笠松泰洋 ギリシャ劇 『エレクトラ三部作』<アトレウス家の崩壊と再生> 第二部『エレクトラ』

王子ホール委嘱作品
作曲・台本構成 笠松泰洋  演出・振付: YOUYA 台本・作詞: 岡本おさみ
語り: 麻実れい  ソプラノ: 飯田みち代 ダンス: YOUYA  指揮: 笠松泰洋

室内オーケストラと語り、ソプラノのための「ギリシャ劇」。王子ホールは初めて行ったが、王子製紙ビルの中にある小さいが豪華なホール。観客に結構中高年の男性がいる。始まるとすぐ寝ていた奴も多かったが。

作曲者は、東大美学出身の作曲家だが、劇音楽も作り、蜷川の『グリークス』などの音楽も手がけている。また、『アガメムノンとカッサンドラ』『オケアノスの海』など、ギリシア主題の作品もあるようだ。音楽は、やや無調も入るような気がする二十世紀前半風。私の知っている似たような感じの作品は、ストラヴィンスキーの『兵士の物語』だけれど、諧謔風味はない。ひたすらまじめにエレクトラの世界をたどる。

朗読劇と称しつつも、いわゆる地の語りはなく、一人の朗読者が各登場人物の台詞を語る。麻実れいがほぼすべての語りを行っているので、クリュタイムネストラとエレクトラの「一卵性母娘」ぶりはよく出ている。ジロドゥの『エレクトル』ではそれがテーマの一つになっていた。他方、主としてソフォクレス版に依拠しつつも、ソフォクレス版の肝であるエレクトラとオレステスの認知は、一人の語りでこの劇的な変化が出る筈もなく、ソプラノの歌に頼ることになる。音楽が調子が少しだけ変わると、エレクトラはオレステスを認知しており、絶望の歌は歓喜の歌に変わる(ようなのだが、あまりよく分からない)。

ソフォクレス版の特徴は、クリュタイムネストラ殺害をアイギストス殺害の前に持ってきたところにある。これは話をエレクトラの絶望から一転しての復讐の成就という一つのポイントに絞り、劇的緊張をそこに向けて高めてゆく構成になる。だから話はアイギストス殺しで完結する。今回の構成では、最後にエレクトラとオレステスの悔悟とオレステスの狂気まで入れているので折角のソフォクレスの構成が台なし。

母殺しとその悔悟を前面に出すのなら、アイギストス殺しは余計な脱線でしかない。だからこそ、アイスキュロスもエウリピデスも、母殺しをクライマックスに置き、アイギストス殺しをその前座にしているのである。母を殺しアポロンの命令を果たした途端、オレステスには復讐の女神が襲いかかる。笠松ヴァージョンの構成はその点を全く考慮していない。オレステスは母を殺したあとで、アイギストスを殺し、その殺害を待って復讐の女神が襲いかかる。アトレウス一族の血で血を洗う肉親殺しの呪いについて長々とオレステスに語るのはアイギストスだ。さらに、ラストシーンでは、殺されたアイギストスは赤い布でくるまれて祭壇(をイメージしているのだろう)に置かれ、YOUYAが抱えて踊るオレステスの偽りの骨壷とともに何かの象徴性を負わされている。何も入っていない骨壷(クリュタイムネストラを欺く道具)とアイギストスの死骸のどこにどんな象徴性があるのだろう。一緒に見た友人は、「殺された瞬間に麻実れいはアイギストスからクリュタイムネストラに変わったんだ」と言った。なるほど、ってそりゃないでしょ。

台本も構成ももう少しエレクトラの世界への思い入れをもって欲しい。アイギストスがクリュタイムネストラを「唆した」という言葉をエレクトラが吐くだろうか、最後、オレステスをエリニュエスが襲うだろうと語っているのは誰なのか、エレクトラは使者がオレステスだとどのように知ったのか。アイギストスの死骸を舞台上に残すなら、エレクトラと彼の関係をもう少し複雑にするような台詞があっても良いのではないか(エウリピデスがやったように)、不満はいろいろあるが、それらの不満の根底にあるのは、「通り一遍だなぁ」という感想だ。