貴婦人の帰還 - GaiaDaysFunctionBand上演

演出・翻訳:古城十忍 翻訳:鈴木小百合
キャスト- クレーレ・ザッハナシアン:長山藍子、アルフレッド・イル:萩原流行、市長:奥村洋治、学長:山下夕佳

GaiaDaysFunctionBandの公演『貴婦人の帰還』の原作は、直訳すれば『老婦人の訪問』になるのかな、スイスの作家デュレンマットが1956年に作った諷刺劇だ。日本でも、『貴婦人故郷に帰る』という邦題で翻訳が出版されていて、早稲田大学の演劇博物館データベースによると、原作出版直後の1957年には上演され、1991年にも現代劇センター真夏座が上演している。私も、俳優座劇場で上演を観た記憶があるが、これは91年のものなのかなぁ、俳優座が上演していたのだとばかり思っていた。もっといろいろと上演されていたと思ったのだが、早稲田のデータベースにはこの二件しかなかった。それほど人気のある作品ではないのかしら。

今回は英訳からの重訳での上演。既訳(岩淵達治)よりもそんなに良くなったとも思えないが、何か事情があったのかしら。絵葉書式でとても読みにくいパンフレットの中でも、日本での受容については触れられてもいない(ブロードウェイミュージカル化については語られているのに)。

お話自体は単純で、ギュレンの町出身で億万長者の未亡人になったクレーレが、数十年ぶりに故郷のギュレンの町を訪問する。不況で息絶え絶えのこの町は、彼女の歓心を買おうと総出で歓迎の準備を行っている。帰ってきたクレーレは、正義と引き換えに、つまりかつての自分の恋人で40年前に自分を妊娠させた上で酷い仕方で裏切ったイルの命と引き換えに、町と町民全員に大金を寄附すると申し出る。町の人々は最初はその申し出を拒否するが、金遣いは荒くなり、イルの死と引き換えに得られる金を目当てにしていることが明白になって行く。クレーレは町に滞在を続け、町の人々は徐々にクレーレの申し出を真剣に考慮し始める。

劇としては、クレーレの申し出があった時点でイルの死は約束されたも同然で、後はどのようにその結末に持ってゆくのかが見せ所になる。今回は休憩なしに上演された第二幕では徐々に追い詰められてゆくイルの焦燥感が描かれ、第三幕では諦観に達したイルの姿が大金と良心を引き替えようとする市民たちの見苦しさと対比される。

上演としては、くっきりと分かり易いものになってとても面白く見ることが出来た。秀逸なのは萩原流行で、慌てふためく様子、焦燥感、第三幕での深いあきらめの対比がはっきり出ていた。ある種表面的な演技ではあるのだが、この役柄に細かい心理描写は要らない。対照的に殆ど感情を示さない長山藍子も、それはそれで奥行きのある演技だと思った。それ以外では、あえて(だろう、いろいろありえないもの)中年の女性にした学長はカリカチュアと真面目な描写との境界がやや曖昧になったし、市長にはカリカチュアしかなかったのが少し不満。

演出と翻訳への文句を一つづつ。最後、イルをみんなで殺す場面に彼の家族を入れちゃ駄目だと思う。父親を大金と引き換えに殺すというのは重すぎるテーマで、作品全体を壊してしまう。前のシーンでは家族は隣の市の映画館で映画を見ていることになっているのだから。(岩淵訳で一応確認したが、最後の場面に家族を参加させるような指示はなかった)。ギュレンとか、オーバーアマガウとかドイツ語の、ドイツの地名が基本になっているのだから、イルの娘に「ドイツ語とフランス語を」学ばせるのもおかしいだろう、原作では「フランス語と英語なのに」と書いて気づいた、多分英語からの重訳を使ったせいでそうなったのね(確かに英訳ではそう変えるのは自然だ)。随分杜撰だなぁ。