松井誠のメディア

メディア… 松井誠
イアソン… 山崎銀之丞
クレオン・アイゲウス… 菅生隆之
案内役… 赤坂泰彦

演出…栗田芳宏

松井誠という俳優について私は全く知らなかったのだが、大衆演劇ないし商業演劇の世界でとても人気のある人らしく、平日の昼間というのに、シアター1010は、おばさんからおばあさんの年代の女性を中心に一階は満席、二階もかなり埋まっていた。

演出は栗田芳宏で、どこかで聞き覚えのある名前だな、と思って家に帰って調べてみると、ああ、大地康雄の思いっきりつまんない解説調『リチャード三世』をやったひとだ。劇団AUNと新潟のりゅーとぴあが主な活動場所なのか。で、どうやら解説調はこの人の持ち味だと判明。今回の『メディア』では、テキスト外の神話の解説にも熱心だ。間違いが結構あったが。メディア(メデイアのこと、この上演ではイが小さい)が国の名前になったとかさ。(自分で気づいたのでこっそりと修正、メディアという国はメデイアの子メドスに由来するのだそうな)

解説調なのはお客さんの層を考えると仕方がないと思う(蜷川演出のギリシア劇にアイドルの子たちがでるときには、ファンクラブを中心に色々予習の勉強会をしたりしているようだけれど、この世代だとちょっとそれは望めない)が、問題はこの世代の日本人がそのまま飲み込めるように、物語を書き換え、甘くしているところだ。メデイアが子殺しをするってこと自体は変えようがないのだが、イアソンの恥知らずな「愛のために新しい女にはしったのではなく、贅沢がしたかったからだ。貧乏だと友達が出来ないからな」という台詞(大意)は、「生活の困窮のゆえにやむを得ず」(大意)と変えられてしまう。あなたを助けたのは私ではないかと問い詰めるメデイアに対して、「エロースがお前を矢で貫いたおかげにすぎない」とイアソンが答えるところは、「神々のおかげだ」とぼかしてしまう。イアソン役の役者が自分のイメージを大切にしたかったのだろうか?

不必要だし解せない変更は、クレオンとその娘の死を伝える召使いの言葉と子殺しの順序を変えてしまったところ。DJの赤坂くんがコロス=現代の観客代表と召使いを含めたいろんなマイナーな役の両方をやるので、その出番を減らす意味があったのかも知れない。でも、召使いのグロテスクな報告は、子殺しというクライマックスへむけて盛り上げていくものなので、順序を逆にすると全体の盛り上がり方が異なってしまう。メデイアはクレオンとその娘の死を知って、引き返すことの出来ない地点にいたり、ようやく子殺しを最終的に決断できるのだ。(「思うな、子供等を、何と可愛いかを、何と自分の腹を痛めたかを、この短い一日だけ、お前の子供のことを忘れよ、それから後で嘆くがいい! たとい彼らを殺すとも、可愛さには変わりはない―」(内山敬二郎訳)この名台詞もカット。)

伝令の報告も、一番グロテスクで面白いところが省略されていてがっかり。(→父上はしかし、お気の毒にも、不幸を知らずに突然家の中へはいって来て、死体に突き当られました。そして、たちまち悲鳴をあげ、その体を抱きかかえて接吻し ながらこう言われました、「おお、不幸な子よ、お前をこんなにも浅ましく殺したのは何の神だ? この墓のような老人にお前を失わせたのは何者だ? ああ、 娘や、わしも一緒に死にたい!」だが呻き嘆くのを止めて、老の身を引き起そうとなさると、木葛が桂の枝にするように、あのたわやかな衣装にくっついてし まったのです。そして、恐ろしい苦闘でした。男の方は膝を起そうとする、女の方はしっかり掴んでいて、無理に引き放そうとすると、老の肉が骨からちぎれて しまった。(内山敬二郎訳))上演で使ったのは別の訳に基づく台本だろうが、とりあえず削除箇所に対応する内山訳を青字で示した。この箇所 イイ!と言ってもあまり同意してもらえないのは確かだが。

他方、メデイアが「女の代表」だとか「悪女」だとかいう台詞をメデイア自身が長々と述べるところがいくつもあってげんなり。赤坂くんの語りも現代目線で説教臭い(つ 客層)

それにしても貧相な上演だった。舞台上に登場するのは男優四人(アイゲウスとクレオンは同じ役者がやる。四人にはコロスも入るから、おお、三人の俳優とコロスで演じたギリシア悲劇と同じだ。)だけ。女たちのコロスは赤坂くんと観客で代用。セットは何もなし。衣裳も安っぽい。最後の蛇車すら、意外性も何もなく、布に書かれた線画だ。音楽もピアノの音型パターンが弱くなったり強くなったりするだけ。著作権使用料が要らんようになっている。ラストではメデイアとクレオンは完全に同じ地面にいるので、なんでクレオンはメデイアにつかみかかって子供の死骸を取り戻さないのかわからん。簡単な台で良いからメデイアを上に置けよ。利益率をすこしでも上げるためなのかなぁ。

演技は、松井誠は大衆演劇だけに分かり易い感情表現だが、せりふ回し、ポーズなどの持ちコマが少ないと思う。緊迫感をだすべきところも見栄を切ってしまうので結果としてだれる。子殺しの逡巡の長台詞は聞かせどころになっていたが何故に後ろ向きなの? 背中で魅せる演技にはなっていない。このての演技でやるのなら、子殺しそのものの場面はテープで良いから子供の泣き声を聞かさないと。

子役を全く使わないのは、予算を別とすれば、おそらくは、メデイアへの反感を少しでも抑えようとするおばさまたちへの配慮だろうが、それは配慮しすぎだろう。あと、この人結構鼻が大きくて男顔であ、何をすくぁwせrftgyふじこlp;@:「」