二人の主人を一度に持つと

劇団 イ・フラッテリーニ 2003年5月31日 静岡、県立芸術劇場
アルレッキーノ マルチェッロ・バルトリ
ベアトリーチェ ダリオ・カンタレッリ
ブリゲッラ ジョルジョ・ベルタン
パンタローネ ドナテッロ・ファルキ
スメラルディーナ ミケーラ・マルティーニ
シルヴィオ アントニオ・メローネ
クラリーチェ ミケーラ・モッキュッティ
ドットーレ・プリエージ ロベルト・ペトルッツェリ
フロリンド リーノ・スパダーロ

静岡県の舞台芸術センター(SPAC)主催の「春の芸術祭2003」の一環。ジョゼッペ・エミリャーニ演出のゴルドーニのお芝居である。

舞台中央に四角く赤い舞台を置き、客席側を除く三方はいくつものろうそくと鏡台を配置した黒い壁面。鏡の脇にはカラフルな棒が立てかけてある。赤い舞台の後ろ半分は起こして扉の三つついた壁としても利用される。

開演時間になっても30分ほど、証明のトラブルの調節で舞台照明がついたり消えたり忙しい。ちょっと気分が悪くなってくる。トラブルが直らないのでエミリャーニが出てきて間を保たせる。

トラブルは劇場側の問題だそうで、劇団の方は災難ですね。結局原因不明で照明がついたり消えたりするままでの上演。全照明がついていることが多かったので、ほぼ照明効果なしでの上演と考えればよい。だがそれはあまり問題ではない。照明効果はこの芝居には特に必要なく、明るいままで全然齟齬はない。それよりも字幕がひどさが大きく興を殺いだ。あらすじ程度しか分からない字幕の出来自体もさることながら(台詞の機微が全く分からない)、それが大幅にずれているのは準備不足もいいところ。外国の劇団はイヤホンよりも字幕が良いと思うが、そのためには、映画字幕のレベルまでは望まないものの、ある程度親切な字幕が必要だ。今回静岡で三本の字幕上演を見たが、これだけが際だってレベルが低かった。有名な作品で邦訳もあるのになぜなんだろう。

それで上演自体の楽しみは随分減殺された。実際以上につまらなく思われているのかもしれない。驚きはベアトリーチェが男優であること、アルレッキーノが声も身体もかなり太めで、イメージとしてはブリゲッラだということ、フロリンドがかなり小柄でベアトリーチェの肩までもいかないように思われたこと。プリンのギャグを含む食事の準備シーンも遅いし、誰でもやれそう。

まあ、こういう評価も、先入見としてストレーレルの『二人の主人』があるためで、そのイメージが強いからだ。それに較べると動きが重く、その分暴力的だ。アルレッキーノが二人の主人からしこたま殴られる場面や、フロリンドとベアトリーチェが、「お兄さんを殺した僕と結婚するのをトリノの人が許してくれるだろうか」「大金を払って解決できるわ」という台詞の口調など、全体のトーンと違和感が感じられる。ひたすら楽しく、になっていない。男優のベアトリーチェはいろんな面白いことが出来る設定だと思うが、ここでは単に男の女装にしか見えない。

いろいろと考えさせるところはあったものの、この芝居はそんな考える現代劇じゃないだろ。