ブレヒト 『三文オペラ』 黒テント

池上本門寺グランド

演出 佐藤信

俳優
斎藤晴彦、服部吉次、桐谷夏子、岩井ひとみ、
横田桂子、田村義明、木野本啓、山下順子、
宮崎恵治、愛川敏幸、平田三奈子、岡薫、
片岡哲也、重盛次郎、久保恒雄、小林恵、
畑山佳美、森智恵子、河内哲二郎、本木幸世、
工藤牧、足立昌弥、佐野友宣、宮地成子、
遠藤良子、鈴木裕美子、谷川里美、森田圭一、
山本哲也、太田麻希子、伊達由佳里

黒テントを初めて観たのは、もう20年ほど前、京都円山公園での『三文オペラ』の古いテントでの公演だった。その時の衝撃は圧倒的で、歌の自由な訳、舞台設定(大政奉還の頃)の変更の意味合い、すべてが「はまる」感じだった。当時、岩淵達治がずいぶん否定的なことを書いていたのに驚いたものだ。そのころ、結構ブレヒトが好きで、栗原小巻のセチュアンやら、アマチュアの人たちのイェスマンやら、肝っ玉おっ母やら、大阪で機会がある限り観ていた。もっとミュージカル仕立てのとても長い「三文オペラ」やら、これは東京に来てからだが、舞台を戦後すぐの日本に移した『三文オペラ』、東京演劇アンサンブルのどこが面白いのか何がやりたいのか今に至るまで分からない肝っ玉も観た。いやぁ長ったらしい説教を聞かされている感じで、たまらなかった。

ブレヒトの芝居の面白さの一つに、語られている言葉が、それ自体では尤もなんだけれども、「おまえが言うなよ」という人物を語り手にすることで生じる屈折した響きがあると思う。そのずれを上手く捉えないと、メッキーやピーチャムを「虐げられた人々」の代表のように扱ったりすることになる(上に書いた戦後すぐヴァージョン)。乞食を束ねる社長が乞食ではないように、メッキーもまた他の泥棒たちの「雇用者」である。アテネで観たギリシア人の『三文オペラ』は、他の部分はとても面白かったのに、ジェニーに裏切りを悔悛させていて興ざめだった。この点では、黒テントのは必要な距離をいつも保っていて好ましい。

私の観た中で、一番クールで格好いい「メッキー」は、ロンドンのWest End、Donmar Warehouseでのサム・メンデス演出の『三文オペラ』(1996)で、これは設定を次の皇位継承(2001年)に置いていた(但しチャールズは辞退で彼の息子が新しい国王になる)。「警察、マックザナイフに迫る」の大見出しが一面の16ページインチキタブロイド紙つき。この、きわめて暴力的だが悪の楽しさを描ききった上演がマイ・ベストで、次が黒テントだった。そういえば、私の披露宴(^_^;)に際しては、司会者に「人の努力のむなしさの歌」を祝辞代わりに歌って貰ったし、退場の時には三文オペラ組曲から第一の三文フィナーレを使ったな。司会者に、「(努力の努の字、砕いてみれば、女の又ぐらに力あり」という歌詞の黒テントヴァージョンで歌ってくれ(爆)」と言ったのは断られてドイツ語ヴァージョンだったが。

今回の黒テントのは、設定を日清戦争の頃に移しているが、それ以外は前回のとテキストもそんなに違わないように思う。喜劇臭を前面に出している点も同じだ。しかし随分つまらなくなった。その原因は二つあると思う。第一は役と俳優の間のずれが、本当に「異化」効果しか持っていないこと。ピーチャム(以下役名はオリジナルので)もピーチャム夫人もかなり若い役者がやり、他方メッキーはもう最長老(か?)の斉藤晴彦、手下の泥棒たちは全員女優が演じ、女郎たちはジェニーを含め全員男優、タイガー・ブラウンはおかま言葉だしポリーもルーシーもけっこうとうがたっている(最後二人はちょっと違うかも...)。で、それが魅力的に輝いていない。演技はそのギャップを埋める必要はないんだが、リアリズムに代わる見せ場が提示されない。ポリーが啖呵をきっても、相手も女だしそんなに迫力がない。メッキーは職業的犯罪者に見えないし、それほど女好きにも見えない。タイガー・ブラウンだって、それなりの迫力を持った人間が日和ったりやりこめられたりするから面白いので、最初から吉本新喜劇の駐在さん程度の迫力しかないと、「人の努力のむなしさの歌」も活きない。

第二は、このこととも大きく関わるが、魅力的な歌がすべてコーラスになってしまって、それぞれの人物の状況を「示す」ことになんら寄与していないしまたそれで魅力が増すわけでもない。ヴァイルの歌は、ブレヒトの「異化効果」とは独立にその人物に上手くあった魅力を持っている。「海賊ジェニー」とポリーの組合せはちょっと違うかも知らないけれど、第一の三文フィナーレはこの三人だから面白いのであり、「性欲の歌」やジェニーとメッキーの思い出もそうだ。それらすべてにコーラスがしゃしゃり出る。そのコーラスの唯一の役割は力強さ、つまり一人一人の役者の歌唱力の欠如を補っているだけのように思われる。そして歌は、コーラスの入らないストリート歌手を除き全部同じ色あいにそまる。

それ以外の点で腑に落ちなかったのは、大詰めでのピーチャムの説教を省略したことだ。ピーチャムは次のように言う。「さて、いよいよマクヒース氏の処刑が始まります。これがこの世の定め、私たちの住む社会では、ここにいたってはこの結末しかありません。しかしながら、私たちはこのお芝居を楽しんで頂けるよう、ここで皆様に別のエンディングを用意しました。」(記憶なので細部は違うかも知れない。)最後の、デウス・エクス・マーキナが、芝居だけの約束事であることを改めて確認するこの台詞は、「悪をそんなに目の敵にするな」と歌うフィナーレとの関係だけでなく「三文オペラ」全体に必要だし、ピーチャムに語ってほしかった。

されど、「黒テント」のテント上演の復活である。若い悪党のメッキーが登場し、斉藤晴彦にはピーチャムをやってもらう、そういう『三文オペラ』が観てみたい。杉村春子は幾つになっても「女の一生」をやりましたとか、そういうのも観劇の楽しみとして「あり」とは思うけれどさ。