野村萬斎の『国盗人』

野村萬斎のシェイクスピア翻案シリーズ第二弾の『国盗人』は、『リチャード三世』の翻案だ。

これも赤旗に劇評を書いたのでリンクしておく

余り付け加えることはないが、『リチャード三世』を「悪の楽しさ」と表現したのは結構良い思いつきだと思っていたら、ごく近所にも同じ表現がなされていてうーむ

で、調べてみると既に阿刀田高が言ってるの。つまんないの。また、「悪の楽しさ」でGoogleかけてみたら、私が既に黒テントの三文オペラの劇評のところで言っていた。もうこの言い回しは使えないなぁ。

ただ、ご近所さまには、この「悪の楽しさ」は後半部分の悪(意)の暴走とセットで理解すべきものだと言っておこう。あるべき自己イメージとのギャップから自己規定をする精神は、とりあえず「あるべきイメージ」が目的として設定されている間はうまく働くが、それが果たされてしまうと、浅田彰が昔言っていた「クラインの壺」運動に頼らざるをえないんだと。(恥ずかしいので白字にしておく)

で、身体の支配から始まる伝統芸能の表現はそこで不充分になると。

演出自体は、全体をマーガレットの呪いの構図だとする福田恒存解釈がかなり色濃く出ていてその部分はちょっとね、ってところ。リチャードを権力の頂点につかせ、それから破滅させるには、リチャード以外の人間は必要ない。もう一つ、白石は素晴らしいのだが、やはり鈴木とやっていた頃のあの二つの狂気のぶつかり合いみたいな迫力は、鈴木以外の人と組んだ上演では見たことがない。あれは本当に幸せな結婚(比喩的)だった。破局も当然なんだろうけれど。この手の、怖い女性の役の度に思い出してしまう。

最後の、『リチャード三世』の各国ヴァージョンってので念頭に置いていたのは、ナショナル・シアターの20世紀前半版リチャードと、吉田日出子のラテンアメリカヴァージョンで、文学座のアジアヴァージョンは知らなかった。吉田日出子(演出とタイトルロールの両方をやっていた)のでは、リチャード最後の馬と国の交換の台詞が、「ヘリだ、ヘリをよこせ、国をやるぞ」になっていて格好良かったなぁ。今年のアヴィニョンでもLudovic Lagardeの翻案ヴァージョンがやられたそうな。