三文オペラ(世田谷パブリックシアター)

赤旗に劇評が載りました(PDF)

『三文オペラ』はとても好きな芝居で、チャンスがあればなるべく観に行くようにしている。最初に見たのは、京都円山公園でやった黒テントのテント版ヴァージョン。その頃は大阪に住んでいたので、それでも数は限られていたが、青年座だったか、モリタート以外は全く違う音楽を使ったもの。これも演出も劇団詳細を忘れてしまったが、雰囲気が戦後焼け跡で、歌詞に社会批判臭がとても強く、ラスト、メッキーの救済の場面では昭和天皇に扮した人物が登場するバージョンなど、どちらも随分がっかりした。

『赤旗』劇評に書いたように、この芝居のキモは「登場人物たちが自らの告発するイデオロギーを体現している」という点にあると思うからだ。だから観客と人物たちの関係は必然的に複雑なものになり、単なる同情や反発では済まなくなる(異化効果)。

メッキーは勿論のこと、ジェニーと娼婦たちだってメッキーを賞賛しつつ彼を裏切るし、マサイアスだってポリーだってメッキーに金を渡さない。銀行に預けたと言うが、それが本当かどうか、ブレヒトは分からないようにしている。登場人物たちは、資本主義的な恋愛と友情の関係を生き抜いている。乞食商会のピーチャムは、乞食たちの論理をタイガー・ブラウンには語るが、彼自身はその労働によって暮らす資本家に他ならない。

感情的なレベルで彼らが特にドライな訳ではない。ポリーは金は出さないが、メッキーへの永遠の愛を語るし、その言葉に嘘は感じられない。行動におけるドライさと感情の真摯さを両立させれば、それだけで面白い上演になるだろう。だから、ジェニーのメッキーへの愛情を疑わせるような演出や、ジェニーに裏切りを後悔させるような演出は『三文オペラ』ではない何かだろう。

あとはいきた日本語とメロディに載る言葉のリズムがあればよい。

その点で、私の見たなかで最高の『三文オペラ』は、以前にも書いたが 1994年にサム・メンデスがロンドンのDonmar Warehouseで演出したものだ。トム・ホランダーが主演だったが、私の見た1995年冬のヴァージョンも多分同じだったと思う。現代化し、ウィリアム王子の戴冠がせまる(チャールズは辞退)という設定で、「警察、マックに迫る」という大きな見出しの8ページのタブロイド版新聞号外がパンフレットの代わりになっている。Jeremy Samsの新しい翻訳を使っている。とても暴力的なマックで、語り口もかなり下品だが、動きがスピーディでハンサム。映像化はされていないようだが、レコーディングはCDで発売されている。良いですよ。

最近では、ブロードウェイ・リヴァイヴァル版の『キャバレー』(最高)でMCを演じたAllan Cummingがマックを演じ、シンディ・ローパーがジェニーを演じたものが、『キャバレー』と同じStudio 54で上演された。これはもう終わったのだろうが、ルーシー・ブラウンを男(ドラッグ・クイーン)が演じ、観客の前で性器を露出するようなものらしい。カミングのマックはJohn Heilpernによると「neo-punk Bolero dancer」に見えるそうだ。見、見たい。

ベルリナー・アンサンブルは今三文オペラをロバート・ウィルソン演出で上演中だ。これも見たい。こういうの、呼んで欲しいなぁ。

さて、今回の上演。とても面白かったし、赤旗に書いたことに特に追加することはないが、白井演出は二度目だ。おかしな共通点がある。白井演出の『血の婚礼』では、大きな布が効果的に使われていて、それは同じように大きな布を効果的に使っていたその一年ほど前のT.P.T.の『血の婚礼』を思い出させた。今回の『三文オペラ』では、三段構造の舞台が特徴的で、それは俳優座による『三文オペラ』の二段構造の舞台を思い出させた。

どういうことなんだろう。