアスが三人いて、三人によって殺戮が繰り返されることの意味もあきらかだ。三人のアイアスはロシア・アメリカ・イギリスに他ならない。(まあ、これには暗示があって、芝居の最後に短く、しかし三度にわたって、Pink FloydのThe Final Cut(だと思う)から、「ブレジネフはアフガンに、レーガンはベイルートに手をかけた。そしてマギー...」云々という箇所が引用される)。アイアスは正気に戻らず、無意味な殺戮を繰り返し、世界はいまだ彼らに支配されているのだ。

だとすれば、必要なのはオデュッセウスなのか。