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アルトーについてのメモ(1)バリダンスについて






「バリ島の演劇について」より(この論考は前半部分と後半部分に分かれている。前半は『新フランス評論』1931年10月1日号所載の「植民地展におけるバリ島の演劇」による、後半は書簡や未発表原稿からの抜粋。ちなみに引用は右の本から。『演劇とその分身 アントナン・アルトー著作集T』所載、白水社、1996年、85-109頁)。まだ重要と思われる引用を並べただけです。今後これらについてのコメントを付けるつもりですが、さし当たり宇野邦一『アルトー 思考と身体』についてと併せて読んでいただければと思います。




「バリ島の演劇は舞踊と歌唱とパントマイムと音楽の血を受け継いでいて、ここヨーロッパで我々が理解している意味での心理劇の要素は極端に少ない。その初めての上演は、演劇をその自律的で純粋な創造の次元、幻覚と恐怖の角度の下に再び置くものである。」(85頁)



「バリ島の人びとは、最も極端な厳格さをもって純粋演劇という観念を現実化している。そこではすべてが、発想も実現も、舞台上での客観化の度合いに応じてしか価値もないし、存在さえしない。バリ島の人びとは、演出家の絶対的な優位と、その創造力が言葉を排除することを誇らかに証明しているのである。主題は漠然とし抽象的で極端に一般的である。ただ舞台上のあらゆる技巧の複雑な密集だけが、それらの主題に生命を与えている。この舞台上の諸技巧が、我々の精神に、身振りや声の新しい使い方から引き出される一つの形而上学の観念を植えつけるのである。」(86頁)




「まるで敷居のなかを滑るように一方の肩から他方の肩に移る頭の水平運動など、それらすべてが、即座に心理的必要性に応え、さらに一種の精神的建築に呼応している。動作と身振りばかりでなく、あるリズムの持つ喚起的な力や、ある体の動きの持つ音楽的性質や、ある音調の平行的で見事に溶け合った和音などがこの精神的建築を作り上げている。それは舞台での自由と自発的な発想を大切にするヨーロッパ的感覚とは相容れないかもしれない。しかしだからといって、この計算がただちに味気なさや単調さを生むと考えてはならない。それどころか素晴らしいことに、実に細かく驚くほど意識的に整えられたこの舞台からは、豊かさとファンテジーと惜しみない贅沢三昧の感覚があふれ出してくる。そして、視覚から聴覚へ、知的なものから感性的なものへ、一人物の動作から一植物の動きの喚起へ交感が、一つの楽器の叫びにつれて絶え間なく、否応なく噴出する。」(88-89頁)



「このような動作による形而上学」(89頁)



「…空間のなかで密度を持つもの、運動、形態、色彩、震動、態度、叫びなどをまったく知らない我々の演劇は、計りしれないもの、精神の暗示力に由来するものを考慮に入れるときには、バリ島の演劇に精神性についての教えを請うべきだろう。」(90頁)



(後半)

「そこには、一連の儀式的な動作の蓄積がある。我々はそれを解く鍵を持っていないが、それらの動作は極端に明確で音楽的な定めに従っているように思われる。ただその定めには普通には音楽に属していない何か、思想を包み込み、追い立て、迷路のようだが確実な網のなかへ導くような何かが加わっている。事実、この演劇ではすべてが感嘆すべき数学的精密さによって計算し尽くされている。何一つ、偶然や思いつきにまかされることはない。それは一種の高度な舞踊であり、そこでは舞踊家が何よりもまず俳優なのである。」(92頁)



「これらの機械化された存在を見つめていると一種の恐怖に襲われる。その喜びも悲しみももはや彼ら自身には属さず、彼らは訓練を経た儀式に従っているだけで、高い叡智の意のままになっていると思われてくる。」(93頁)



「衣裳で体を締めつけられた俳優は、もはや彼自身ではなく自分の絵姿にすぎないかのように見える。それに音楽のゆったりとした細かく砕かれたリズムが加わる。−−極度に、強調され、しかしたどたどしくて壊れやすい音楽、まるで最も貴重な金属を砕くような、自然のままの泉のように湧き出し、植物をつたう虫の果てしない足音を大きくしたような、まるで光そのものの音を捕らえたような、深い孤独の放つ物音が水晶の飛散に帰せられるような音楽……。」「それに、これらの音はすべて動きと結びついている。音は自然な完成であるかのようで、動作は音と同じ性質を持つ。そのあまりの音楽的類似に、精神はついにはその両者を混同せざるをえなくなり、管弦楽の発音源が俳優たちの動作にあると−−そして、またその逆だと思い込むようになる。」(94頁)



「我々にとって最も意外で驚くべきことは、その物質の啓示的側面である。物質がたちまち記号に分散して具体と抽象の形而上学的同一性を教えてくれること、それを継続する諸動作のうちに教えてくれることである。」(95頁)



「沸騰する混沌」(98頁)



「この純粋演劇としての側面、観念そのものである絶対的な動作、精神的概念を知覚させるために物質の入り組んだ迷路と綾模様を通らせるあの動作の物理学、それらすべてが、諸形態と顕現された物質の領域にとくに属するものについての新しい観念を与えてくれるのは確かである。」(99頁)



「我々が立ち会うのは、一つの精神状態から一つの動作を作り出す精神的な錬金術であり、その乾いた簡素な線形の動作は、我々の行動が絶対的なものに向かうとき持つような動作ばかりなのである。」(107頁)



「戦士たちは、恐怖に震えながら精神的な森のなかへ踏み込む。無限の戦慄と磁力によるかのような巨大な回転運動が彼らを捕らえる。動物的あるいは鉱物的な大気現象がそこに殺到する。」(108頁)



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