絵画消失 ノア・チャーニイ 山本博訳
哲人アリストテレスの殺人捜査 マーガレット・ドゥーティ 左近司祥子他訳

絵画消失

「暖かいローマの夜、トラヴェステレの小さなバロック様式の教会、サンタ・ジュリアナ」から、カラヴァッジオが盗まれる。
それから数日後、パリのリュー・ディスラエリテ通りから、マレーヴィチの「白の上の白」が盗まれる。
それから数日後、クリスティーズのオークションで競り落とされたマレーヴィチの別の「白の上の白」がロンドン近代美術館から盗まれる。
それぞれに必死の捜査がなされるが…

最近は珍しくなった三拍子揃った美術ミステリー。ひどいプロット、あり得ない細部、出鱈目な翻訳。

ひどいプロットは、ネタバレになるので全部は書けないが一つだけ。

ロンドン近代美術館には、犯人を名乗る男から連絡が来る。美術館の理事会は、丁度購入したのと同じ630万ポンドを犯人の指定の口座に入金し、指示された場所でマレーヴィチを見つける。でもそれは偽物だった!
理事会が信じた理由が、「取り戻し金を払っているのに盗んだ絵を返さないのは、自分から財布を渡して慈悲を乞うている人を殺すようなもの」だからなそうな。理事会が馬鹿というより、作者のプロットのいい加減さが露呈して読む気を無くさせる。

あり得ない細部。

誰も美術品に保険をかけていない。
戻ってきた絵が盗まれたのと本当に同じかどうかの徹底的な調査がされない。これは単なる真贋の判定だけではない作業が必要になるし、どう考えてもカラヴァッジオあたりの絵の偽作が通用するはずがないのに、一人の買収された専門家が、「間違いなし」と言っただけでOKになっている。誰もその点で揉めたくないからみたい。そんな事したら世界中から突っ込み入りまくりでその専門家の学者生命が終わるリスクがある罠。
ゲッティの持っている一つの絵の信憑性に異議を唱えた学芸員が首になり、美術界では暮らして行けなくなり、誰も名前を聞かなくなったなどの「エピソード」が紹介される。そんな事があるなら、そのエピソードが一般の人に流れることはあり得ないだろう。
絵の信憑性なんていっつも問題になるものだ。

コンピュータ管制装置にアクセスされ、完全にコンピュータを乗っ取られる(但し絵はまだ盗まれていない)事件が起きた後の近代美術館の責任者の対応。「全てのファイアーウォールと暗号を総点検し、二度と我々のコンピュータにアクセスできないようにしなさい。」彼女はそれ以上の対策や警察への通報を禁じる。
えっと、もうコンピュータ乗っ取られているんですけれど。
まあ、この責任者は実は…だったりするんだが、それにしてもねぇ。こんな指示を出そうものなら、絵が盗まれた時、まず彼女に疑いが向けられるわな、普通のミステリでは。

出鱈目な翻訳(一例だけ示す)

最後の方の会話。「われわれが必要とした最後の手がかり、つまり、金庫の組み合わせ番号は34を7回まわすという発見に我々を導いてくれた、『メランコリアI』、あの版画はリュ・ド・エルサレム通り47番地の四階にあった。3,4,7だ。これはただの偶然だと思うか?
474やん。英語だと3rd floor, 47, rue de Jerusalemで3.4.7なんだろうし、たしかにthird floorは普通に訳す時は「四階」なんだけどさぁ、この文脈でそう訳すかね。上の日本語書いてて何か「変」って思わないのかしら。

訳者あとがきに「ミステリとしては驚くこともない『ダ・ヴィンチ・コード』が」と書かれていたが、「絵画流失」はいろんな意味で「驚くべきこと」だらけだわ

哲人アリストテレスの殺人捜査

これは正反対。きちんとしたプロット、良く出来た細部、素敵な翻訳の三拍子が揃っている。

アテナイのそれほど裕福ではない市民ステファノスは、追放中の自分のいとこフィレモンが、金持ちのブータデスの殺害犯として告発されたのに驚く。彼はフィレモンの弁護をすることになり、アリストテレスを頼る…

玄人筋に言わせると、この小説でのアリストテレスの推理方法はアリストテレス流でなく、ホームズに近いらしいんだけれど、まあ、そう言うことは気にせずに、紀元前四世紀のアテネの雰囲気を良く伝えている洒落た、しかし本格派の小説として読むことが出来る。

ただ、これは犯人当てではなく、トリック当て、というかアリストテレスの推理をどこまで先回りできるのかというゲームだと思う。犯人の意外性は殆どない。ネタバレではなく、容疑者が少ないので、どうしようもないところ。散りばめられた手がかりをうまくパズルにおさめられるのかがキモ。ちなみに私は当たりませんでした。