シャケと軍手(新転位21)

演出:山崎哲 出演:石川真希 (スズカ) 佐野史郎(飛田) 飴屋法水(ユウ) 十貫寺梅軒(スズカの父)

素晴らしい舞台だった。例によって中野光座だが、このぼろぼろのもと映画館は、貧困と差別が大きなテーマとなっているこの作品の上演にはぴったりだ。今回は電話予約を入れていたので待たされずに入ることが出来た。朝から何も食べていないので、隣の肉屋でコロッケを買ったら買った時点で冷たかった。もと映画館なので食べ物を持ち込むことに罪悪感を感じないが、上演中は飲食禁止(食べたのはそのアナウンスが流れる前、ごめんなさい)。

世間を騒がせる犯罪をテーマにして芝居を書き続ける山崎哲だが、主要な関心が加害者の側にあるため、例えば世田谷の助教授一家殺人とか、未解決の犯罪はテーマになっていないようだ。今回は秋田の児童連続殺人。母親が自分の娘を殺し、さらになぜか近所にすんでいた娘の友達まで殺してしまった事件だ(母親は娘の殺人については否認している)。

私は一般日刊紙を講読していないので、この事件の背景についてそんなに知っているわけではないが、テレビでの論調が、加害者が高校まで陰湿ないじめの被害に遭っていたことが分かった時点でやや変わってきたのは覚えている。それについても、当初はいじめに対して擁護するような論調だったのではあるが。

演劇をはじめとする芸術作品の多くが、他者理解への欲望によって突き動かされている以上、目の前にいる理解しがたい人たちが演劇の大きなテーマになるのは当然のことだ。ただし、演劇はルポや小説と違い、その状況を視覚的・言語的に提示することで、言語とは異なるレベルで加害者を「理解」することを可能にする。結局私たちは加害者がなぜそのような行動を行ったのかは分からないままだが、彼女が人生を「投げて」しまう救いのなさはひしひしと伝わってくる。ただ、加害者が小さい頃から暴力を繰り返していた父親を除いて、周囲にいる人物たち(弟と恋人)があまりにも善意に溢れているために(訴訟対策のお約束ごととして見るべきなのか、それとも調査の結果実際に加害者との関係がそうだったのか、そのあたりは「フィクション」という煙幕の背後にあって分からない)、それがなぜ救いにならなかったのかなぁ、と思ってしまった。また、高校の頃のいじめもテレビで報道された卒業文集の文面を超えるものではない。卒業文集であそこまでする子供たちは、日常的にはもっと酷いことを行っていたのだろうが。地域全体にわたる貧しさの描写も図式的。結局、理屈としては犯行動機は分からないままなのだけれど、私たちは加害者について、この芝居を観る前よりも確かに理解している。(それが現実の加害者への「正しい」理解なのかどうかはまた別の問題だ。)

だから、とても見応えのある舞台になっていたのは、状況劇場出身の四人の俳優たちの力が大きい。四人ともに(方言の問題はあるかもしれない、それは私には分からない)隙がない舞台だ。特に主役の石川真希。薬物の影響もあり全てに投げやりになっているところ、突発的な怒りのありようが、加害者がこんな人だったのかなと思わせる。第二に抒情的な側面の描写。あまり可愛らしさを強調する形では描かれていない娘をかわいがる加害者の弟(飴屋法水)は娘に太宰の『魚服記』を読み聞かせる。彼女の水と魚へのあこがれは事件の伏線になるが、太宰の朗読だけでなく、娘との対話の厳しい情感も素晴らしい。