ピッポ・デルボノ・カンパニー 『沈黙』

Shizuoka春の芸術祭は今年は外国の劇団を多数招聘したが、その中の一つだ。例によって野外劇場で夜に上演。始まる前にはやや強くなっていた雨も、芝居が終わって演出家のデルボノとSPACの宮城さんの対談が始まる頃には漸くおさまり、雲の間に空も見えるようになっていた、ってあまり意味ないじゃん。要するに上演中はずっと雨だった。それも土砂降りといっても良いほどの勢いに二度なり、こんな条件の悪い上演に巡り会ったのは初めてだった。

例によって、それが良かったのだけれど。

劇のテーマは60年代にシシリアを襲った大地震と、それで壊滅して、数百の犠牲者を出した一つの村だ。さまざまな音楽が流れる中、演出家のピッポ・デルボノがあるいは詩から、あるいは自作のテキストを大きな声で早口で語り、それに合わせて、ほとんどダンスシアターのように、登場人物が例えば恋人たちの語らい、例えば一人で食事をする老人、例えば女たちに囲まれた右翼の政治指導者のディナーの情景を無言で演じてゆく。

面白いのは、俳優のおよそ半数が、心身の障碍を持っていたり、あるいは極端に背が低い人だったりすることだ。

中心となる老人は「おし」で、一言も語らないことによる存在感が舞台を圧倒する。それが一人陽光の中一人でトラットーリアで食事をする場面で、まぶしいほどの明るさに一人たたずむ姿が彼が失ったものの大きさをひしひしと感じさせる。

土砂降りの雨の中で。

この場面が最高だった。野外劇場の雨の中での上演は、観客と役者が無理矢理共犯者となって一つのイベントに加担するという効果をどうしても生じるので、上演は本来の姿よりもずっと優れたものに思われることになる。イタリアの劇団は、よくこの劇場でトラブルにあっているが、それで随分得をしていると思った。

ただし、この劇団にはちょっと耐え難いところがあって、それはあまりにセンチメンタルで俗っぽい音楽の趣味だ。「沈黙」と「喪」を扱ったこの芝居で、最初に、事件についてのややエキセントリックな語りの背景に流れるのは、Pink Floydの「あなたがここにいて欲しい」だ。こんな選択って信じられます? それ以外にも、アルビノー二のアダージョだったっけ、違ったかも知れないが、ちょー有名な喪の音楽、政治的・抒情的フォーク(イタリアのなのでグループの名前などはしらない)、こういうあからさまさは彼らの上演から芸術的な深みを奪っている。