大地康雄の「リチャード三世」

不具に生まれついた身を呪い、悪に徹して人々を欺き王位へと上りつめる男。リチャードはその芝居の前半で、実に魅力的だ。身体のハンディも容姿の醜も、彼にとっては生き生きと動くための武器に他ならない。秘めたる悪を隠し、欺瞞によって人々を陥れることが彼の存在証明になっている。王位を得、もはや意図を隠す必要がなくなったとき、彼はもはやすることがない。王子殺害は権力を利用した遊びにすぎず、むしろバッキンガムを試すための手段と化している。これまでともに走ってきたバッキンガムが息切れしたことを彼は嘆くが、これ以上走る目標を彼自身持たない。裏切られ、破滅への道を直進するしか残っていない。

この魅力的な芝居の背景には、呪いの司祭役としてのマーガレットの存在があるというのが福田恒存の解釈だ。リチャードに殺された先王エドワードの母マーガレットは、敵の支配する宮廷に現われ、ヨーク家の人間に呪いをかけ、彼らは彼女の予言通りに破滅してゆく。今回の栗田芳宏の演出はこの「マーガレットの呪い」を「文字通り」に視覚化したものである。

幕はないので、開演前から舞台は見えている。中央手前に髑髏と地面に突き刺さった剣。袖の壁は木材が幾重にも貼り付けられ、積み重なる十字の墓標のようだ。左右の出入り口となる回転扉は亡者と悪魔の大きなカードの模様。舞台中央には魔法陣。後ろは円形のマジックミラー(場面によっては奥舞台が透けて見える)。なんて安っぽくてキッチュな舞台!観念の安易なイメージ化。

始まると旺なつきの演じるマーガレット(若い)が呪いの儀式を踊っているらしい。不格好で吹き出しそうになったけれどここはまじめな顔をして見なければ...。で、仮面をつけたコロスが、リチャードの冒頭の魅力的な台詞「今や俺たちの不満の冬は...」を棒読みする。なるほど、この台詞はリチャードへの他者の評価なんだ。
登場人物たちが、マーガレットを除きほぼ一貫して黒い衣装なのも退屈を促す。大地リチャードは悪に魅力がなく、欺瞞が浅い。滑稽を演じるときはテレビのままだ。小声のシーンは本当に聴き取りにくいし、横を向いて語るときも聞こえない。彼を王位につけようと奮闘するバッキンガム(吉田鋼太郎)の努力が嘘臭く見える。このリチャードのどこに彼は惹かれたのだろう?バッキンガムが魅力的に演じられていただけにこの疑問は最後まで拭えない。

「マーガレットの呪い」の図式は一貫していて、リチャードを倒すリッチモンドを演じるのも旺なつき(宝塚風、くさい)だし、最後そのリッチモンドはマーガレットに変身する。図式を強調する多くの効果が使われている。たとえば、呪いに関わる重要な台詞は雷鳴の効果音や荘重な音楽で修飾される。残念ながら、これらの効果は、数が多すぎることもあって舞台では滑稽にしか見えない。一番笑えたのは、最後の戦闘の場面で、リッチモンドにリチャードが斬りかかろうとするとマーガレットの亡霊が後ろで踊り、リチャードは金縛りにあったようにそれに操られて腕を振り下ろせないところ。「くぐつ師マーガレット」だ。これが四〜五回繰り返される。マーガレットに助けられたリッチモンドは弓を渡されて、矢尻に火を点け、引っ込む役者たちがけがをしないように十分な間をとりゆっくりと弓を引き絞り、奥舞台に矢をいかける。この間、残った役者たちは棒立ち。矢傷をおった リチャードが再度登場して(ここで、「馬をくれ」の決め台詞)リッチモンドに斬られる。こんなに間延びしたラストシーンを初めて見た。

パンフレットに引用された演出ノートには次のように書かれていた。「観念的描写は薪能(松明)よろしく、儀式に使われる蝋燭の炎をもって現し、俳優の肉体そのものを心理として登場させる。炎の中から浮かび上がるマーガレットの形相はまるで『鉄輪』の鬼女、橘姫の如くすさまじい周年の鬼と化す。呪いの対象外の人物は仮面によって、その存在を消し、マーガレット自らの手でイギリス国の真の継承者であるリッチモンドに姿形を変えてリチャードの息の根を止め、幕を降ろす。」一つの効果は一つだけの意味を持ち、観客はその意図を正しく解読する。そうすると、「呪いの儀式」としての構造が読みとれる。単調な衣装も、滑稽なダンスも、棒読みの台詞も、わざとらしい効果も、すべて一つの図におさまる(だけ)。そんなつまんない体験をしたい?

シェイクスピア作 松岡和子訳
演出 栗田芳宏 美術 朝倉摂
12月7〜17日 品川 六行会ホール

キャスト
グロスター(リチャード) 大地康雄
バッキンガム 吉田鋼太郎
ヘイスティング 間宮啓行
クラレンス 矢嶋俊作
リヴァーズ・市長 深貝大輔
エリザベス・王子 山本郁子
アン 山賀晴代
エドワード四世・スタンリー 得丸伸二
ドーセット・ティレル 水口勲
ケイツビー・ベンブルク 河内大和
マーガレット・リッチモンド 旺なつき