論創社 『ベスト・プレイズ』収録のソフォクレス『オイディプス王』訳者解説

別のページに書いたように、二月から五月くらいまで、ずっとソフォクレスの『オイディプス王』を訳していた。以下はその訳者解説の全文。拙い訳だけれど、どうか買ってくださいね。

紀元前六世紀の後半、アテナイで、テスピスという名の人物が新しいジャンルのパフォーマンスを始める。車をひいてあちこちを巡回し、即席の舞台をこしらえ、伝説の人物に扮して対話で物語を進めて行くのだ。この新しいパフォーマンスはトラゴーディアと呼ばれ、大きな人気を博し、ディオニュソス神をまつる国家祭祀に取り入れられ、オルケストラと呼ばれる円形舞台を持つ野外劇場も作られた。こうしてギリシア悲劇が始まった。

伝承はそう伝えている。この伝承がどこまで信頼に値するのかについては議論があるが、三人の作家による三十を超える悲劇が今日まで残された。それらはすべて紀元前五世紀のものだ。一番古いものがアイスキュロスの『ペルシアの人々』で、前四七二年に上演された。最も新しいものは前四〇六年に相次いで亡くなったエウリピデスの『バッコスの信女たち』『アウリスのイフィゲネイア』の二作品と、ソポクレスの『コロノスのオイディプス』で、いずれも作者の死後に上演されている。

トラゴーディアは「山羊の歌」を意味するが、その名前の由来は確かではない。コロス(合唱隊)が、もともと山羊の特徴を持つ半人半獣のサテュロスに扮していたからとか、競演の賞品が山羊だったからとか、様々な説がある。現存する作品ではコロスは、多くの場合市民や女性たちであり、伝説上の英雄たちの物語に参加しつつ見守る立場にある。物語の多くは悲惨な結末を持ち、「悲劇」と言う訳語はその限りでは不適切でないが、ハッピーエンドの作品もある。最初にプロロゴス(序場)が、最後にエクソドス(全員の退場を含む終結部)が置かれ、その間にパロドス(コロスの入場歌)、複数のエペイソディオン(対話によって出来事が進行する部分)とスタシモン(コロスの合唱歌)が挟まれる。仮面劇で、三人の俳優がすべての登場人物を演じ分けた。

ギリシア悲劇の最高傑作の一つとされるソポクレスの『オイディプス王』は、前四二九年から前四二六年頃に制作された。作者のソポクレスは、前四九七年頃アテナイに生まれ、前四六八年に最初の悲劇作品を上演している。前四五六年に没したアイスキュロスとはあまり年代が重ならないが、エウリピデスに対しては年長の同時代人であり、ライバルであった。

オイディプスは父と知らずに父を殺し、母と知らずに母と結婚する。オイディプスをめぐる伝承は、それ以外の点ではさまざまだが、この点は揺るがない。だから、オイディプス伝説は、無知ゆえになされた大きな罪とその罪を犯した人間の責任についての物語である。『オイディプス王』物語の細部のどこまでが彼の独創なのかを断定することは躊躇されるが、ソポクレスが、伝説のこの本質を浮き彫りにするような物語構成を行ったことは確かだ。この作品では、オイディプスは恐ろしい神託を受けた後、それを回避するために故郷を捨てる決意をして、まさにその行為によって神託を成就してしまう。ここには、スピンクスの謎を解いたオイディプスが代表する人間的な知恵が、人間を超えた強い力の前に脆(もろ)くも挫折する姿が提示されている。オイディプスは怒りに駆られてライオスを殺す。しかし、「正当」防衛とまで言えるかどうかは別として、それは自由人としての誇りを守るための行為であり、それ自体としては誰にも非難されていない。神託のもう一つの核である母親との結婚も、「国が私にくれたもので、私が望んだわけではない」王位に伴うものであり、彼は相手が母親だとは想像すらしていなかった。だからこそ、コロスはオイディプスを「不幸な方」と呼ぶのだ。

それでも、ライオス殺しは怒りに駆られた結果だったし、クレオンの陰謀を疑いその弁明を聞き入れないことに傲慢さを見てとる人もいるだろう。ソポクレスはオイディプスを非難の余地なき善人として描いてはおらず、その性格に欠点を見出すのは容易だ。しかし、殺人犯だとテイレシアスに名指しされたオイディプスがその背後にクレオンの陰謀を嗅ぎとるのは、自分が無実だと確信している限りにおいては合理的な推論でもある。クレオンの弁明は、王位よりも責任抜きの権力の方が快適だという一般論の形で述べられる。この弁明のうさんくささは観客も共有しただろう。古代以来、世界は権力者の身内によるクーデターやその試みに溢れている。

オイディプスの性格の肯定的な側面は、オイディプスが、クレオンの陰謀を確信し、その結果が自分の破滅であると考えながらも、クレオンを赦している点にも指摘できよう。直後に、イオカステの言葉から、オイディプスはライオスを殺したのが自分だとほぼ確信するのであり、この赦しは物語の構成上は不要だ。アリストテレスが言うように、「悲劇が性格を持つのは言葉や行動がある選択を明らかにするときであり、選択が優れていれば性格も優れている(『詩学』一五章)」とすれば、ここで彼の選択はその性格の卓越性を示している。クレオンが言うように、彼の態度は「譲歩するときですら憎らしい」のではあるが。
『オイディプス王』のプロットの大きな特徴は、伝説の核となる事件を舞台上で展開せず、過去に置き、舞台上ではオイディプスがそれを知り、幸福な治世の頂点から人に忌み嫌われる存在へと転落するその瞬間だけを描いていることである。舞台上で進行する出来事の要点が過去の解明にあるという物語の展開は、後に「分析的」と呼ばれることになったが、この手法は、オイディプスの伝説を既に知っている観客にも、舞台を新鮮に興味深く見ることを可能にする。

『オイディプス王』の日本での初演は一九一六年、中村吉蔵演出、沢田正二郎のオイディプス、松井須磨子のイオカステであった。その後、一九五八年の「東京大学ギリシヤ悲劇研究会」による上演まで、日本では目立った上演はない。古代様式への回帰を旗印にした中島貞夫演出、加村赳雄主演のこの半ば学究的上演は、その後十年以上に及ぶ「ギリ研」による上演の嚆矢となるもので、日本のギリシア悲劇上演のある種教養主義的な伝統を作り上げて行くことになる。

その後、七十年代になってギリシャ悲劇を自らの重要なレパートリーに加えていった演出家に鈴木忠志と蜷川幸雄がいる。特に蜷川は七六年に市川染五郎主演で、また八六年には平幹二朗主演でこの作品を取り上げた。独自の様式意識を前面に出した上演だが、蜷川の抒情的なスペクタクルはこの作品についても大きな成功を収めた。

原文からの翻訳は、一九四一年の田中秀央・内山敬二郎訳以来、高津春繁(筑摩書房版全集)、藤沢令夫(岩波文庫)、岡道男(岩波版悲劇全集)の訳が代表的なものだ。本訳のとりえとしては、R. D. DaweのSophocles: Oedipus Rex (2nd ed. Cambridge 2006)の大胆な校訂をかなり取り入れた点があるだろうか。それ以外にも、Jeffrey Rusten, Sophocles Oidipous Tyrannous: Commentary(Bryn Mawr 1990)など、いくつかの注釈を参照した。

『ベスト・プレイズ』の初版では、『オイディプス王』は井上優氏の翻訳が収録されていた。明解な訳なのだが、英訳からの重訳であり、改版にあたってギリシア語原典から訳したいとの依頼があった。旧版をベースに北野が訳し、その結果を最後に井上氏に検討して頂く形で翻訳が行われた。文体や解釈がベースからかなりずれて来たので、北野訳として責任を明らかにすることにした。間違いや拙さはすべて私の責に帰すべき事は云うまでもない。井上氏にはさまざまなご助言を賜った。感謝したい。

『オイディプス王』は、テバイが疫病によって滅びつつあるという危機的な状況で始まる。この設定には、終わりの見えないスパルタとの戦争の只中にあって、国の指導者ペリクレスを含む数万の市民が疫病で死亡したというアテナイの現実が反映している。ソポクレスは市民のその大きな不安を作品に取り入れた。芸術家はしばしばそうした危機の前に立つことで、その真価を露わにするのである。