燐光群『アイアム・マイ・オウン・ワイフ』 20090214

ダグ・ライト作 常田景子訳 坂手洋二演出

最近どことなく相性の悪い燐光群。今回は実話もの現代劇シリーズ。

今回の主人公はシャーロッテ・フォン・マールスドルフという服装倒錯(以下TV)者、同性愛者で、ナチスと共産党支配下の東ベルリンを衣裳倒錯者として生き抜いたという人だ。彼女(男性として生まれた)は、思春期にTVに目覚め、同じくTVのレズビアンである伯母の保護のもと、ナチの時代を女の子の服を着て過ごし抜く。抑圧的な父親を殺した廉で少年院に入れられるが、空襲と共に解放される。東ドイツ時代でも、自分のコレクション(蝋管時代からのレコードとプレーヤーのコレクション、様々な時計、戦前のゲイキャバレーの内装など)を守り抜き、統合後、文化遺産を守ったことに対して大統領から勲章を得る。ところが、東ドイツの秘密警察のスパイだったことが暴露され、彼女の密告による投獄者もいたことが分かる。彼女自身は相手の了承を得ての密告だったと語る。しかし、レズビアンの伯母の話も、父親殺しの話も、密告した相手との友情の話も裏付けはなく、彼女の評判は地に落ちる。一方、彼女のシュタージへの報告は支離滅裂だと言う書類もあり、高機能自閉症の症状としての虚言ではないかと分析する心理学者も現れる。毀誉褒貶を経た後、彼女は北欧に転居し、ベルリンの自分のコレクションの博物館を見に戻ったとき心臓発作で死ぬ。

途方もない人だが、異装者かつゲイとしてこの時代を生き抜き、自分の美術館を守ったこと、シュタージのスパイだったことは事実らしい。スパイの度合いについてはこの芝居では曖昧なままだし、現在でも議論があるところみたいだ。

こんな人をどうやって演劇に出来るのだろう。作者のダグ・ライトの発想は、一人芝居にすることだった。そこには彼について助成金を得て芝居を書こうとする作者自身も登場する。多分、一人の役者が作者と彼女の両方を演じることで、この人物の同化のし難さを舞台に提示するようなものではないのかしら。他方、ヨーロッパでは、普通に一人一役で演じているヴァージョンもあるらしい。特に旧東ヨーロッパでは、彼女のような人物は国の中に多分たくさんいて、なんとか理解できる存在になっていたからではないのかしら。確かに、シャーロッテ役には大きな負担がかかるけれど、それでも、多分彼女は、みんなが知ってる誰かだったんだ。

さて、燐光群はどう演じたかというと、みんなで一人芝居をやるという方向へ向かった。みんな黒いドレスに真珠のネックレスという女装。彼女をイメージ検索すると黒に真珠という画像が多いし、英語版初演もその衣裳みたいだ。彼女らしさを追求した演技でもない。そうなると、結局シャーロッテの嘘や行為の重みを引き受ける俳優が誰一人いない。で、主としてシャーロッテを演じる川中健次郎を含めて、芝居はやたら説明的になる。彼女の人生が実際にはどういうものだったのかの説明はなされないままなので、こうした説明的な上演ではとても不満が残る。せめて、「ミュージアム、コレクション、人」(まずドイツ語でMuseen, ???, Menschenと言い、「美術館、コレクション、男たち」と日本語で繋げた気がする。真ん中は日本語の部分も私には聞き取れなかった。このムゼーンは「美術」館やないし、ここでのMenschenは「男」に限定されないと思う)という彼女の人生における優先順位を叫ぶところは、もっと印象的に出来なかったのだろうか?せめて脇正面でも聞き取れる言葉で語って欲しい。それが、彼女にとっての、シュタージへの協力を正当化する根源的な理由、そのために他のすべてを犠牲にしても良いと思う理由だったのだろうから。ついでに言うと、ドイツ語が下手、というか、彼女の語るドイツ語の役割は、思わず出た本心という感じなんだから、ネイティブのように発音できないなら要らないのではないか。

最初、アンティークのテーブルと写真が客席四つごとにおかれていて、とても期待してしまった(ブロードウェイの『キャバレー』がそんな客席だった)。でもそのテーブルは全然活用されない。テーブルにチラシをおいた観客が事前に注意されていた(私じゃないよ)ので、何か活用されるのかと思った。作品の中で、ベルリン最古のゲイキャバレーの内装を「美術館」の地下に移した旨があったので、そのテーブルのつもりなのかしら。そうだとすると、間近で見ると、彼女が言うほど魅力的ではない。でもそこは分かんない。

まあ、これはあまりに無い物ねだりかもしれないけれど、この芝居で圧倒的な存在感を持っているのは、モノなんだと思う。台詞で説明される数多くのコレクション。一万を超える蝋管や初期円盤型レコード、数多くの大時計、レコードプレイヤー、そうしたモノの魅力と迫力が殆ど味わえないのはフラストレーションが溜まる。エジソンの蝋管プレイヤーと初期SPプレイヤーだけは出てきてそれなりに魅力的だったけれど、でも主として説明的に用いられている。もちろん、舞台だから本物を置く必要は無いのだけれど、もう少しモノの魅力を伝えるセットだったらなぁと思う。