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擦過した五感――バリ小旅行記

文=木村覚

      コンテンツ →  日記   バリニーズ・ダンス批評(予定)

「バリは静かないいところですね」などという、旅行中しばしば挨拶で交わした言葉は完全に間違っている、とずっと思っていた。2日目の朝、ぼくたちは聞いたこともないほどの喧噪で目が覚めた。モンキーフォレストというウブドでは比較的大きな通りから100メートルほど入ったところにあるこの部屋から見える光景は、のどかな田園の世界だ。それなのに、そこかしこから何やら騒がしい物音が聞こえてくる。はじめは離れた地区で朝から祭りでもやっているのか、と思った。それにしても聞こえてくるのは尋常ならざる奇声のようなものであって、それも一人二人、十人二十人という数ではない。この喧噪は何だ?


答えを言えば恐らく、一家に数羽は飼っているだろうニワトリの声だった。あちこちから放し飼いのニワトリの半ば叫び声ともとれる声が一斉に発せられていたのだ。ただしこれはいわば楽団の一パートと言った程度であって、ガムランで言えば笛や弦楽器のようなその響きに混じって、カエルやトッケ(インドネシアのトカゲ)や鳥の鳴き声が合わさり、虫のキーンという高音の金属質の音が重なり、バイクのエンジンや川の流れるザーザーも引き続く、サラウンディング・サウンド・スケープがぼくたちを取り囲んでいたのだった。

「押し寄せる」、と言った形容が相応しい。いやもっと正確を期そうとすれば、「五感を擦ってくる」、と言うべきだろう。そんなバリの世界。いつか近くない将来には擦過した皮膚から血が滲んでくるだろうと予感がするほどのこの強烈な音と色と匂いと味と皮膚感覚の世界。それは、日本とは違った地球の一地域に行って、物事を見つめ直すということ以上の、いわば五感の細部を鍛え直すトレーニング場に足を踏み入れた、ということを意味していた。そう、ぼくが旅に出る前テーマに考えていたのは、まさに自分の五感を覚醒させる訓練をしようと言うことだった。

「トレーニング」。そう言えば、6日目の旅でぼくたちをミスティックなツアーに連れて行ってくれたARも、「日々見ることのトレーニングをしている」と、ウブドのはずれの小さな村の、ごくごく小さな駄菓子屋のような店のベンチで、甘いコーヒーとさらに甘いガラムタバコを勧めてくれながら、話してくれた。三人が坐るベンチから見えたハイビスカスの葉の濃い緑と花の鮮明な赤とその他の様々なものたちの作り出す色のクロッシングの、その瞬間にしか生まれない偶然に現出したコンポジションが、彼が静かに「ほらっ」とそれらに手をかざした途端ピシッと決まった時、彼の言う「トレーニング」という言葉が、ぼくのこの旅のテーマと重なることを強く実感して、体の震えたのを覚えている。

 

*                   *

 

ささやかな旅、たかだか8日、実質的には6日間の小旅行。何をおおげさな!と思われもしよう。そう、本人もちょっと大げさ?と照れながら、久しぶりに再会したこの世界との日々をなるべく細部に至るまで記述して残しておきたくて、今回、このようなコーナーをつくろうと思い立った。大きく分けて、旅行記(日記)と、7箇所で見たダンス公演について、今後ウブド周辺でダンスを見る人の参考に少しでもなるように批評を試みたページとから構成される。

――擦過した五感。この旅の間、ぼくの全体は皮膚なのだと感じていた。目は眼球という皮膚であり、耳は鼓膜、鼻は鼻孔、またスパイシーな食事を感じる内臓、風を感じる全身、それらすべて皮膚であり、このぼくの外側がすべて外界を受けとるセンサーであり、このセンサーのもつレンジの限界内でぼくは世界とともに生きているのだ、と。レンジの限界で外界に擦れる五感。旅の後に残った微熱と下痢と上半身をおおう発疹は、世界との擦れた結果を証してくれているようで、むしろぼくを嬉しい気持ちにさせた。ここに集まった言葉は、擦過した皮膚に残るかさぶたのようなものだろう。