ベルリン シャウビューネ: 『ノラ』(原作:イプセン『人形の家』)

トマス・オスターマイアー演出
出演:ヘルマー:イェルク・ハルトマン、ノラ:アンネ・ティスマー、ランク医師:ラルス・アイディンガー、リンデ夫人:ジェニー・シリー、クログスター:ケイ・シュルツ、ベビー・シッター:アグネス・ランプキン、メッセンジャー:エンリコ・シュトルツェンブルク

イプセンの『人形の家』を、台詞はほとんど変えずに、設定を現代にして、最後にショッキング(かなぁ)なオチを付け加えたもの。

舞台は北欧風の洒落た室内。水槽には大きな錦鯉がたくさん飼われている。二階には子供部屋と夫の部屋があり、一階には応接セットと小さなベッドが置かれた部屋がある。透明な引き戸があちこちを区切っている。後ろの壁面には大きな抽象画のイルミネーション。陽気な家政婦は黒人

「小説の冒頭で壁に釘が打ち付けられていたら、結末で主人公はその釘にひもを巻き付け首を吊って死ぬ」と言ったのはシクロフスキーだったか、この戯曲でも中間で夫がほとんど説明もなく(支配人にもなるとな、こういうのが必要なんだ」「ふーん」)、小さな子供が三人いる家にピストルを持ち込むので、その瞬間から、われわれは最後にノラが彼を撃ち殺すことが分かってしまう。あと、有名な「人形の家」のせりふをリカちゃん、じゃなかった「バービー人形の家」としている以外はテキストの変更はほとんどないようだ。で、セットや人物の感情や衣装が現代のヨーロッパに変えられる。テキストは変更されていないので、郵便受けの鍵の管理を夫がしていて、妻にはそれを開ける権利もなければ能力もない、そういう現代の家庭を無理矢理想像しなければならない。また、これはパソコンで仕事をするがEメールは存在しない世界だ。夫が転地療養をしないと死んでしまう病気(結核?)、ってのは何となく北欧なら現代でもありそうな気がするのは北欧への偏見かなぁ。仮装舞踏会はあるが、そこでノラは『トゥーム・レイダー』のララ・クロフトに扮するので、女性の地位が一般的に十九世紀並みの世界ではなさそうだ。なお、オスターマイアーは『トゥーム・レイダー』を日本のアニメだと思っているようだ(インタビュー記事による)が、これはアメリカ発のゲームであって、日本とは関係ない。実際、ナショナル・シアターが『リチャード三世』を20世紀前半風に上演したときには気にならなかった細部が気になるのは、過度に現代風の意匠が使われているせいである。

人物造形は徹底的に現代風に味付けされていて、ノラはいろんなことを夫に頼むのにいちいち露骨にセクシャルな誘惑を行う。友達の就職をたのむのにその友達の前で胸揉ませたり股間をさわったりと大忙し。つまり自分の性的な商品価値を理解し、それを利用している女性だ。それはそれで良いんだけれど、その結果、この芝居は社会劇でも(ステレオタイプすぎて現実の社会とは無関係みたいだ)心理劇ですらなく(登場人物の心理はきわめて単純だ)、性格劇の相貌を呈している。そしてそこで描かれている性格はどう好意的に見てもバカップルのものだ。

主人は底の浅い威張りたがりで、自分が不利になると妻につばを吐きかけるほどのろくでなしなのに、その直後、出来事が解決したらいま行なったことなどなかったかのように愛を口にする。ノラはそれをうまく操ってきたが、操りきれなくなるとキレる性格不安定な女。夫はいろいろと不安に苛まれている妻を見ていても何の気にもしない。大体、地方都市の銀行支店長あたりで、「妻はお人形さんでお馬鹿な小娘」と思うことが出来るような世帯がドイツにはあるのだろうか?どちらにも同情できないカップルだが、殺されるほどの悪ではなく、結末は夫が(理屈の上では)可哀想で、ノラに同情の余地はない。

セットは回り舞台になっていて、時々回転するが、それで舞台の場面が変わるわけではない。斜めから演技を見せたり、一周したりと忙しいが、反転したときに大きく子供の写真が映し出される。子供もノラの抑圧の源なのである。そこだけは納得。