新国立劇場「CLEANSKINS/きれいな肌」

赤旗に書いた劇評はこちら(PDF)。

あるところに、公営団地に住む貧しい母子がいました。お母さんは、その昔、ひどい男だった夫のもとから逃げだし、家にあるのは金髪碧眼の写真一枚です。それ以外の思い出の品はすべて置いてきてしまいました。

この母子には娘/姉が一人いました。彼女はひどい麻薬中毒で、何度も警察のやっかいになったあげくにいつの間にか出て行ってしまいました。プロサッカー選手だった息子はケガの所為でチームを休むことになり、その期間中に麻薬に手を出してしまいます。

でも、この息子を中毒から救い出してくれたのが、反移民・反ムスリムの極右の活動家でした。彼は息子が立ち直るよう親身に世話をしてくれたのです。息子もいまは立派な極右活動家です。でも、その政党の立候補者の名前は知らないレベルなんですけれどね。

そこへ、長い間留守だった姉が戻ってきます。麻薬中毒を克服して。

でも姉は、イスラム教徒になっていたのでした。

なぜ姉はイスラム教徒になったのでしょう。「何が彼女をそうさせたのか?」でも、弟は「早くでてけよ」と繰り返すだけで何故かには興味がなさそうです。母親は、何か分かっているみたいで、これも弟との関係を心配するだけで「何故か」には興味がなさそうです。

姉はイスラム教徒になることで、麻薬中毒を克服したようです。その姉は、置き去りにした父親についてしつこく二人に質問をします。自分が何かを知っているかのように。(ここまで30分位)チラシにも、父をめぐる意外な真実が明らかになる、と書いてあります。

ここでクイズです。お父さんはどういう人だったのでしょう。

  1. 白人のろくでなし
  2. 白人の善人
  3. イスラム教徒移民のろくでなし
  4. イスラム教徒移民の善人、多分金持ち

ここまでの情報から推理してみましょう。作者のカーンはパキスタン系スコットランド人で、新国立劇場が極右礼賛演劇をかけるはずもなく、3の可能性は排除されます。1は最初の設定通りなので意外じゃないので駄目。2と4が残りますが、2だと姉がイスラム教徒になったのがまた違う話でなければなりません。戻ってきた姉が父のことにこだわる理由がありません。

嫌らしい文体で書いていて嫌になった(最初は「奥様は魔女(姉様はムスリム)」の冒頭がBGMで響いていたが、途中からちょっと変わってしまった)ので戻すが、父親が4であることは実は姉が登場した時点で(「父の意外な真実」というちらしやポスターの文面から)見えている。だからこのネタは最後まで引っ張るのではなく、どこかで回収しなければならない。それで最後まで引っ張っている時点でこの芝居は話にならず、設定の持つ面白いテーマも吹っ飛んでしまう。だから、お父さんがトルコ人のいい人だったから私は麻薬中毒を克服してイスラム教徒になったのって理屈はお友達が麻薬中毒の克服を助けてくれたから僕は右翼になったんだって理屈とほとんど変わらない、というかさらに悪いとか、子供たちが差別されるのがこわかったから(実際に差別されたからではなく)天使のような夫から逃げ出して、どこの誰とも知れない男の写真を父親のだと偽ってきましたという母親の告白は嘘くさいとかの感想も、とにかくようやく物語が回収されたことへの安堵感にかき消されてしまう。

カーンの作品はエディンバラフェスティバルで絶賛を博したものが二つもあるのだから、粗い下書きのようなこのレベルの低さはカーンが書き飛ばしただけのことなのだろう。このまま英語圏で上演できるとはとても見えない。

もう一つ驚いたのは、この作品に対するネットでの評価だ。誉めているけなしているではなく、「意外な結末」と書いているサイトがいかに多いことか。別役の「やってきたゴドー」といい、このCLEANSKINSといい、特に演劇系のブログの人たちは素直だな、と思いました(文体が戻った)。