黒ヤギさんからお手紙ついた(『オイディプスのいる町』2)

『オイディプスのいる町』について書いた文章は、そのページにも書いたように、かなりきついので(Blind評、TPTの『バッカイ』評と同じくらいきつい)、まあ、やり取りがあるだろうなと思っていたら、予想どおりあった。メールで送って下さっても良かったのに、わざわざ郵送された(大学に「教授 北野雅弘 殿」の宛名で)のをみると、トップページからメールが分からなかったのだろう。顔を押すとメールアドレスが分かるようになっているのだが、そのことを公言もしていないし、メールのやり取りってのもむやみに感情が激化する傾向があるので、郵送して下さったのはとても有り難い。何度も続けるつもりはないので、郵送して下さるならもう一往復くらいは遊んでも良いが、それ以上はお断りする。ちなみに「書評の批評」の原文はこちら。今回、青太字が山本氏の文章ということにしよう。段落分けは適宜<br>に変えたりしている。

わたしが書いた『オイディプスのいる町』に、北野雅弘氏が書評を書いている。
その書評の原動力は憎悪と優越感のないまぜになった罵詈であり、嘲笑である。
その形式は揶揄であり、あちこちへの「突っ込み」である。

原動力はまた『オイディプス』への珍解釈だ、ということへのげんなり感で、見ず知らずの人に憎悪を向ける理由がない。この人、こんなことで精神分析をやってて良いのだろうかと、相手の意図や人格へと話題を移すのは趣味ではないので、あと一箇所だけ、どうしてもした方が良いところ以外は、同じ土俵にはのらないことにする。

批評の基本ができていないこうした書評は、それについて論ずるに値しないとある人は言った。またある人は捨てておけと。

いろんな人に相談したんだ(藁)。

 北野氏の書きようからすると、わたしが書いたことに何か北野氏の癇に障ることがあったのだろう。
感情的になると人は変なことをやらかすものだ。北野氏は3章まで読んで「時間を返せ」となったようらしいが、たぶんそれ以上の時間を割いて「屑ミステリ」についてこれだけの文章を書くことは厭わなかったわけだ。
 何が北野氏の癇に障ったのか、この人が感情的になっている分、比較的容易に理解できる。

「これだけの文章」ってのが冒頭の「屑ミステリが好きだ」なら、『ヘルシング』テンプレートに沿って書いただけだし、いや、さすがに山本氏の本を読むのに10分以上はかけましたよ。「これだけの文章」ってのが全体をさすのなら、暇つぶし。半日くらいかけたかな。そう、ある本を読んだ時間はまったく無駄だったから腹が立つけど、その悪口を言う時間はストレス解消にもなるし無駄ではないということは人間、普通にあるものだ。「癇に障る」も「感情的」もまったく的はずれって言っても、深層心理を持ち出されればどうしようもない罠。まあ、「ヘルシング」コピペと「吉牛」コピペをまったく注釈も入れずに行ったのは悪趣味だし意地が悪いことは自分でも認めなければならない。とくに後者はオリジナルを知らない山本氏に私の解釈と思わせることになったし。

この調子で全文にランニングコメンタリーをつける予定だったが、部分部分に変更。

さて、まず取り上げられるのは私の「最大の突っ込み」に対してである。突っ込み内容は繰り返さない。

最後の「その理由は別にどうでも良いのだろう」の「その理由」とは、たぶんイオカステが近親姦を黙って受け入れたとわたしが推測する理由のことだろう。
 良いわけがないが、そんなことは自明だから書かないのである。しかしどうやら自明だと思ったのはわたしの早合点だったようだから、はっきりと書いておこう。
 北野氏によれば、イオカステは「お前は息子だと打ち明ければええやん、というかどう考えてもその状況では打ち明けるやろ」、なのだそうだ。
 では打ち明けたとしよう。
 打ち明ける内容は、当然、瞼の母であることの発見というような感動的な内容だけで終わらない。それは自分が赤子のオイディプスを殺そうとして遺棄した張本人であることの告白である。
 そのくらいは辛くても打ち明けられるかもしれない。しかしこの告白は同時に、あなたはお父さんで王でもある人を殺したのよ、という弾劾ともなってしまうのだ。

先生、分かりません。ライオスさんが盗賊たちによって殺されたという情報が流れてきました。その唯一の生き証人はまだ戻っていません。イオカステはその時点でどうやって「この子が(足がふくれているのは自分の子供だけなので子供だと分かったんですよね先生)夫を殺したんだ」と知り得たのでしょうか。

仮に、365歩くらい譲って、イオカステが何らかの超能力でオイディプスがライオス殺しの犯人だと知っていたとして、なぜそれを言わねばならないのですか?全部隠して近親相姦に耐えるか、全部言って息子を破滅させるかの他に選択肢がない理由はどこにあるのでしょう?そんな無理無理な仮定を止めた方が解釈はすっきりするのではないでしょうか。

 北野氏が偽証罪に対する刑罰ではなく、父殺しや王殺しの、できればそれと知らずになされた殺害に対する刑罰を調べてくれるとありがたいのだが。

五世紀のアテナイには王様はいないので、王殺しは罪ではないでしょう。現在のフランス王(ついでに言うと禿)の殺害者が罪に問われないのと同じです。tyrannophonosという言葉はギリシア語には確かにあって、あんまり悪いニュアンスではなかったような。でもこれは調べてはいません。父殺しについては、様々でしょうね。でも、劇世界では、オイディプスは哀れまれ、何の罰も受けませんね。

えっと「その理由」は私にも実は自明に見えました。御著書の議論を無意識のレベルで支えているのは、「母親は子供と近親相姦をしたい欲望を持っている」という仮定です。先生の解釈する『オイディプス』から、これを「イオカステ・コンプレックス」と呼びましょう。で、そうした仮定を行う欲望は典型的にオイディプス的だと思いました。勿論、私は、先生がギリシア語に素人であるのと同様フロイトには素人なのと、明らかにテキスト解釈を逸脱した著者への解釈ですので、自分の解釈を明記する気にはならなかったのです。

ドラマを字句どおりにしか理解しないことが、北野氏の方法のように思われる。

テキストに即して解釈するというのは、普通は美徳とされたと思うが。テキストに即さず解釈するのなら、何でも言えるのだから。でも、山本氏は簡単なテキストの解釈も出来ないようだ。どんな簡単なテキストかって? 私のテキストだ。(面倒だが、彼が引用している私のテキストは赤で、彼が引用している彼の本のテキストは緑で示そう)

大勢が聞いた証言は撤回できない、とは奇妙な論理だ。偽証したことも考えられるではないか(で も偽証者が自分が偽証したと告白することはあまりないわな。特に偽証が大きな犯罪である社会では。イオカステの言葉はそのあたりを見越している。羊飼が偽 証を認めない限り(それは多分羊飼の死刑ないし追放を意味する)、オイディプスが公的にテバイで断罪されることはないと。偽証者へのアテナイの刑罰を調べ ようかと思ったがまあいいや。)
この文で北野氏が言おうとしていることは、ライオス殺人事件の唯一の生き残りである羊飼いが(1)偽証している可能性は少ない、ということか、(2)あるいは偽証していたとしても偽証を告白する可能性は少ない、ということのどちらかだろう。

命題「偽証が大きな犯罪である社会では、偽証者が自分が偽証したと告白することはあまりない」から、命題「そういう社会には偽証者は少ない」は導けません。深層心理も良いけど表層論理も大事です。

 罪を犯すと厳罰に処せられるということが分かっているので、人は罪を犯さない。これが(1)の場合の根拠である。
 そんな世の中、今までにあっただろうか。重罪に厳罰を課す法があっても、人は罪を犯すではないか。

そうですね。山本氏に完全に同意。

(2)も同じことである。偽証罪を犯していることが分かると厳罰に処せられるから、みずから偽証を証言することはない。そうか?

「あまり」をとると、「そんなことはない」ってなりますわな。そら、急に「良心に目覚めた」とか、「真理が何よりも大切だと思うようになった」とか、いろんなアド・ホックな仮定を行えば「そんなことはない」。で、山本氏の行うアド・ホックな仮定は

この羊飼いは拷問にかけられそうになり、ぼそりぼそりと語り始めたのではなかったか。証拠や証言で自白せざるを得なくなるかもしれない。
「偽証者へのアテナイの刑罰を調べ」て何が分かるのか知らないが、恐ろしい処断が待っていても拷問をちらつかされただけで隠していたことを白状してしまったりするものだ。

まず、羊飼が実際に語り出した真実は彼の偽証なり犯罪なりを示すものではありません。それでおそろしい目に遭うのは相手であり、そのとばっちりを食うかも知れないことと、相手への憐憫から言いよどんでいただけです。少なくともテキストから判断できる限りは。「証拠や証言」があれば自白せざるをえない、って『オイディプス』の根本を変えちゃいけません。他に証言があれば、羊飼が特別の位置を占めることはないじゃございませんか。

で、拷問にかけりゃ偽証を告白するかも知れないと。その通りですね。でもここでイオカステがなんでそんなことを思うのか訳が分からないです。羊飼の証言は、オイディプスとイオカステにとって有利なものです。弁護側の証人に向かって弁護士が「おまえは嘘をついている。俺を破滅させる証言をしないと拷問だ」と脅しつける、そらオイディプスはその傾向があるかもしれませんが、オイディプスだって、羊飼の証言を自分が救われる唯一ののぞみだと思っているわけです。さらに、ここで問題なのはイオカステの言葉の理由であることに注意しましょう。羊飼が証人として呼ばれることになって、王妃であるイオカステがどのような推論を行うのか。拷問に頼るとして(ごめんなさいイオカステさん)、「拷問で脅したら一人だと告白するだろう」と推論するか、「拷問で脅したら(脅さなくても)、たとえ犯人がオイディプスであっても複数だという証言を維持するだろう」と推論するか、山本氏的にはどちらでしょう。「それは皆の前で語られた話でした。あのものにそれを撤回できるわけがありません。わたしひとりではなく、国中のものが聞いたのですから」というイオカステの言葉は、山本氏よ、王妃としてこの事態にどう対処するのかの決断がこもった発言として、何ら「奇妙な論理」ではありません。

恐ろしい法があるから罪を犯さない?!
 たぶん北野雅弘という人は権威に絶対服従できる人なのだろう。
 恐ろしい法があるから自白しない!?
たぶん北野雅弘という人はどんな状況でも損得勘定のできる人なのだろう。
 いずれにしても北野氏のような人はそうそういるものではないし、テーバイの羊飼いが北野氏の同類だとも想像しがたい。
 北野氏の言っていることは、偽証罪は死刑と書いてある法板を見つけた宇宙人が、人間とは偽証しない生物であると判断するようなものだ。

ねえ、恥ずかしくありません?

(余計な追加。(1)羊飼さんがどんな人かは関係ありません。羊飼さんを悪く言わないで!(2)偽証罪は死刑と書いてある法板を見つけたら、宇宙人でも誰でも、人間とは偽証する生物だと判断するだろう。「タイムトラベル禁止」という法律がない理由が山本氏には分かるだろうか。)

傷跡

山本氏によると、「奇形」とは書いたが障碍とは一言も書いていないので、「奇形」であってもオリンピックに出ることもあるかもしれないし、山本氏はこれは書いていないが、奇形の青年が、オイディプスが言うように、「町で一番の者」と呼ばれていても何らおかしくないらしい。

わたしはオイディプスが障害者だとは書いていないから、奇形と傷跡だけを問題にすれば足りる。奇形だと5人相手に殺し合いは無理だと北野氏は考えているようだが、たぶん北野氏はこの日本語の意味を誤解している。
 奇形とは普通と異なった珍しい姿形のこと(広辞苑)。奇形でもオリンピックに出られるかもしれませんよ。

ふーん。「奇形」ってそういう意味だったんだ。それは失礼。僕は日本語が駄目だなぁ。となりの研究室の××先生を笑えないな。

で、広辞苑を確かめてみる(第四版)

(1)普通と異なった珍しい姿・形。盛衰記二八「―妙なる粧ひ、敢へて人類に等しからず」
(2)〔生〕普通一般の体制と比べて過剰・欠損などの乱れがある、生物の先天的な形態。例えば、植物の帯化・変り咲き、動物の双頭・過剰肢など。遺伝的なものと発生時の外部条件によるものとがある。

ねえ、恥ずかしくありません?

問い詰めたい。あなたは本当に(1)の意味で使っていたんですか?とても恰好いい人とか、そういうのも含む意味だったのですね、と小一時間…。僕はあなたが(2)の意味(正確にはその比喩的な拡張の意味)で使っているとばかり思っていました。

 さらに、傷跡だってどんな程度のものかわからないと言うことで、結局北野氏はオイディプスの足を無意味化しようとする。それがよく表れているのが、コリントスから知らせの者がはじめてオイディプスの足に言及した時に彼があげる「ああ(oimoi)」前後を、北野氏がパラフレーズした両者の対話だ。
「ピ ンで刺し貫いた傷があるでしょ」「ああ、そういえば赤ん坊のときから醜い痕があったな」「その傷のためにあなたの名前がついたんですよ」「(あ、そうだっ たのか)、言ってくれ。それをしたのは父か、母か。」でようやく彼は父母のどちらかが赤ん坊のときに自分に傷をつけたという可能性に気づく。
 苦痛の表現であるoimoiはどこにあるのだろうか。「ああ、そういえば」の「ああ」なのか、「(あ、そうだったのか)」の「あ」なのか、それともここにはないのだろうか。
 いずれの場合でも、北野氏がイメージするこのやりとりの中のオイディプスは、oimoiという叫びとは反対に苦痛や苦悩とは縁遠い。何となく、ついでに触れられた思い出話をしているかのようだ。

テキストの読めない人だ。私のパラフレーズとして出されたのはtiに二つの解釈がある中で非主流の解をとったときの場合だ。これは「読み」、つまりテキストクリティークの問題ではないから、観客の中にはどちらでとる奴もいるだろう。つまり「なぜ昔の禍に触れる」もありだし、「どんな昔の禍に触れる」もありだ。

で、後の場合は軽くなってしまって(山本氏的には)困ったね、って書いた。それへの反論が上だ。なるほど、そうすると「苦痛の表現であるoimoiはどうなのか」「oimoiという叫びとは反対に苦痛や苦悩とは縁遠い」。使者が昔の傷跡にふれ、彼は両親から虐待されていた証拠の「奇形(珍しい形)」に触れられたので大きく苦しむ。その証拠がoimoiなのだそうな。

それは素直に失礼をば。ちゃんと辞書をひかなきゃね(なんかつい最近もやったぞこのパターン)。

でひいてみる。(ギリシア文字はアルファベットに直す)。LSJ神と思っているので、一応それで許してもらおう。

oimoi exclam. of pain

なるほど、完敗だ……、あれ、続きがあるよ。

oimoi exclam. of pain, fright, pity, anger, grief, also of surprise,

なんだ、驚きの叫びでも良いんじゃん。

辞書に出てきた最初の語義だけで調べたつもりになってはいけません、ってのは講読で学生に口を酸っぱくして言っていることだが、さっきの広辞苑の件と言い、山本氏はそう指導してないのですか?もちろん、五世紀の用例に苦痛以外が無ければ、多分苦痛の叫びなんだろうけれど、そのことの検証は山本氏に任せよう。ギリシアについての研究者なら誰でも日常的にやっていることだ。

 さらにその「禍」、「恥辱」がかなり厄介なものであるのは、オイディプスが「恥辱の印をくれたのは、母か父か」と言っているように、両親がつけた傷としか考えていないことに表れている。にもかかわらず、北野氏の意見では事故の可能性もあるらしい。

 テキストの読めない人だ。私の当該箇所を声を出して三回読みましょう。オイディプスが「母か父か」と訊ねているのは、別に両親がいると言う情報がもたらされた後、さらに、傷跡が、刺し貫かれたために生じたという情報がもたらされた後だ。つまり、それまで彼が両親(ポリュボスとメロペ)によって故意に傷がつけられたと悩んでいることを示唆する箇所は何もない。「では、他人の手から受け取った者をあのように可愛がって下さったのか?」と彼自身が言うように、むしろその正反対だ。

山本氏の推論は次のようなものだ。「赤ん坊のときから両足についている傷であるということからすれば、そして恐らくはその傷跡からも、それが人為的につけられた傷であることは分かるだろう。そればかりか、この傷の加害者は彼の両親に違いないと言う想像も、まったく突拍子もないものではない。(中略)さらにまた、両親が意図的につけた傷で、それもオイディプス(ふくれあし)という名前の理由にまでなったほどの、そして知らせの者が言うように死に直結したほどの大傷であれば、親たちにとって彼が生まれてはいけない子供であったことも簡単に推測される。(中略)「禍い」の前の「遠い昔の」という形容詞は、子供の頃この傷をめぐって、そしてまた加害者である親について、悩み苦しんだことを示唆している(御著書の方)」山本氏は、程度や可能性をあらわす副詞の理解に問題があるように思う。「あまりない」「少ない」は彼にとっては「ない」と同義だし、「〜である」も「〜かもしれない」も、同じように「である」になってしまう。ちなみに、「少ない」「あまりない」から導かれるのは、山本氏には驚きだろうが「ある」である。

さらに大きな問題は、上の推論そのものだ。赤ん坊のときからついている大きな傷を見たら、この人は、傷は事故ではなく意図的につけられたもの(虐待)で、加害者は両親で、子供を殺そうとしていたと考える。「事故の可能性」は、この卑しい推論の仕方一般への批判の文脈で述べられている。多分ここでだけ私は少し怒っていた。私には胸に子供の頃から大きな火傷の跡があって、病院で母体から取り出すときに薬品か何かのせいでついたらしいのだけれど山本氏のような人は親の虐待だと云々と続けたら山本氏的には満足だろうか。(火傷の跡のあるなしは別として)。 (8月23日修正。少しくどくなったが、そうでないと通じないような気がした。でも一応完成稿)

まだ続くのじゃ。

もとの感想

山本氏の批判