新国立劇場「たとえば野に咲く花のように」

新国立劇場のギリシア悲劇翻案三部作第二弾。

これも「赤旗」劇評欄に掲載されたのでPDF化したものはこちら

(日付・ページ欄と劇評記事との間には他の記事がある。今回、まるでページの最上段にあるかのようになってしまった)

そこそこ面白い人情喜劇なのだけれど...

赤旗に書いたこと以外に、

直也は母親を殺している(傷つけただけかも)ようだ。まあ、オレステスの役回りなんだから仕方がないけれど、あかねとのやり取りには、そうした過去を持つ暗さは何も見えない。殺人だとしたら尊属殺人なのでそんな簡単に出て来られるとも思えない。

満喜の弟が敗戦前に憲兵になっていたために、この姉弟は朝鮮に帰国できないという設定なんだけれど、弟はどこで憲兵をやっていたのだろう。設定からして朝鮮で、ということだろうが、とすれば彼はその後、日本に流れてきたので、その割には日本語が達者すぎる。

姉弟二人の対話で、他に人がいないときでも博多弁を喋っている。

ダンスホールが戦中からあったような設定になっている。ダンスホールが兼売春宿だった、ってのはありそうだが、満喜の弟では客にならないだろう。米兵が出てこないのも不思議。このダンスホールの性質が分からない。だからラストシーンも訳が分からない。

そうしたストーリー上の無理はラシーヌとの重ね合わせのせいなんだと思う。それにしても何故重ね合わせをする必要があったのか?「翻案で一本お願いします」「はーい」ってんで適当に作ったのではないか。依頼の側にも、依頼される方にも、「ギリシア悲劇」へ別に思い入れも深い理解もないから、「何故、ギリシアの翻案で?」っていうところが出てこない。このあたりが、積極的にそこを出すようにと言われていただろう静岡のギリシア悲劇祭りと違うところではないか。それを逆手にとってのが第一弾の『アルゴス坂』で、これは、そういう企画のあり方への皮肉としても面白いと感じた(内部事情を知っているわけではないので完全に想像だが)。

大体新国立劇場とギリシア悲劇って、鈴木+SPACを一日上演した以外なーーーんの関係もないのだから、こういう企画をなぜやりたいのか分からない。

まあ、そう言えば、この劇場の演し物には、思い入れを感じさせるものは、新劇系新作の紹介を除いて、何一つなかったように思う。いつも、とりあえず何かを紹介してみました、だ。クリーン・スキンズの時もそうだった。だから、太陽劇団を持ってきても、ベルリナー・アンサンブルやペーター・シュタインを持ってきても「一度だけ」にしかならない。紹介はしましたよ、もういいでしょって感じ。シュタインは今年韓国まで来たし、太陽劇団は台湾まで来たのに、東京には来ない。

なんだかなぁ。