維新派 『ろじ式』

例によって赤旗に劇評を書きました。こちら。

今回は編集のひとと相談した結果原稿を一部修正した。

一番大きな修正は、「近所には違法な仕事に手を染めている町工場もある」って書いたのを、いやそれは読み込みすぎじゃない?と疑義が出されたことに対応したもの。「維新派」も三度目で、前二回は物語の再構築に部分的に失敗したりしていた(ちゃんとパンフを読んでなかったり、維新派自体が無理な物語構築をやっているのでは?と思うようなこともあったり)のだが、今回は殆どの場面が、何か手に取るように分かった気がしたので、それでやや手前勝手な解釈になったかもしれないと思い、「うさんくさそうな町工場」に変更。拳銃密造工場にしか思えなかったのだけれど…あとは外地を海外にしたり(こちらからの提案)とか、「フェスティバル・トーキョーの開幕を飾る」みたいなフレーズを入れたりとか、マイナーな変更。

舞台は大阪の大正区で(言い切りモード)、狭い路地がひしめき、ちょっと強い雨が降ると床上浸水しやがる劣悪な環境のごみごみした町並みだ(だから定数1でも共産党の市会議員が出たりする)。港が近いため、引き揚げ者がそのまま住み着いたり、あるいは地方から船で来た人たちがまず居を構える地域だ。引き揚げ者の歓迎会なんかも行われている。

そうした状況は私が住んでいた隣の港区でも殆ど一緒で、大正区は沖縄の人が多いが、港区は徳島の人が多かったような記憶がある。すぐに浸水するのも多分似ている。私の記憶がある時期には、地上げ(って言うのか?土を盛って地面を高くする)がなされた市営住宅に住んでいたので、床上浸水は二度しか経験がないが。ちなみに、うちの祖父母も大連から引き揚げてそのまま住み着いた人たちみたいだ。借地権を持ってて、結構高い値段で売れたらしい。市有地に仮作りの家を建ててすんでいた人たちもいた。今でも、尻無川沿いの道路を歩くと川面よりも低い位置に住宅や倉庫や工場が並んでいるのが分かる。

途中出てきた、「ほっちっちー、構てなや、お前の子じゃなし孫じゃなし、赤の他人じゃほっちっちー」というディスコミュニケーション・フレーズ(大袈裟、囃し言葉)は子供の頃父親がしょっちゅう使っていて、懐かしかった。まあ、彼は私の父で、子でも孫でもないのは事実だ。赤の他人ではないと思うが。両親には良く、「やーい貧乏人の子」とも言われた。うちの両親はプチブルの子だったらしい。港区の下町だと、はしけを家にしている船上生活者の子供たちの描写がないと物足りない気がするが、大正区だとどうなのかは知らない。

こっちが懐古意識満載で見ていただけなのかも知れないが、で、そんな懐古をして何が面白いの?という疑問が残った。路地が海に繋がり、それが地域のインターナショナルな性質を生む、ってのは実のところ疑問だ。それをさらに人類史に結びつけられても???確かに港区は韓国・朝鮮の人は多かったが。松本雄吉には大阪の港湾地域への独特の思い入れがあるような気がする。

赤旗には「「ねじ式」とは無関係」と書いたが、「ねじ式」は、海から上がって港町の路地で医者を捜す、って話だった。その意味では全く無関係ではないか。