小さなエイヨルフ

199905/13-22 シアターΧ
劇団円 (出演高林由紀子/藤田宗久 /福井裕子他)

「小さなエイヨルフ」はイプセン後期の作品。主人公は倦怠期に入った*(役名を忘れてしまった。だれだっけ?)とリタの夫婦。*は著作のため一人で別荘に出かけていた。彼が予定を早めに切り上げて戻ってきた翌日、息子エイヨルフが水死する。それが、この夫婦の、それまで隠れていた無意識、夫の愛情を横取りするものとしての子供への妻の敵意、夫が求婚する際の打算、兄妹の近親相関的な愛情を明るみに出す。この夫婦がどのようにして子供の死を乗り越えるのかが劇後半のテーマになる、のだが...

イプセンの戯曲は当時としてはフロイトを予感させる深層心理の描写で斬新だったんだろうけれど、二十世紀も終わろうとする現在から見ると随分ステレオタイプだなあ、でも後半には神秘主義的な超越のテーマがちゃんと出ているなあ、*は大声か小声か二通りの感情表現しかないぞ、妹のアスタは棒読みだぞ、リタだけが見るに耐える演技だなあなどという感想の前に、なんなんだろうこの台詞は...。

最初、年端のゆかない子供が「何をしたい?」って聞かれて、「僕の望みは...」と答えるところからやや可笑しいのだが、舞台が進むと夫は著作のために「一日中机に座っていた」と行儀の悪さを明らかにするし、極めつけには子供の死を悼んでいる場面で、エイヨルフのことを考え続けなければいけないのに、つい「今日のお昼はなんだろうなんて考えてしまうんだよぉ」と告白するのである(ここは吹き出すのをこらえるのが苦しかった。)状況に合わないそうした台詞は随所に見られ、あちこちでくすっという音が聞こえる。これは喜劇だったっけ?

たしかに、演出(安西徹雄)がテキストを改変するのはためらわれるだろう。しかしこれは翻訳劇であり、作者と訳者(毛利三彌)のどちらへの忠実を重視すべきかは自明だと思われる。

それとも、スタッフ・キャストともに、そうした台詞の「言葉遣い」の滑稽を分からずに舞台に関わっているのだろうか?朝日新聞の劇評には「新劇調の演技が目立つ」などと書いてあったが、それ以前の問題だわ。