『エレンディラ』蜷川幸雄演出

演出:蜷川幸雄、原作:ガブリエル・マルケス、脚本:坂手洋二、音楽:マイケル・ナイマン

これも「赤旗」劇評をPDF化しているのでご覧下さい。

この上演に関してはもう少し批判を強めても良かったかも知れない。字数の関係上で私の書いたものあたりが限度かな、という気もしますが。

蜷川演出を見ていて最近いつも嫌になるのがセンチメンタルな音楽に乗せて役者が思い入れたっぷりに感情吐露をする場面。まあ、それが彼の特徴でもあるので「嫌なら見るなよ」ということになるかもしれないが、抑制をきかせても「魅せる」俳優が出てこないとそこでうんざりしてしまう。

例えば平版『メデイア』のラスト、『近松心中物語』、『グリークス』の「オレステス」、そしてもちろんエウリピデスの『オレステス』もそうだ。ちなみに『グリークス』の音楽家笠松泰洋の『エレクトラ』についてもこのサイトのどこかに書いたと思う。

で、感情に流されてしまうのでテキストの精緻な読解は置き去りにされることになる。その最悪の例が『オレステス』。最近はギリシア人でもここまで情で突っ走る『オレステス』は上演しない(まあ、もともと彼らは「議論」(ギリシア語でフォナゾーだっけ)好きな人々だし)。

今回、「見せ物」と名乗っただけあって、また、マイケル・ナイマンの、感情移入をやや退けるような単調な音楽のおかげもあって、そのあたりはまともになっていたし、第一幕の舞台は、「見せ物」としてワクワクさせるものになっていた。テントの仮設売春宿の回りに、お客目当ての見せ物小屋が出来るところや、祖母の家の様子、父と祖父の墓も良い(後でもう少し効いてくるのかと思ったが)。

でも、第二幕以降で、新しい視覚的な試みが全然出てこない。最初が強烈であるほど、その「使い回し」にしかなっていない。また、俳優たちの特徴によるのだろうけれど、全裸を披露する美波とウリセスの中川晃教の絡みが、全くと言っていいほどエロティックでないのは驚いた。ネットでいろいろ見てみるとその原因も分からないわけではなかったが。祖母役の瑳川哲朗はもともと白石加代子にオファーがあったこともネットで知った。今回は変更して成功だったかな、と思う。トランスジェンダーな雰囲気が祖母に合っている。

あとは赤旗に書いたとおり。

坂手はおそらく自分で演出するのならば、ここから出発してどんどん台詞を縮めてゆくだろう。三時間半くらいに収めて、何とか観るに堪えるものにしたのではないか。演出に徹し、テキストの変更を基本的に行わない蜷川の方法が裏目に出たような気がする。

台本のネタ元について。「エレンディラ」とはずれるネタ元で、「翼のある男の話」はわかりやすいが、もう一つ、「コレラの時代の愛」から大枠が取られているように思った。だから純愛物語が復活してしまったのだと。