トム・ストッパード 『ロックンロール』

例によって「赤旗」に劇評を書いた。今回はいろいろと苦労した。650字の原稿に10時間以上かかっている。うーむ。いろいろ調べたり、あるいは書ききれなかった感想をだらだらと書いておく。

『ロックンロール』は、1968年の「プラハの春」から、1989年のビロード革命までのチェコの現代史を、ケンブリッジへのチェコからの留学生のヤンとその指導教授で、ソ連盲従のイギリス共産党員でもあるマックスとの交流を通じて描いた芝居だ。68年はまた、シド・バレットがピンク・フロイドを離れ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがウォーホールのプロデュースのもとに伝説的なアルバムを作り出し、ロックがフラワー・チルドレンと結びつき始めた時期である。そして1990年にはローリング・ストーンズはプラハでライブを行った。その間の物語だ。

1968年、ソ連軍のプラハ侵攻の直後、イギリス共産党員でケンブリッジで哲学を教えるマックスの娘エズミは、庭の壁の上で笛を吹く一人のPiperを見ている。彼(後にSyd Barrettだと判明する)は彼女に一曲歌い、帰って行く。マックスの弟子でチェコからの留学生ヤンがそこに登場する。故郷の異変を聞き、ヤンはプラハに帰ろうとするのだ。ヤンはマックスの愛弟子であり、ケンブリッジでの博士論文の執筆中だった。ヤンの帰国をマルクス主義への裏切りだと怒るマックスに対し、ヤンは、自分は改革派のコミュニストで、社会主義を守るために帰るのだと断言して、帰国の途につく。

ここから舞台は、ケンブリッジとプラハの二つに分かれる。

プラハでは、市民への締め付けは、徐々に、しかし確実にエスカレートする。ヤンはまず、帰国の動機を疑われ、ジャーナリストとして働く一方で大学の講師にもなるが、当初はフサーク政権に一定の幻想を抱いていた。

いいか、ソビエト・ロシアが侵攻してきた時、間違いなく大量の逮捕者が出て、政府関係者が丸ごと刑務所にぶち込まれて、何もかも禁止されて、改革派は仕事につけなくなって、大学からも追い出されて、全てがソビエト式になって、アコーディオンでビートルズを演奏するようになるんだ、ってそう思っただろう?僕もそう思った。だからロックンロールを救うために、それにもちろん、お袋を救うために戻ってきた。ところが、そんな事おきやしない。お袋は無事だし、ジミヘンや・ジェスロ・タルを何から何まで真似してるバンドまで出てきやがった。この前、「ミュージックFクラブ」へ言ったらアマチュア・ロック・コンテストをやってて、プラスチック・ピープル・オブ・ユニバースがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのVenus in Fursをやっているのを聴いて、悟ったんだ、何もかも基本的には問題ない。(引用はハヤカワ演劇文庫『トム・ストッパードII、以下も本作からの引用は同じ)

でも、フサークは結局ゆっくりと、ヤンが予想していたことを行って行く。まず共産党政権への忠誠宣言に署名することが要請され、それに応じなかったヤンは職を失い、キッチンの清掃の仕事に回される。それでもヤンは、反政府活動を「道徳的な自己顕示欲」と呼んでそれに参加しようとはせず、友人のフェルディナンドが頼みに来る様々な署名への参加を拒否する。彼はむしろ、チェコで伝説的なアングラ・ロックバンドになったPlastic People of the Universeの活動支援に夢中だ。

警察が恐れているのは反体制の人間じゃない!そんなものどうして怖がる必要がある?警察は反体制の人間が大好きだよ。異端審問所が異端者を歓迎するように。だって、異端者のおかげで忠誠を守る信者が意味をもつわけだから。異端者は無関心ではいられない。それでお前のお友だち、ハヴェルもフサークに長い手紙を書いたんだろう。それがラブレターだろうが抗議文だろうが、どっちだっていい。つまり彼らは同じゲーム盤にいるってことだから。(中略)ところが、プラスチックスの連中は何も、全然、気にしない。買収されることもない。彼らは別の世界を生きているから。芸術の神ミューズの世界を。彼らは異端者じゃない。異星人なんだ。

ここでのヤンの生き方は『存在の耐えられない軽さ』のトマーシュを思い起こさせるし、ヤンの言っていることはその作者のミラン・クンデラを思い起こさせる。トマーシュは忠誠宣言に署名せずに脳外科医の職を追われて清掃業に転職させられるが、でも反体制運動には参加しない。クンデラの方はハヴェルたちの様々な宣言や署名の運動に批判的だ。劇場で購入したテキストの序文を読んでみると、ヤンがクンデラとトマーシュを代弁し、フェルディナンドがハヴェルを代弁しているのは意図的だとのこと。

1976年のプラスチックスの逮捕が、ヤンの運命と立場を大きく変える。全体主義は「何も全然気にしない」連中を放っておくはずもなく、彼らもその支援者たちも逮捕される。共産党への抵抗を標榜しないロック・グループにまで権力が弾圧を強めたことは、西側にも大きく報道され、ヨーロッパ全体に救援活動が広がり、また国内では、ハヴェルが、その後チェコと東欧の多くの人の支えとなってゆく人権宣言である「憲章77」を起草するきっかけの一つにもなったのだ。プラスチックスと共に投獄され、出獄後パン屋に勤めるヤンはトマーシュから、たたかう知識人ハヴェルの方に傾いて行く。「憲章77」への署名を求めるフェルディナンドとヤンの第一幕最後の対話。

フェルディナンド(F):もう二百人以上の署名が集まっている。
ヤン(J):で、これ、どうするんだ。
F:フサークに郵送する。
J:郵送。
F:コピーをとって、海外の報道機関にも送る。
J:ただし、これは反体制運動ではない、と。お前たち、馬鹿じゃないのか?
F:いいんだ。
J:ぐっとこらえて黙ってる以外には、全部反体制的運動ってことになるんだ。僕もギターを習っとけばよかった、もう手遅れだけど。ペンある?

他方、ケンブリッジでは、ソ連のチェコ侵攻を支持したイギリス共産党系の知識人の評判は地に落ち(戦車(タンク)を肯定したのでタンキーと呼ばれるようになる)、マックスの妻エレナの癌が進行し、死んでしまう。チェコの留学生仲間でエレナの生徒だったレンカは、マックスと接近し始める。マックスの唯物論に対し、レンカが「禅とオートバイメインテナンス技術」を持ち出すところから、レンカもニュー・エイジの思想の洗礼を受けていることが分かる。ちなみに、「禅と…」の主人公はギリシア哲学、つーかプラトンと弁論術の研究者だった。エズミはフラワー・ピープルのコミューンに暮らし始めるが、そこに潜入したジャーナリストナイジェルと結婚し、娘を生む。

第二幕は1987年のゴルバチョフのチェコ訪問時のプラハから始まり、1990年のビロード革命後、ストーンズのプラハ・ライブで終わる。パン屋に勤めていたヤンは最後には大学に戻り、一つのメッセージを携えてマックスの家を訪問する。第一幕でも一度、マックスはプラハのヤンの家を訪れているが、会うのはその時以来だ。このあたりは、マックスの何重もの襞につつまれた思考の根源にある熱い心と愛情を示している点で興味深い。ここでは、第一幕の物語に実はさらに大きな背景があったことが明かされ、ヤンとマックスの和解が生じる。その詳細まで書くとネタバレになるので省略するが、マックスを動かしているのが、国家意識をもイデオロギーをも超えたヒューマニズムであることが明らかになって感動的。全ての登場人物が一堂に会するパーティでの次のマックスの台詞に感動してしまったのは個人的な思い入れが大きい。(いや、両親とも、死ぬ少し前に、同じような感想を漏らしていたので)

マックス:昔、大きな国があった。そこでは逞しい労働者たちが大きなハンマーを打ち下ろし、頭にハンカチーフを巻いたふくよかな女性たちがにっこりほほ笑んで小麦の束を運び、みんなで歌をうたい、十万篇もの詩を集めた詩集が一日で売り切れた……あの国はどこへ行ったんだろう。
ヤン:その国だって、ポルノが手に入っていたら、詩集の売れ行きは西側と同じ程度だったでしょう。

あとはメモ。

(1)最初に登場するシド・バレットをみんながPiperと呼んでいるのは、彼が笛を吹くってのもあるけれど(舞台で吹いてたっけ?)、ピンク・フロイドのデビューアルバム「夜明けの口笛吹きPiper at the Gates of Dawn」を暗示している。
(2)最後にレンカが学生に読ませるプルタルコスの『モラリア』で「偉大なパンが死んだ」が引用されているのは、多分、初演の年にバレットが死んだことへの弔辞の意味合いがあると思ったら、バレットが死ぬより初演の方が一月早い。普通に読めば「社会主義」の死についてなんだろう。総じて学生のギリシア語のレベルは低く、ケンブリッジとは信じがたい。初等文法を終えたばかりみたいだ。ただしレンカは別。でも、古典学者としては想像に走りすぎに見える。
(3)バレット、フロイドと共に良く出てくるのがVelvet Undergroundで、そう言えばビロード革命Velvet RevolutionのVelvetはこのグループの名前にちなんでいるという説がある。もちろん、流血を伴わないソフトな革命っていう意味なんだけれど。
(4) 「ハヴェル自伝」によると、Plastic People of the Undergroundのリーダーイロウスとの対話、および彼らの逮捕は、「憲章77」のきっかけになっているようだ。
(5)エレナはサッフォーの研究者という設定。学生たちと講読しているのはサッフォー。サッフォーは、抑圧的な社会の中で、性別からも自由な愛を求めた歌をうたったという点でロックと共通点を持つ作家としてここでは扱われている。
(6)今回の上演でヤンを長髪にしないのは全く訳が分からない。ただ単に68年の雰囲気がでないだけでなく、ヤンがチェコに戻ってからも髪を伸ばし続けるのはまさに体制に対する非順応の態度の表れなんだから。
(7) Make love not warを「戦争は止めて愛し合おう」と訳したり、 Love and Peaceを「愛と平和を」と訳すと微妙に雰囲気がずれる気がするけれど、実際どうなんかなぁ。僕は小学生だったしなぁ。「戦争せずにセックスしよう」「ラブアンドピース」じゃないのかなぁ。

(8)第二幕で、マックスの孫アリス(天才少女)のボーイフレンドスティーブンは、ユーロコミュニズム支持の共産党員の設定だが、マックスと次のような対話をする。

マックス:私の人生も、もうちょっとで上手く纏まるはずだったのに、三月に死んでさえいれば。ちょうど十月革命からソビエト共産党の解体まで。一体どこで狂ったんだろう。
スティーブン:1917年。
(中略)
スティーブン:僕は1917年12月に、ペトログラード工場委員会への返答として書かれた「労働者の統制に関する一般指針」のことを言ったんです。

これに対してマックスは「このアナーキストのドアホウが!」と怒鳴るが、このレーニンの文書が何か分からなかった。レーニン全集持ってないんだ。何だろう?ネットでレーニン関係で検索すると、電波と反共と新左翼ばっかりでまともな情報が殆どない。この辺がネットの恐ろしさだ。

(9)この作品でヤンは、ロックが、体制へのその根本的に非順応的な態度によって、真に世界を変える力になると信じている。そしてチェコで、ロックは、実際にそれに近い役割を演じた。「ハヴェル自伝」でのプラスティック・ピープルについてのハヴェルの言葉、「私が突如として感知したことは、ただ、いかに好き放題に下品な言葉を吐きあおうが、いかに長く、たとえ地面に届くまで髪を伸ばそうが、真実はこの人たちの側にある、ということでしたは、ヤンとハヴェルがここで同じ立場に立ったことを意味している。だから、エズミから送られていたテープに商業化したロックが入っていて、それがその娘アリスの選曲によるのだと聞いた時、ヤンは納得するのだ。この公演のあまりにださい宣伝文句「ロックは世界を変えられるのか」は、作品世界の中では結構マジな問いであって、その問いへのストッパードの答えは「そうだったかも」なのだ。バレットだ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだというヤンに対して、反体制派のフェルディナンドが好きなのがビーチボーイズなのも面白い。
(10)個人的な思い入れ二つ目。1971年のマックスとヤンの対話の中のコミュニズムのスローガン「各人が能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」「そこで、人は朝にはパンを焼き、午後には議員を務め、夜には詩人になれる」は、どっちもエンゲルスだったっけ、40年程前、子供の頃、耳にタコができるほど両親から聞かされた。(前者の訳文をその頃の記憶に合わせて修正)。「たぶん、僕たちはこの美しいスローガンを実現できるほど善良じゃない」もその頃の大人たちの会話に良く出てきた気がする。なんか異様な懐かしさだ。

補遺

(8)の文書、分かったような気がする。
大学にあったレーニン全集は執筆時代順になっていて、1917年の12月で「ペトログラード」が出てくるものは12月4日の「ペトログラード労働者・兵士代表ソヴェト労働者部の会議におけるペトログラード労働者の経済状態と労働者階級の任務についての報告」くらいしかない。その抜粋( 25巻373-375)

「だが、社会主義が完全に勝利するためには、プロレタリアートは支配階級となるべきであるという自覚に貫かれた、巨大な組織性を必要とする」
「帝国主義及び資本主義とわれわれの巨大な闘争では、中途半端な手段の余地はない。/問題は、勝つか、それとも敗者となるかである。」
「プロレタリアートは、全勤労者を指導するという意味で支配階級となり、政治的に支配する階級とならねばならない。/国家を統治できるのはブルジョアジーだけであるという偏見とたたかわねばならない。プロレタリアートは、国家の統治を引き受けねばならない。」
「生産物の交換を組織し、記帳、統制を一つの体系として施行しなければならない。これは労働者階級の任務であり、工場生活は、これを実現するための知識を労働者階級にあたえている。」
「私的所有廃止の布告をだすことはたやすいが、それを実行にうつさねばならないし、それを実行にうつすことができるものは、労働者自身だけである。」

多分、これはレーニン版のプロレタリア独裁の宣言なんだろう。権力を取ってから初めてレーニンがプロレタリア独裁に言及し、後にカウツキーとの論争になるような理念を公表したのがこの「報告」だとすれば、スティーブンが肩を持っているプロ独を放棄したいわゆるユーロコミュニズムとの関係も分かる。もちろん、プロレタリア独裁の概念が大きな役割を占める『国家と革命』の執筆はこれに先立ち、1917年8月だが、出版は1918年だ。スティーブンがこの文書を持ち出すのはその意味では分からなくもないが、だとすればとてもペダンチックだ。また「労働者の統制」ってのはニュアンスが違うような気がする。原文は何なのかなぁ。