オイディプスのいる町(山本淳著) 松柏社

諸君、私は屑ミステリが好きだ。
諸君、私は、屑ミステリが好きだ。
諸君、私は屑ミステリが大好きだ。

マクベインが好きだ。ラドラムが好きだ。スティーブン・ハンターが好きだ。コーンウェルが好きだ。ジャック・ヒギンズが好きだ。

アイソラで、ロンドンで、シカゴで、マンハッタンで、ダブリンで、世界中で活躍する屑ミステリの主人公たちが大好きだ。

ホームズが土についた自転車の轍からその進行方向を推理するのが好きだ。天才だったDeaf manが、意味なく持って回った仕掛けをするだけになってしまうのが好きだ。犯人が大抵捜査陣の仲間にいるリンカーン・ライムのシリーズが好きだ。いつの間にか全国的な名声を獲得している田舎検死官スカーペッタが好きだ。どこが優れているのかよく分からないのにみんなに信頼されているところなどもうたまらない。嫌がらせのためだけに女を殺した金目当てのテロリストだったのに、いつのまにかアメリカ大統領の友達になっているショーン・ディロンを見ると絶頂すら覚える。

もう少し続けても良いのだが、実際のところは読み続けるのが苦痛になるミステリというのも、「そんならペテロはこの絵のどこにいるねん」とか、「そら相手の弾が一発もあたらへんねんからブラピ夫婦も闘うん楽やろな」とか幾つかないわけではない。ボブ・リー・スワガーの父親の設定が段々変わってゆくのには驚いたし、ジェイソン・ボーンだって3つ目になるとワンパターンで辛かった(小説の方。映画の方は2つ目がきつかった。お前がボーンを名乗るんじゃない、ってくらい行き当たりばったり。)

まあ、それでもフィクションは屑耐性が結構ついているが、研究書の類でそう言うことをやられると、「時間を返せ」になってしまう。

さて、この『オイディプスのいる町』だが、たぐいまれな推理力を駆使して、ソフォクレスの『オイディプス王』の新しい解釈を試みたものだ。ただし、私は三章でそれ以上読む気力を失ってしまった。ぺらぺらと見るに、六章あたりからはそれほど悪い本でもないような気もする。私が決定的に挫折した理由は最後に赤字で大きく書いてある。吉牛コピペの前の最後の引用と突っ込みだけを読めばそれで良いような気がする。そこにいたる部分は、ちょっと口調がきつぎるし、冗長でもあるが、折角書いたことだし、載せておく。おそらく著者は、精神分析的な研究への典型的無理解と考えるだろうが。著者とは面識はないが、私のサイトを読まれたので本をくださった。太っ腹なひとだ。

私流の本書の要約(最初三章だけ)。第一章。テイレシアスは予言からではなく名前と傷跡によって最初からオイディプスがイオカステの子であることを知っていた。第二章。イオカステは名前と傷跡によって最初からオイディプスが自分の子だと知っていた。第三章、コロスは名前と傷跡によって最初から全ての真相を知っていた。

だから、この解釈においてはオイディプスが成人した後も残っている傷跡とオイディプス(ふくれ足?)という名前がとても重要性を持っている。

(1) 傷跡の重要性について。

著者は次のように言う(青字は私の意見。以下も)。

「あの赤ん坊がくるぶしに負っていた傷は、傷跡として、もしくは足の奇形として、成人しても残っているからである奇形説に特に根拠はない。解釈者自身が認めるように、ソフォクレスのテキストには、足の傷が奇形だということを示唆する箇所はなにもないし、オイディプス伝説自体にそんなものはない。まあ、「ないこと」も「あること」も「あること」の証拠になってしまうのが精神分析的解釈の素敵なところなのだけれど(ない場合には隠蔽の証拠)」「もし仮に誇り高いオイディプスがその傷を恥じて、上手に人の目につかないように隠したとしても、彼自身の名前が特異な足の傷の存在をさらけ出しているし、それを忘れてしまうことを拒んでいる奇形や障碍や傷跡をオイディプスが「隠蔽していた」というテキスト上の根拠はたった一箇所。コリントスからの使者が、オイディプスをかつて受け取って助けたことの証拠に、「両足の踵」を持ち出したのに対し、「ああ、なぜ昔の禍について語るのか(1033)」と返す箇所。「昔の禍」と言われているとおり、これは単に傷跡であって、奇形でも障碍でもない。で、使者は次の台詞でその傷の意味を明らかにする。「両足の踵が突き刺してあったのを、私が解いてあげた」と。そこではじめてオイディプスは、この傷跡は足が突き刺されたために生じたのだと知る。「そう、わしには嬰児のときから嫌な傷があった(内山訳)」の「嬰児のとき」は「赤ん坊をくるむ産着」が原義で、それは遺棄された赤ん坊の身元の証拠となるものとしてしばしば用いられた。だとすれば、赤ん坊のときにピンで貫かれたという話を聞いた瞬間、これが自分の身もと確定の根拠になると彼は推理したのかも知れない。(このことと、山本氏の主張である、「傷と名前からみんなオイディプスの正体を知っていたよ」とは全く別の話だ。傷は特定のナラティブと結びついてはじめて証拠の意義を獲得する。)。」

但し、この重大なポイントですら、明確ではない。オイディプスは「昔のどんな禍についてお前は語るのか」と言っているのかも知れない。tiは理由を尋ねる疑問詞でも、単なる疑問代名詞の形容詞的用法でもありうるからだ。その場合、「ピンで刺し貫いた傷があるでしょ」「ああ、そういえば赤ん坊のときから醜い痕があったな」「その傷のためにあなたの名前がついたんですよ」「(あ、そうだったのか)、言ってくれ。それをしたのは父か、母か。」でようやく彼は父母のどちらかが赤ん坊のときに自分に傷をつけたという可能性に気づく。

傷跡ですらテキストはその大きさについて曖昧だ。まして奇形や障碍は話にならない。そんなものがあって、それでも「町で一番の者(aneer astoon megistos toon ekei755-56)」と見なされていたとすれば、オイディプスの心理上はともあれ、伝説でも悲劇でもそのことに何らかの理由づけがなされるべき。でないと、正当防衛で五人をやっつけるってことに、観客は当然「ありえねー」って思う。オリンピック発祥の地ですよ、ギリシアは。傷跡は、オイディプス自身が言うように、残っているでしょ。でもそれが酷いトラウマになっているというテキスト上の証拠はない。tiの取り方によっては、意識はしていた、という程度。

足の傷がそこまでトラウマだったと考えるためには、次のような推定が必要になる。

「赤ん坊のときから両足についている傷であるということからすれば、そして恐らくはその傷跡からも、それが人為的につけられた傷であることは分かるだろう(そうですね、でも「意図的」かどうかは分からないよ。「多分」誰かが意図的につけたのだと推測はするだろうけれどね。事故かも知れない)。そればかりか、この傷の加害者は彼の両親に違いないと言う想像も、まったく突拍子もないものではない。(えっと、赤ん坊を傷つけるのは親だけなの?怪我をした赤ん坊を見たら、即「親の虐待だ」と推測するのだろうか。親の意図に反して子供が傷つけられるってことはいくらでもあるだろうに)…さらにまた、両親が意図的につけた傷で、それもオイディプス(ふくれあし)という名前の理由にまでなったほどの、そして知らせの者が言うように死に直結したほどの大傷(傷が死に直結したわけじゃないよ。動けないように留め金で止めて、山の中に遺棄することが死に直結したの。でも遺棄だけでも死に直結するのではあるが)であれば、親たちにとって彼が生まれてはいけない子供であったことも簡単に推測される。…「禍い」の前の「遠い昔の」という形容詞は、子供の頃この傷をめぐって、そしてまた加害者である親について、悩み苦しんだことを示唆している(もう断定モードだ。良いな、三段跳び論法は。つまり子供のオイディプスはポリュボスとメロペに「愛されて育ち」つつも、赤ん坊の頃に虐待されたことを悩んでいたのだそうな。普通、そう言う(愛されて育った)場合、子供は「親が僕を殺そうとした」とは想像しないと思うが。上で述べたように、傷を意識していた可能性はある。しかしそれが「ピンで人為的に刺し貫かれた」傷だと知ったのはコリントスの使者の台詞によってであり、それと、彼がポリュボスとメロペの子ではないという使者の言葉とが結びついて、はじめて、彼は、自分を愛してくれたポリュボスでもメロペでもない、自分を遺棄した両親のどちらかに刺し貫かれたと推論するのだ。この辺もオイディプスらしい知性の働き。

このレベルの推理がどんどん続く。自分の出生についての疑問が生まれたときのオイディプスの反応について。

「オイディプスはその真偽を確かめようと、積極的にデルフォイ詣でに赴いた。ところが、先ほどの驚くべき予言がデルフォイで下されるやいなや、オイディプスは出生についての疑問を解くことのできる唯一の地であるコリントスに戻ることをせず(コリントスで疑問を解くことが出来なかったからデルフォイへ行ったんじゃなかったかな)逆にそこから逃げ出した(親を殺すと言われたんだから、戻れないわな。戻って、たとえば神の与える狂気によって親殺しをする危険を冒す積極的な理由があるの?)。こうして彼は積極的な疑問の解明を放棄した(デルフォイの答えのなさを疑問の否定と見なしたんじゃないの。とすると疑問は解消したことになるでしょ)出自に関わる問題の究明を避けようとするこうしたオイディプスの態度に、私たちは抑圧的な力が作用しているのを感じ取ることができる(わーいフロイトだ)。」

(2) テイレシアスの知識の根拠について

テイレシアスの知識の根拠が予言ではないことを暗示するのはオイディプスとテイレシアスの次の対話だそうだ。(彼は岡訳を使っているが私は内山訳を使う。コピペが簡単だから。)

【テイレシアース】 それはまことか? わしは御身に申す。御身はみずから宣(の)りせられし言葉を守り、今よりはこの者らにも、このわしにも、物言われぬがよい。御身こそはこの国土(くに)の汚穢じゃによって。
【オイディプス】 恥知らずにもそのようなこというか? してまた、いかにしてその罪から遁れ得ると思うか?
【テイレシアース】 わしはすでに遁れとる。真実がわしの力じゃ。
【オイディプス】 誰に教わって来た? 少なくもそなたの術ではない。
【テイレシアース】 御身にじゃ。御身が気の進まぬわしに無理に言わせたのじゃ。
【オイディプス】 何を? もっと合点のゆくよう、もう一度いうてみよ。(350-59)

で、「あなたからだ」という言葉が、彼にこのような解説をさせる。「テイレシアスは予言により知ったのではないことを認めるばかりか、どこから知ったのかという問いに、「あなたからだ」と明言している。これは驚くべき返答ではないだろうか。…テイレシアスがここで言っている真実は、予言によって知られたのではない。…予言者はそれを、きわめて現実的で具体的な媒体によって知った。」さらにこれはコリントスの使者やテーバイの羊飼がオイディプスをあのときの赤ん坊だと知ったのと同じ理由だとされる。それはなにかというと、オイディプスの名前と傷によってだということになる、らしい。「しかしテイレシアスがオイディプスの足ゆえに彼をテーバイの災難の元凶とみとめ、父王の殺害と母子姦を非難するためには、足の傷の由来を知っていなければならない。」で、知っていたのだそうだ。

なるほど、岡訳で「誰からそれをおそわった。お前の予言の術からではないはずだ(357)」の「それ」を直前の「真実(356)」をとると考えたのか。その場合、「それ」はテイレシアスの知識の内容ということになる。惜しい。 Kamerbeekをきちんと読んでおけばこんな解釈にはならなかったろうに。

原文は「お前は誰から教わったのか」で直前の「真実」を受けるべき「それ」にあたる言葉はない。また、オイディプスが言う「教わった」内容は、テイレシアスの言う「真実」つまりテイレシアスの知識(主張)の中味ではない。オイディプスにとってはそれは偽りなのだから、それを「誰から」教わったのかと聞くこと自体が意味をなさない。オイディプスが「教わったdidakhtheis」内容として考えているのは三行前で分詞で言われている、「そのような恥知らずなことを口にすること」である。予言の術から出てくるのはオイディプスにしてみれば真実であり(オイディプスは予言が真実であることを疑ってはいない。それがオイディプスの逆説的な悲劇だ)、「恥知らずなことを口にすること」は予言からは生じない。オイディプスはここで陰謀を推測している。つまりこの箇所は377での唐突に見える「クレオンか」への伏線だ。テイレシアスはそれを「恥知らずなこと」とは考えていないが、それを言うようにさせられたのはオイディプスによってなので、「あなたからだ」と答えるのだ。だから直後に「むりやりわたしに言わせたのはあなただ(岡訳358)」と答える。直訳すると、「なぜなら、あなたが望まぬ私に言うように強いたのだから」になる。岡訳でも内山訳でも軽く添えて理由を表す小辞garを「なぜなら」とか「つまり」とかいちいち訳していないが、それはこの一行で後半が前半の理由になっているのは明白で、まさかこの後半部分を無視して想像力の飛翔に向かう解釈者がいるとは思いもしなかったからだ翻訳がたとえば次のようになっていたとしよう。「だれがお前にそんなことを言うように教えたのか」「あなただ。なぜならあなたがいやがる私に言うよう強制したからだ。」「それ」と「そんなことを言うように」ではずいぶん違うと思うだろうか、しかし、オイディプスの言葉の「教わった」の直接目的語として想定されているのは「真実」などではなく(cf. Kamerbeek)、オイディプス自身の二行前の「そんな言葉tode to rhema」ですらなく(Kamerbeekはその可能性もあるとみなすし、そう見なしても理屈は変わらないが)、「そんな言葉を口に出すこと(to ekkinein tode to rhema)」である。それでないとこの行の前半と後半との関係が理解できない。ちょうど山本氏が無視しているように。素朴な疑問だが、どうして、ギリシア語を読まずにギリシア悲劇の分析をおこなうのだろうか。

だから、この一連のやり取りは、テイレシアスがオイディプスがライオス殺害犯でありまたイオカステの息子であることをテイレシアスが「オイディプスから」、つまりオイディプスの傷跡と名前から知っていたことなどを意味しない。

テイレシアスが予言などしていないという論拠は次のようなものだ。

あなたの父と母の、二重の呪いがそのおそろしい足で、今は目がみえているものの、そのときは暗闇しか見えないあなたを駆り立てて、この国から追い出すだろう。」これは、ライオスがオイディプスの赤ん坊のオイディプスを知っていることを間接的にテイレシアスが打ち明けている台詞だ。「おそろしい足」というのがヒントで、テイレシアスはオイディプスが足を傷つけられたライオスの子だと知っていることを打ち明けているのであって、予言などしていないのである。(先生、私にはオイディプスの目が見えなくなること、国を追放されることを予言しているようにしか見えません。予言によってでないとすればテイレシアスはどうやってそれらを知り、「今日という日がお前を生み滅ぼす(438)」ことを知ったのでしょう?

山本氏はテイレシアスにライオスへの「子供がお前を殺す」との予言も帰しているようだ。

その時の予言者はテイレシアス自身であったかも知れない。…イオカステは、神自身が予言したわけではないことを強調して、テイレシアスが、とは言わず、「神に仕える者(712)」が予言したとしか言わない(原文は「フォイボス(アポロン)ご自身ではなく、仕える者たちから。」そもそも複数形。テイレシアス単品ではありえない。また「仕える」対象は当然アポロンであって、これもテイレシアスとそんなには合わない。著者自身、それ以前には「デルフォイ」という答えを出している(p.25)。自分の解釈の一貫性くらい保っておこうよ」オイディプスの殺し方を教えたのもテイレシアスである可能性が高い。アンティゴネのときもクレオンはアンティゴネの殺し方を変えるけれど、これはテイレシアスに頼ってはいないが、こう言うときこそ予言者の出番なのだから(出番になってないじゃん。殺すこととその方法を別に誰かに教わる必要があるのか?予言者が教えるとすれば、回避策としてでなくてはならないが、予言は子供が生まれた場合、子供に殺される、というもので、「避け方」は子供を産まないことしかない。子供が生まれたら、「避ける方法」はないので、予言者がそれを教えることは出来ない。予言者の出番ではない。予言者がそれで回避策を教えられたら最初の予言は予言じゃない。テイレシアスがそこでいい加減なアドヴァイスをすると考える必要もない。著者はギリシアにおける予言と予言者について大きな誤解をしているように見える。)

(3)「イオカステは知っていた」について。

その大きな根拠は「予言者など気にするな」というイオカステのアドヴァイスが、オイディプスの不安と対応しないということだ。オイディプスはテイレシアスとクレオンの陰謀を疑うのに、イオカステは予言があたらないと言っているので、合わないという話だ。私はこの人の論理について行けない。オイディプスの論理ははっきりしている(既に述べたのでくだくだとは繰り返さない)。テイレシアスは予言していて、それゆえ真実を語っているか、陰謀に加担して嘘をついているかだ。俺はライオスを殺していないから、予言しておらず嘘をついている。ゆえに陰謀だと。イオカステはこの論理の欠陥を指摘する。「人間には真の予言の力はなく予言は外れる」と。だから意図的な嘘や陰謀を想定しなくても、予言を気にすることはないのだと。なぜこの対話が「イオカステの狙いはオイディプスが予言に注意を向けることを妨げることのようだ」になるんだろう。予言が当たらない証拠としてイオカステが持ち出すのは、自分の夫に下った「子供に殺される」という予言とそれに反して子供を殺したこと、そして夫は子供ではなく三叉路で盗賊たちによって殺されたという話をする。

ところが、イオカステの語るエピソードの予想外の部分、つまりライオスが殺された詳細についての部分が、オイディプスの不安を駆り立てる。自分はそこで王のような一行を殺したからだ。細部の確認は、一点を除き、オイディプスがライオス殺害犯であったことを確証する。その一点とは、犯人の複数性だ。

オイディプスはパニック寸前だ。彼がライオス殺害犯だとすると、それ自体は正当な行為であっても、盗賊説を信じたために冒頭で自分が与えた呪いによって、彼はテバイからの追放を免れない。自縄自縛だ。そして町を追われたときに故郷に帰ることすらできない。両親に関する神託がそれを禁じるからだ。

まあ、ともあれイオカステは予言から注意をそらすつもりでかえってそれに注意を向けてしまった、らしい。だって子供に下った予言のことをくだくだと語るのだもの。イオカステの言葉は、ずらしという手口を使ってそらしを行うものなのだそうだ。

ですが、ご承知置き下さい、それは皆の前で語られた話でした。あのものにそれを撤回できるわけがありません。わたしひとりではなく、国中のものが聞いたのですから。かりにあの者が前の話とは異なったことを申しても、王よ、ライオスの死が予言の通りであったことは、示そうにも示せないでしょう849-853

というイオカステの言葉についてのこの人の解釈は面白い。

「大勢が聞いた証言は撤回できない、とは奇妙な論理だ。偽証したことも考えられるではないか(でも偽証者が自分が偽証したと告白することはあまりないわな。特に偽証が大きな犯罪である社会では。イオカステの言葉はそのあたりを見越している。羊飼が偽証を認めない限り(それは多分羊飼の死刑ないし追放を意味する)、オイディプスが公的にテバイで断罪されることはないと。偽証者へのアテナイの刑罰を調べようかと思ったがまあいいや。)…イオカステはオイディプスの不安そっちのけで、予言どおりにならなかったこと、予言が信ずるに値しないものだということにこだわり続ける(この人が言う「不安」は政治的陰謀によって王位を追われる不安のようだ。下参照。もうその段階はすんでる。三叉路で殺されたというライオスの最後の様子を聞いた後では、オイディプスがライオス殺害犯であることはほぼ確定している。オイディプスの不安は、自分が自分の誓いによって破滅するのではないか、ということだ。予言が正しいとすれば、彼はこの国を追われても、父殺しと近親相姦の恐怖のゆえに祖国に帰ることすら出来ないのだ。そのことは上のイオカステの言葉の直前にオイディプスによって語られている)驚きはこれで終わらない。この仮定文はほとんど、「たとえあなたがライオス殺しの犯人だったとしても」と言っているのに等しい(その通りですね)予言のこだわりからイオカステはオイディプスを、それまでの意図とは反対に犯人に仕立て上げてしまっている(仮定と断定は違うよね。だとしても、は仕立て上げているのとは異なるし、大体、今ではオイディプス自身が自分のライオス殺しをほとんど疑っていないので、「仕立て上げている」のはイオカステではない)…イオカステが避けようとしていることは殺人事件の真相であるより、オイディプスが予言と正面から向き合うことだといえそうだ。ここに隠蔽の意図を感じ取らない人がいるだろうかノシイオカステは何が何でもオイディプスの意識を予言の内容からそらしたいのだ。予言のことは忘れたままにしておきたいのである(忘れちゃ駄目でしょ。「当たらないと信じる」ようにさせないと。ことはテバイを追われた後のオイディプスの運命に関わる。「な にもかも汚れた奴ではないか? 国にはおれず、して亡命のわが身は、身内の者にも逢えず、郷里に足を踏み入れもならぬ。でないと、母と婚姻を結び、わしを 産み育てて下さった父ポリュボス王を殺さねばならぬ。とすれば、これを無慈悲な神の贈り物と判断した男は、このわしについて真実を語っておりはせぬか?」 …彼女の狙いはとくに、息子の手にかかって死ぬというライオスに下された予言であるようにおもわれる(なんでここで、オイディプスへの言葉でそんなものを狙う。オイディプスには関係ないじゃん。ライオスへの予言は自分の主張を補強する証拠として持ち出されている。勿論狙いは、オイディプスがライオス殺害犯であったとき、予言を気にせずに故郷へ戻らせることである)。オイディプスが酷く気にしているのも予言者の言葉ではあるが、しかし彼をライオスの殺害犯であるとする非難を、予言と結びつけてはいない。政治的陰謀だと考えている(そのフェーズはもう終わっている。陰謀について、もう彼は忘れているでしょ。)

この人のイオカステの「そらし」解釈はずっとこの調子だ。これ以上付きあう必要はあるまい。ともあれ、この解釈ではイオカステはオイディプスが自分の息子であることをずっと前から知っている。大事なのはそこだ。ではなぜ知っているのか?

ここでも、ポイントは足の傷と名前だ。足の古傷と「ふくれ足」という名前から、イオカステはオイディプスが足を貫いて殺すべく山へ捨てられた我が子だと悟る。えっっっっっと、なんで?古傷から我が子だと知るためには2つの前提が必要だ。(1)「赤ん坊のときに足をピンで貫かれた傷は、幾つになっても外からすぐそれと判別できるし、誰もが判別する。(盲目のテイレシアスですらそれを判別したようだ)」 (2)「そんな目にあったのはオイディプス以外にはいない。」どちらもとても疑わしい。

では「ふくれ足」という名前は? (1)名前は赤ん坊のときにつけられたので、その時は足にふくらみがあったのでしょ。でも、「足を貫いたピンのせいで生じたふくれ足」という名前でない限り、オイディプス=赤ん坊だと断定することは不可能だ。「ふくれ足」と呼ばれるようなエピソードなんて山ほど考えうるのだから。私も数年前今より体重が五キロぐらい多かった頃は結構ふくれ足だったし。本当のところ、それでもまだ不可能で、「ギリシア世界で唯一無二、足を貫いたピンのせいで生じたふくれ足」という名前でないと駄目だ。いやそれでもまだ無理だな。オイディプスは死んだと思われていたのだから。「ギリシア世界で唯一無二、ピンで足を貫かれて山に捨てられて死ぬはずだったのに助けられたが後遺症としてのふくれ足」でなんとか同定可能か。寿限無だわな。さらに、(2)ざーーんねーーんでした。オイディプスは「ふくれ足」という意味ではありません、とまで言えば言いすぎだが、少なくとも「ふくれっ面」などのようなOidiなんとか、という合成語はない。辞書に「ふくれた足の」となっているのは、単に語源が「ふくれる+足」だということでしかない。大体殺すために足をピンで貫いたとき足がたちまちふくれあがったわけではあるまい。そうした後遺症は後のことであり、ライオスにしてもイオカステにしてもそんなものを見てはいない。

(4) 「イオカステは知ってオイディプスと結婚した」について

ともあれ、オイディプスがスフィンクスを退治してくれたとき、なぜイオカステは彼が息子と知りつつ結婚する決意をしたのか、その点についてのご高説を聞く。

しかしどう解釈できるにせよ、コーラスのねらいが危機から救われることだということは確認できる。ライオス亡きあと一時テーバイの女支配者となったイオカステの使命も同じである。つまり、彼女が黙って母子相姦に耐えてきたのはテーバイを救うためであった。(中略)賢王の支配による国の繁栄のために、イオカステは黙って近親相姦のタブーを侵し、それ以降はオイディプスの思い込みをそのまま受け入れたのだ。背に腹は代えられず、近親相姦という犠牲を払ったと言ってもいい。

イオカステはなぜ近親相姦を黙って容認できたのかという問いに対して、とりあえずはこのような答えで満足するしかないのだが、しかしこの答えはすぐに1つの疑問を呼ぶ。国のためにみずからタブーを犯したと言うには、イオカステは犠牲者らしからぬところがあるのではないだろうか。やむを得ずとはいえ、激しい罪責感が伴ってもおかしくない近親相姦というタブー侵犯のわりには、彼女にはそうした意識が乏しいように思える。(中略)イオカステは夢のなかでは息子が母と交わることも多いと行って、現実の近親相姦の有無など気にしないようオイディプスに勧めていた。

ライオスは死に、テーバイはスフィンクスに蹂躙されている。そこへ一人の異邦人が現れて(彼がライオスを殺していたことは誰も知らない)、スフィンクスを退治してくれる。まあ、有り難い。市は、スフィンクスを退治した者に王国と王妃を約束している。イオカステが彼に会う。一目で、というか名前と足の傷跡から、彼が生まれた途端に殺すよう手配した自分の子供であることを知る。イオカステは近親相姦の罪を自覚しながらポリスのためにそれに耐える...ってお前は息子だと打ち明ければええやん、というかどう考えてもその状況では打ち明けるやろ。そうすればオイディプスは正統な王位継承権者で、イオカステと結婚しなくても王だ。近親相姦に耐える意味がない。

多分、これが最大の突っ込みどころなんだけれど、それを指摘しても著者の信念は揺るがないように思う。彼にとっては、「イオカステは知っていた」という思いがまずあって、その理由は別にどうでも良いのだろう。「コロスは知っていた篇」、および、「この解釈によって再構成される物語はどのようなものなのか」については後日(多分書かないけれど)。

今日、「オイディプスのいる町」読んだんです。オイディプス。
なんかとっても突っ込みどころいっぱいで読んでられないんです。
で、よく見たらなんかフロイト的解釈なんです。
もうね、あほか、ばかかと、
おまえら、今頃になってフロイトでオイディプス解釈やってんじゃねえよ。
フロイトだよ、フロイト。
なんかテイレシアスも、イオカステも最初から全部知ってたのか。おめでてーな。
よーしママ国を救うためならこの子と寝るわ、とか言ってるの。もうみてられない。
おまえらな、ちゃんと知っていること言って王位を開けろと。
オイディプス解釈ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
オイディプスとテイレシアスといつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃないか。コロスなんざ、すっこんでろ。
(以下略、こちらは完成させたいな)

黒ヤギさんからお手紙ついたへ続く。