オイディプス王をめぐる一誤解

西洋比較演劇研究会の宴会での話題から。

オイディプスは、自分がライオス殺しの犯人ではないかという大きな疑惑を抱く。イオカステが語ったライオス王の殺害の様子と、オイディプスがかつて正当防衛で老人を殺してしまった出来事とが、場所も、時間も、相手の一行の人数や様子も一致するからだ。唯一の違いは、ライオスを殺したのは複数の盗賊だったというたった一人の生き残りの家僕の報告である。オイディプスはその報告をイオカステに伝えた家僕を呼び出すように命じ、家の中に閉じこもってしまう。

次の幕で、コリントスからの使者が到着し、オイディプスの真の両親はコリントスの国王夫妻ではなかったと告げる。先ほどの家僕が、コリントスの使者に赤子を託し、子のなかった国王夫妻にもらわれることになった。彼の真の両親は、先ほどの家僕が知っている。

しばしば、演劇学の専門家の間で、「オイディプス王の矛盾」とみなされるのは、オイディプスが第四幕で自らの出自を探るに夢中で、家僕にライオス殺しの犯人について何も問わないことだ。宴会では、西洋古典学者が誰もそれを気にしていないことも批判されていた。私は西洋古典学者ではないが、ここでは西洋古典学者のつもりで書く。

で、これから、そこには、心理的にも、物語の論理の上でも、何ら矛盾は存在していないことを示そうと思う。いや、第二幕で予告したことをやっていないという点を否定することは出来ないので、それ以外のところから搦め手で攻めることになるのではあるが。

(続く)

(2)

第一幕で、テイレシアスがオイディプスこそライオス殺しの犯人だと告げるのを聞いたとき、彼は直ちに次のように返す。「この企てはクレオーンか、そなたか?(Κρέοντος ἢ σοῦ ταῦτα τἀξευρήματα;)379(内山敬二郎訳、以下も同様)」この返答は、前提が間違っているので帰結も間違っているという点を除いては、スフィンクスの謎を解いたオイディプスらしい、見事な推論に基づいている。オイディプスがライオスの殺害者ではなかったとすると、テイレシアスは嘘を語っている。テイレシアスには自ら王位簒奪を試みる動機がないので、その嘘は何らかの外からの働きかけによるものだ。そもそも厄災の原因がライオス殺人犯にあるという神託を持ち帰ったのはクレオンであり、テイレシアスに頼るように働きかけたのもクレオンである。「クレオーンの勧めに従い、すでに二度まで使者を遣わした。(ἔπεμψα γὰρ Κρέοντος εἰπόντος διπλοῦς πομπούς·)288-89」クレオンには王位簒奪の充分な動機がある。もしテイレシアスが嘘をついているとすれば、クレオンが陰謀の首謀者である。オイディプスのこの確信は、クレオンの弁明を聞いた後も、強くなりこそすれ、失われはしない。「王弟が王より幸運だ」という一般論から引き出された弁明は、弟による王位簒奪が伝説でも歴史でも溢れている古代世界においてまともなものには響かない。イオカステが取りなし、オイディプスはクレオンが陰謀の首謀者であると確信し、自分がそれゆえ王位を負われるだろうと確信しつつも、クレオンを許すのである。「では許してやれ。わしはきっと殺されるか、でなければ辱しめを受けて、強制的に国外に追放されるに相違ないが(669-670)。」もちろん、これは確定的状況ではない。オイディプスはクレオンのその後の陰謀への対策をとることが出来ないわけではない。

諍いの原因がテイレシアスの言葉にあると聞いたイオカステが、子供に殺されるという先夫への予言と賊どもに殺された夫の実際の死に方の違いから、予言は信じるに値せずと語ったとき、状況が一変する。オイディプスは彼女に矢継ぎ早に問いかける。「して、その災害の起こった場所はどこなのだ?732」フォキスと言い、デルフォイと、ダウリアへと行く分かれ道があるところ。「それで、その事件から何ほどになる?735」オイディプスが王位を受ける少し前。「ラーイオス王はどんな背丈で、ご年輩はどれほどだった?740-1」長身、すこし白髪交じりで、オイディプスと同じような体格。「お微行(しのび)で行かれたか? それとも王様らしく沢山の供を連れてか?750-1」全五人、うち一人は先駆、馬車のうちにライオス。これらの情報を受けて、彼は、「ああ、これは! もう明らかだ!754」と叫ぶ。ちょうど同じ頃、オイディプス自身も、同じ場所で、諍いから、同じ様子の一行に会い、同じ身なりの老人と一行を殺してしまったからである。

しかし一カ所の違いがある。唯一の生き残りの報告では、殺害は複数の「賊ども」であったが、オイディプスは一人だったからだ。なるほど、この報告が正しければ、ライオス殺害犯はオイディプスではないことになるだろう。しかしそれはどういうことか?

それは、ちょうど同じ頃、同じ場所に、同じような五人組が通りかかり、その一組は彼によって、もう一組は「盗賊ども」によって殺されたということである。

これはまともな可能性ではない。第一幕のオイディプスなら、直ちに、生き残りは、相手が一人だったのに自分が闘わなかったことを正当化するために嘘をついていると、正しく推論するはずだ。実際、彼は、「ああ、これは! もう明らかだ!Αἰαῖ, τάδ' ἤδη διαφανῆ.」と言うのである。にもかかわらず、オイディプスが複数盗賊説にしがみつくのは、それしか彼にとって出口が存在しないからである。

で、問題は、オイディプスは第二幕から第三幕にかけてで何を悩んでいるのかだ。(続く)

(3)

オイディプスはなぜこんなまともでない可能性に頼らねばならなかったのか?オイディプス自身は次のように説明している。

もしあの男がラーイオス王となにかの血のつながりでもあるとすれば、このわしほど不幸な男がまたとあろうか? 神々の憎しみを受けた者がまたとあろうか? いかなる他国の者も、いかなる市民も、これを家に迎え容れてはならぬ、言葉をかけてはならぬ、家から追い出さねばならぬ、しかもこれを、この呪咀を、わが身に言うたはこのわしだ。その殺された人の閨房(ねや)を、その人を殺(あや)めたわが手で汚しておる。不埓な奴だ? なにもかも汚れた奴ではないか? 国にはおれず、して亡命のわが身は、身内の者にも逢えず、郷里に足を踏み入れもならぬ。でないと、母と婚姻を結び、わしを産み育てて下さった父ポリュボス王を殺さねばならぬ。

彼は、自分が殺したのがライオスで会った場合、「誰も家に迎え容れず」「言葉をかけず」「家から追い出す」ように自分で命じたことを嘆いている。彼は自分で自分を追放したことになるからである。それだけではない、追放された彼を受け入れてくれるべき故郷には彼は帰ることが出来ず、いわば行く当てがなくなることも大きな嘆きなのである。この状況は例えばメデイアのそれと同じだ。メデイアもまた、イアソンと暮らしていたコリントスを追われ、弟を殺害してイアソンと逃亡した故郷にも帰ることができないことを嘆く。「今は私はいずれに向かったらよいか? 父の家にか? それも、その父の家も、お前のために見捨てて来たのだが、(『メデイア』502-03)」ある土地を追われたとき、故郷に帰ることが出来ず放浪を続けなければならないのは、若いうちならまだしも、その人にとって大きなダメージだからである。この「厄難(πάθος)840」を避けるには、羊飼いの男が殺害者が複数だったと証言してくれるしかないとオイディプスは考えている。

しかし、そうではない。

もう一つの可能性があり、それに気づいているのは第二幕ではイオカステだけだ。

それは、彼がライオス殺害者としてテバイを追われても、コリントスに帰ることが出来るという可能性である。そのためには、(1)アポロンの神託が偽りであることを彼が納得すればよい。(実際にはもう一つ、(2)コリントスの国王夫妻がオイディプスの実の両親ではない、という場合もあり、第三幕で展開されるのはこの第二の可能性の方だ。)

だからこそ、イオカステは、第二幕の最後で、オイディプスの苦悩に答えて羊飼いを呼びにやらせた後、次のように語るのである。

とにかくあの話がそうだったことは間違いありません。それはあれも打ち消すことはできないはずです。わたしだけではない、市民達もそれを聞いたのですから。また初めの話と多少違ったことを申しましても、あなた、ラーイオス王の死が予言通りだったとは、あの男も示すことができないでしょう。ロクシアース様は明らかに王はわたしの子に殺されるに相違ないことをお知らせになったのですもの。可哀そうにあの子は、王を殺すどころではありません、自分が先きに死んでしまいました。わたしはこれからはもう予言のために、あちら見たりこちら見たりはしないつもりです。

ライオスを殺したのがオイディプスだったとしても、それは予言とは異なったものである。このことをオイディプスにわざわざここで語るのは、オイディプスが誓言にしたがってテバイを追われたとしても、コリントスに帰ることが出来ることを示す意味しか持ち得ない。ここではまだ暗黙のうちに、「予言のためにあちら見たりこちら見たりはしない」ことをイオカステはオイディプスに求めている。

第三幕で、このイオカステの願いは叶うかに見える。コリントス王ポリュボスが老衰で死んだからである。予言などこの世にありはしない、そう確信するイオカステは同じ信念をオイディプスにあからさまに求める。オイディプスはなおも躊躇うが、メロペが老衰で死んだポリュボスの妻であることを考えるならばこの躊躇いはやや滑稽だ。しかし、コリントスからの使者はこの方向ではなく、別の方向にオイディプスを導く。彼はポリュボスとメロペがオイディプスの両親ではないことを告げるのである。オイディプスはテバイの生まれだった。誰の子かは、羊飼いだった下僕が知っている。

これはイオカステにはすべての真実を告げるものだった。しかし、オイディプスにとっては、第二幕の苦悩の原因がなくなったことを意味する。誰の子であったとしても、障碍がなくなった以上、オイディプスはコリントスへ戻ることが出来る。そして、コリントスの人々の望みにしたがってそこの王になることが出来るのである。もはや、ライオス殺しの犯人についての言葉だけの可能性にすがる必要はないのだ。この時点で、自分がライオス殺害犯だと認めてもそれ(754)はもはや彼の破滅を意味しない。

第四幕で、テバイの下僕は、脅えながら登場する。下僕は当然、ライオス殺しについて尋問されることを予測している。しかしオイディプスの関心はそこにはない。オイディプスは、昔の友人だったコリントスの使者についての質問を彼に行う。下僕は困惑する。さらに、使者が、かつて自分に下僕が預けた赤ん坊について問うとき、かれの困惑は最大のものだ。「何? なんだって、そんな事聞くだ?(1144)」彼が真に驚き、脅えるのは、オイディプスがそのときの赤ん坊だと聞いた瞬間である。舞台上にいる人間の中で、オイディプスの悲劇の全体を知っているのは、今、彼だけだからである。

同じ真相をオイディプスが聞いたとき、そこで明らかにされるのは、デルフォイの神託が正しかったと言うことだ。自分がライオス殺害犯であることを彼はこの対話の始まる時点では疑っていなかった。自分の妻が母であることはたった今知った。それは神託の正しさを彼に告げるものだった。その時点で、「一人か複数か」というレトリカルな問いを発する意味がどこにあるのだろうか。まさに「ああ、恐ろしい! なにもかも明らかに事実となって来た(1182)」という感想しか彼にはあり得ないだろう。

(4)

現代の演劇学研究者がそこに矛盾を見いだすとすれば、それは我々にはアポロン信仰が古代において持っていた大きさが実感できないからに他ならない。下僕との対話で浮き出されてくるのは、実のところ「アポロンの地獄」そのものなのである。自分がデルフォイの神託の通り、アポロンに呪われた人間であったこと、それをオイディプスは認識する。

古典学者がこの「矛盾」に気がついていなかったのか。そんなことはあり得ない。たとえばKamerbeekによるオイディプスの注釈書は1180行について次のように言う。Note that the herdsman is not asked to give evidence about the murder of Laius (for which he was at first summoned). The certainty of Oedipus' identity is such that his slaying of Laius is self-evident. このページは、Kamerbeekの言うことを自分なりに敷衍したに過ぎない。