レパートリーシアターKAZE ブレヒト 第三帝国の恐怖と悲惨

訳・演出 岩淵達治
出演 辻由美子 酒井宗親 木村奈津子 清水菜穂子

ブレヒトが1938年に亡命の中で書いた断片的な24の情景からなるオムニバス作品「第三帝国の恐怖と悲惨」から、七景を取りあげた。

ブレヒトの権威として名高い岩淵達治が自ら演出したもので、ハイナーミュラーの圧倒的な「アルトゥロ・ウィ」を初め、どのブレヒト上演についても文句しか言わない人がどういう風にやるのかなと、その興味で見に行った。期待通りの「正しい」上演。

取りあげられている七つの情景のうち、比較的長いのは、ユダヤ人の妻が家を去らねばならなくなる「ユダヤ人種の妻」、自分の子供に密告されるのではないかと恐れる高校教師を描いた「スパイ」、航空兵の弟がスペインで戦死したのに「訓練中に死亡」という通知が届く「就職斡旋」。最後に短いが大きな意味を持たせている「国民投票」。

それぞれ、情景の前には、各場面の歴史状況の背景知識が、語りとスライドによって提供され、それは、場面そのものよりも長い場合すらある。これは演出独特の試み。あらかじめ、どういう意図を持ってどういう事件が描かれるかが示され、その通りの舞台が展開する。台詞の一つ一つの単語まで、すべて観客が分からないと上演の意味がないかのようだ。おかげで七つの場面だけなのにたっぷり二時間の上演時間だ。

で、それがどうだったかというと、七つの場面だけだとお説教だけが目立ち、演劇的な興奮をまったく味わうことがないまま二時間が終わった(異化効果)。すべて実際の出来事だという短い場面の連続による量的な迫力、積み重ねの持つ説得力の代わりに、「教えてやろう」という斜め上目線の講義(教育劇)を受け取ることになる。やれやれ。

おまけに、役者が小市民をやってもブルジョワをやっても抵抗運動の活動家をやってもほとんど話し方に違いがない(差異はステレオタイプ的な性格づけ以上のものにならない)ので、平板なことこの上ない。テンポものろい。だから、グロテスク・コミックのお手本ともなりそうな「スパイ」ですら観客はクスリともしない。

一々例を挙げてどこがつまらないのかと指摘しても仕方ないので省くが、解釈に関して、一つだけ気になったところを挙げると、「釈放者」という場面について、強制収容所から釈放された闘士を、仲間が、スパイになったので釈放されたのかと疑うという状況設定で、解説は「最後まで、彼がスパイかどうかは分からないままだ」と語り、上演もその解釈に合わせ、俳優に最後まで頑なな態度を取らせ続けるが、、教条主義的でつまらない解釈だ。釈放された闘士は獄中で拷問を受け、左手の指二本が潰れてしまっている。彼を迎える仲間は、それを見ても、自分の猜疑心が深まるだけで、何の動揺も示さない。そこで彼が言う「右手じゃなくて良かったな」は、この上演では残酷なだけの台詞だが、もっと含蓄のある、重い台詞だろう。

勿論、「処置」を書いたブレヒト自身は、第三帝国の中での革命的猜疑心の維持の必要を言いたかったのだろうけれど、この上演では小市民的な自衛反応でしかない。この上演のような解釈があっても良いだろうが、それを場面の前の説明で言ってしまうことに、自信のなさが見て取れる。自分と同じように場面を読み取ることを観客に強いなければ上演できないわけだ。でも、「最後まで(同志か裏切り者か)分からないままだ」ということと、「ずっと、こわばったよそよそしい態度をとり続けさせる」ということとは異なるし、左手の場面にドラマがあるからこそこのスキットは成り立つはずなのに。

まあ、これが正しいブレヒトならば僕は間違ったブレヒトでいいや。