夏のギリシアの古代劇上演 2002

(1) 07.18 パトラでカラマタ劇団の『オレステス』を観る。

パトラのオデイオンについて、パウサニアスは、「この建物の造りは、もちろんアテナイのオデイオンは別格として、ギリシアにあるこの種の建物の中で、一番評判が高い。規模といい、あらゆる装飾部分といい抜群で、アテナイのヘロデスが、死んだ妻の形見に立てた」と述べている。アテネから行くにはキフィスウのバス乗り場から直行バスがあるが、ペロポネソス駅からの列車もパトラを経由してオリンポスに向かう。夏の午後なら、パトラからアテネは列車の方が風景がきれいだ。ただしバスの方がずっと速い。ここのオデイオンでエウリピデスの『オレステス』をカラマタの公立劇団が上演するのでバスで観に行った。
エウリピデスの『オレステス』はニュアンスに満ちた芝居だ。多くのせりふがひねくれていて、文字通りの意味とは正反対の響きを持つ。当てこすりも豊富だ。例えば、一応の祖父テュンダレオスとオレステスの会話では、オレステスは、クリュタイムネストラのことを「私の母と呼ぶのは恥ずかしいからあなたの娘と呼びますが」と言うが、彼女はオレステスの母ではあるがテュンダレオスの本当の娘ではないし、母殺しのオレステスがこの芝居では一貫して「肉親は助け合わねば」と言うのも面白い。他方、肉親間の殺し合いを最も忌むべき行為としてオレステスを非難するテュンダレオスは孫のオレステスが死刑になるように全力を尽くすと断言する。メネラオスとオレステス、ヘレネとエレクトラの対話も、一行一行身振りと表情を指示することができるくらい(勿論もともとは仮面劇)含蓄に満ちている。コロスも面白い。表面的にはオレステスたちの味方だが実は好奇心たっぷりのお嬢さんたち。オレステスがどういう最期を迎えるのかへの関心を抑えられないし、エレクトラが何度頼んでも大きな音を立ててオレステスを起こしてしまう。この芝居の前半は、自分の設定とは一致しない台詞を語る登場人物たちの裏の響きが、かなりグロテスクで喜劇的な効果をあげている。

カラマタの劇団のギリシアでの上演について日本語で感想文を書いてもあまり意味もないだろうが、素人ではないのだろうけれど、ちょっとひとつのアイデアにとらわれすぎ。登場人物たちは、ちょうど山の手事情社のオイディプス@Tokyoの女の子たちのように、舞台に「置かれる」場合が多く、舞台上での動きも制約されている。語り口も、ヘレネが襲われたときに館の中から逃げ出してくるフリュギア人を唯一の例外として、こわばり、単調である。パンフレットにブレヒトの引用があったりするところから見て、異化効果を狙っているんだと思うが、問題は動きも語りも面白くないことだと思う。語りについてはギリシア語なので大きなことは言えないが、一本調子に聞こえる。動きはゆっくりとした足取りで不自然な方向に足を投げ出すってのが基本。

激しい場面でも動きは単調で、でもここでは軍事的イデオロギーに取り付かれた人間の怖さが少し出ているような気がした。最後、誰もいなくなった舞台には現代の若者たちの写真だけが反戦的感情を訴えているようだが、ギリシア独自の文脈なのだろうか、よく分からない。

(2) デュッセルドルファー・シャウシュピールハウス 『テバイ四部作』

エピダウロスで二日連続で上演、一日二本ずつである。この劇団は二本でシラーなんぞをやっているはずで、見た記憶もあるような...良く覚えていない。テルゾプーロス、鈴木、フォーキンといった国際的に活躍する非ドイツ人が演出した舞台。通して見ての印象は、俳優たちの演技の確かさ。民芸とク・ナウカくらい違う演出様式を、どれもほぼ完璧に表現しているように見えた。ドイツ語での上演だが、『オイディプス王』を除き、動きも豊かで飽きない。

a. テルゾプーロスの『バッコスの信女たち』
10年前に草月会館で見たときと基本的にはおなじテルゾプーロス。舞踏系の半裸のコロスがディオニュソスの太鼓に合わせて腰を振って踊る。ディオニュソスの信女たちのコロスは男女混合で、「イテ・バクシェン」というディオニュソスの音頭に合わせての踊りも明らかに性的。腰を振り、仰向けになって股を開き、腰を振り上げる。ディオニュソスはその間オルケストラの縁に沿ってゆっくりと舞う。この踊りが、今回は大きな説得力をもっていたのは、前回見たときとの題材の違い(『ペルシア人』では盛り上がらないわな)も大きいが、振り付けに力があることの意味が大きいと思う。スピードはないが力強い動きは、見ていて飽きさせない。その分ドラマ的要素はあまり重視されず、ペンテウスの変化など、ドラマとしての見所はあっさりしている。

終了後はブラボーの嵐だったが、途中ではずいぶん納得できない観客の様子だったのに。最初から半裸の男女がエピダウロスに出てくるのだもの。演出家がギリシア人だということもあるだろうが、結局受け入れたのだろう。

b) 『オイディプス王』鈴木忠志演出

鈴木のほうはオルケストラ中央に車椅子、ってSPACのよりも前の演出スタイルに戻ったようだ。でも、白黒の床に床几というのはSPAC版と一緒だ。技術的問題とやらで上演がずいぶん遅れる。女たちの無言のコロス(モイラなのか)は腕を上げ、急に下ろすという所作をとるがこの動きはSPACほどの鋭さがない。

作品としては適度にはしょりつつ第一エペイソディオンから真相の解明まで、最初と最後はカットしている。オイディプスは車椅子で、中央の小さな円形の舞台から離れない。俳優たちの格好は基本的には無国籍で、侍風の男のコロスが腰につけているのは中世西洋の剣だったりする、彼らの場合、なんとなく遠目には日本風に見えますって感じ。動きも鈴木メソッドになりきっていないが、その違和感が面白い。全体としては動きが少なく退屈だったし、終了後もブラボーとブーが半ばするものだったが、レベルは低くないと思う。俳優の表現力がSPACよりは数段上なので、静止でもある程度は見せる。クレオンの弁明のあいだじゅう嘲笑っているのも面白い。それに配置がきれい。でも鈴木のこの『オイディプス』には力がない。悲劇が、生と一体化した死の再現だとというのはありふれた見解だが、昔の鈴木には、完成とは無縁のあふれ出る生命力があった。それが失われて規模の小さな完成に彼が向かい、10年前には規模の小さな完成を示していたように思われたテルゾプーロスが同じスタイルを踏襲しつつそれを超えたダイナミズムを獲得していたのはとても皮肉で面白かった。

ちなみに今日のエピダウロスにはアンゲロプーロスとハーヴィ・カイテルが来ていました。かなり得した気分です。

『テーバイ攻めの七人の将軍』は?の演出。最初、昨日のオイディプスが大きな車椅子で登場、オルケストラの周りをゆっくり一周し、ずっと舞台を見ている。
女たちのコロスは銀髪に黒服。ゆっくりとした動きの中にエテオクレスが機関銃を持った黒服の一団とともに登場。彼は肩車され、メガホンで市民たちに呼びかけている。そこへ伝令が現れる。伝令とエテオクレスは周知の間柄の様子。伝令は七度にわたって登場と退場を繰り返したりはせず、最初様子を見に行くと、次からはずっと舞台上にいる。
伝令が様子を見に行くと、女たちのコロスが不安をささやきあっている。ささやきは徐々に大きくなり、叫びになりそうなところで機関銃の音が響き、女たちは地面に伏せる。そこへエテオクレスが再登場する。彼は女たちをあざ笑い、彼女たちの祈りを途中でさえぎる。このあたり、実にテンポ良く話が進む。コロスを中心に、かなり台詞の省略がある。七将軍の紹介の場面が面白いとは実際に見るまで想像もしなかった。最初は、たいしたことがない相手と馬鹿にしていたのが、段々真剣になってゆくのが分かる。
ポリュネイケスが第七の門を攻めるという場面では、最初の陽気さと傲慢は消え、エテオクレスは悩める青年になっている。
さいご、喪服に身を包んだアンティゴネとイスメネが二人の兄の遺体を布にのせて引っ張りながら登場する。遺体は石膏製の彫刻(頭や手足の先は取れてしまっているもの)で、嘆きのあと、ポリュネイケスの埋葬を禁じる伝令の布告に従うイスメネと従わないアンティゴネは別の方向にそれぞれの遺体を引っ張って行こうとして暗転。実に感動的。
アンティゴネはいかにもドイツの群像劇。真ん中に七つのはしごがかけられた作り物を置き、コロスも俳優も全員その中に横たわっている。そこから外に出るものが俳優になり、中に残るものはコロスとして演技する。面白い趣向だし、面白い演出だったとも思うのだが、この時間になると眠たくて眠たくて、あまりまともに見ていない。

八月三日、小包郵便局に行ったらしまってた。アストールホテルの予約をする。で、昼寝二時間。おきてから土産のTシャツを買い、風林火山で和食を食っただけ。アマリアホテル前に集合で近くの港(シンタグマから10分。フリボス?)に行き、そこから一日クルーズ用の船でエピダウロスへ。サロニカ湾、サラミス島、アイギナ島を横に見てエピダウロス港に到着。ビーチしかない小さな村だけれど、ナフプリオンよりもこちらのほうが面白いかも知れない。
で、くらくらするほど紫外線を浴びてから芝居を見た。
ギリシア国立劇場『アウリスのイフィゲネイア』
舞台上は大きな船尾の作り物が二つ。それぞれメネラオスとアガメムノンの陣屋を表す。右側には木製の舞台。最初男たちが登場。どうやら神官らしい。ヘレネを呪うスタシモンを歌う。
それが済むと『アウリス』の冒頭が始まる。老人とアガメムノンの会話も舞台の全体を使い、感情表現豊富。「こっそり」はどうなった。全体がミュージカル仕立て。合唱歌はややビザンチン風だが基本的にはギリシア民族舞踊。ゆっくりとした単純なステップ。少女たちのコロスはドラ・ストラトゥ風?メネラオスとアガメムノンは取っ組み合いをするし、アガメムノンの嘆きを見てメネラオスは簡単に改心し、二人は大げさに抱き合う。
歌は場面を区切るだけでなく、途中でも入ってくるし、人物たちをあおり、盛り上げる。クリュタイムネストラを先に帰そうとしたアガメムノンがそれに失敗して「幸せなのは言い妻を持つか結婚しないかだ」というと客席は結構受けてあちこちでその台詞を繰り返している。あ、これがギリシア人の芝居の楽しみ方だったんだと思い出す。
(そのまえ、客席で声高にしゃべりだした奴がいてみんなに叱責を買っていたがあれはなんだったんだろう?)
最後の使者の報告もコロスに任され、神官のコロスも少女たちとともに、イフィゲネイアが助かった祝いを歌う。舞台上に残ったクリュタイムネストラだけが無言でナイフを取り上げ馬車に乗るとそれを振り下ろす仕草で暗転。
実に楽しい。けれど『アウリス』ってそんな芝居だったっけ?『アウリス』は、全篇やるには、実は難しい問題をいろいろ抱えた芝居だ。


四日 飛行機でイオアンニナ着
旧市街に泊まりたかったのだけれど、結局考古学博物館前の安宿に泊まる。「電話のある部屋を」と行ったら、電話のある部屋が余りないようで待たねばならなかったので、その間市内を歩く。旧市街で迷子になる。いやあどこをどう行けばどこにつくのか全然分からない。旧市街には後にもう一度行くがそれでも分からないと言うことが分かっただけ。
旧市街はかなりきれいな家が石畳の狭い道沿いに並んでいる。ホテルはあることはあったが、民家みたいなホテルだ。二階建てより大きな家はなかったような気がする。
このあたり、かつてのイオアンニナの豊かさを見ても良いのかな。そこを外れた町並みは本当に汚い。町並みを一応散策して、ドドニに行って明日帰ろうと思ったのだけれど、ホテルに戻ると疲れて眠ってしまった。結局二泊することにする。明日はドドニに行き(タクシー片道で10エウロ、往復だと15エウロなそうな。往復にしないとやばいかなあ。)、もう一度旧市街の、今度はアリ・パシャの要塞なんかも見て、帰ろうかな。
特筆すべきは湖の汚さだ。夏だからなのか、もわっとしている。その水際にはかなりひどいカフェが並んでいる。水際、少し離れたところにはタベルナが並んでいるが、夕食はここで食う。流行っている、というか、ここはギリシア人の客がほとんどだった。観光客も多いのだろうけれど、ミニ遊園地があったり、風船売りがいたりしているから、イオアンニナの人が多いのじゃないかな。パネギリア(祭り)なのだろう。
もう少し落ち着いた食べ物やが良いかなと思って入ったら、売春斡旋の店だった。「食事か?」と聞かれたのでうんと言ったが、かなり怖くなり「後でまた来る」と言って帰った。

ちょっと間があいたが、今日は昼アテネに戻り、昼飯を食ってプラトンのアカデメイア跡に行く。以前に行ったときにはアカデメイア・プラトノス通りを彼の石造前まで行って帰ってきたのだが、そこから左に折れ、キフィスー行きのバスの通りに出るともう少し大きな公園があることが判明。プラトンとアリストテレスはアリストテレスの勝ち。アリストテレスのほうはシンタグマだもの。
しかし、こうした反復の旅行をしていても仕方ないような気もする。
夜、パトラ劇団の、『女の平和』。これもミュージカル仕立てだが、政治家の物まねあり、多様なギャグありで実に面白い。言葉が分かると五倍くらい面白いと思う。基本的には忠実だと思うが、構成をかなり変えているのと、ギャグを思いっきり加えているために、ずいぶん印象が違う(どの場面なのか分からないところも多い)。男女のコロスを中年にしているのがよい。ダンスはそれは国立劇場のに比べるとヴォードヴィル風で、「見せる」踊りになっている。音楽も魅力的だ。なんか今回のギリシアの劇団の上演で一番面白かったし、完成度が高かったと思う。

ちなみにリュシストラテは男が演じている。発声などそんなに無理して女声にしていないのも感心。二三アテネでも有名な俳優が出ているみたい。
ギャグでこちらでも分かったのは、「誓いの場面」で女たちが誓いの言葉を都合よく言い換えるところなど。「決して」を「時々」とか。フランス語のギャグ(というかフランス語で台詞を言っているだけなんだけれど)も受けていた。なんかそこだけ分かるってのも情けない。