Blind

2007/10/13 大信ペリカン作。
キャスト 平林 里美、荒川 美樹、七海 良郎、加藤 裕美、小田島 達也、荒井 和寛。

福島の劇団満塁鳥王(まんるいとりきんぐ)一座による駒場アゴラでの上演。この劇団は夏前に福島で『エレクトラ』を上演した。それは面白いものだったようだ。

呆れた。以下ネタバレ含む。

自分の祖父は、ひょっとしたら革命を標榜するテロリストのメンバーで、その目的のために、子供が生まれたばかりだというのにその子供(つまり自分の父親)を見捨てて、60年前に、国鉄を思わせる巨大鉄道会社でリストラを遂行しようとする社長の轢殺に意図的に関わっていたのではないかと脅える主人公が、革命を標榜する連中は(テロリストかどうかは分からないけれど)社長轢殺計画は行っておらず、轢殺は彼らを弾圧しようとする誰かの陰謀であったこと、祖父は真相を知らずに、生まれてくる子供のためにリストラされないよう、その連中を裏切って「誰か」の陰謀の先棒を担いだだけであり、社長を轢殺するとは知らなかったこと、そのとき序でに行商をしていた見知らぬ母子(子供は小学生)を絞め殺していただけだったことに気づいて安堵し、自分も父親になれるような気がする、というお話を「なるほど」と思えない限りついて行けない。

オイディプスとか60年間年を取らないアンティゴネとか「力のある文章だと輝いているから読める」盲目の占い師だとか、闇の中で花が咲いたように光っている血痕とか、トンネルで死肉を漁る鴉とか、まあその場限りのキッチな設定やイメージを乱発できるものだ。時空を超えた祖父と孫の「感動的な」対話(先ほどのネタバレのところ)もある。親子ならまだまあ分からなくもないが、祖父だよ。それも自分の父親が生まれた日に死んでいる祖父だよ。俺の祖父の一人は昭和18年頃に、もう一人は35年頃に死んでいるが、俺はどちらもどんな人間なのかほとんど知らないし興味もない。どんな人間だったかってことが自分の人格形成になにか関わるのか?

まあ、たとえそういう人がいることを舞台の約束として受け入れるとしても、だ、祖父が父を見捨てたと思った父が子供に向き合うことが出来ず子供=自分に暴力をふるっていたので自分も子供に向き合うことが出来ないと思っていたのが、祖父は、どこぞの母子二人を殺していたけれど、父を捨てた訳じゃないので一安心、て「あんたバカぁ?」

この劇団の特色は、登場人物同士の対話と観客への語りかけを自由に交差させたクールな舞台にあるようだが、こう言うのが好きな人もいるのかも知れない。物語をきちんと練る努力を省いているようにしか見えなかった。一度対話だけで物語を作ってから、それを解体する作業をせずに、最初から交差を前提にテキストが作られているような気がした。つまり、話が作者の処理能力を超えて複雑になりかけると説明を加えてまとめているのではないのかと。その辺が安易な感じの原因。

若い人が、「運命」だの何だののテーマ圏を求めてギリシャ悲劇だの何だのに安易に頼るとろくな物語は出来ない、ってのが「アルゴス坂」の裏テーマでもあったような気がする。